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胸形神社について

延喜式内社、九州の宗像大社からの分霊。
崇神天皇の勅命で創建されたという非常な古社。

栃木県のおすすめ3選🌸

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おすすめの投稿

🌷日向ぼっこ☀️🐇
2023年09月25日(月)
745投稿

🌼胸形神社(むなかたじんじゃ)⛩️に参加させて頂きました🙏🌸当社は、栃木県小山市の巴波川(うずまがわ)左岸堤防の下に鎮座する、田心姫命を祭神とする神社。下野国寒川郡の延喜式内小社。旧社格は郷社です。
🍀崇神天皇の代(564-631)に九州の牟奈加多神社(宗像神社)の祭神を勧請し、寒川郡の総社となりました。💐平安時代中期の『延喜式神名帳』には「下野国寒川郡 胸形神社」と記載され、式内社に列している。中世以降は衰微したが、弘化元年(1844年)に社殿が再建されました。🌷明治の近代社格制度では郷社に列し、明治14年(1881年)9月に本殿を改築されました。🌼明治45年(1912年)1月12日に神饌幣帛料供進社に指定される。大正12年(1922年)に拝殿が焼失するが、翌年に再建されました。昭和16年(1941年)7月に水害で社殿が流失しましたが、翌年10月に再建されました。🌸小山市寒川地区の胸形神社は、現在の福岡県宗像市の宗像大社から勧請されたものといわれ、田た心ごり姫ひめの命みこと・市いち杵き島し姫ひめの命みこと・多た岐ぎ津つ姫ひめの命みことの宗像三女神を祭神としてお祭りしています。☘️宗像大社と胸形神社とでは同じ”むなかた”でも漢字が異なりますが、このむなかたには宗像・胸形・胸方・胸肩・宗形・身形など、様々な漢字があてられることがあるそうです。🌿小山市の胸形神社は、創建年代の詳細については記載がありませんでしたが、前述の通り平安時代の927年にまとめられた延喜式神名帳に記載があることから相当な古社のようです。

🍁所在地 : 栃木県小山市寒川1730

胸形神社(栃木県)
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胸形神社の体験その他
胸形神社(栃木県)
胸形神社(栃木県)
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惣一郎
2021年11月08日(月)
1269投稿

胸形神社(むなかた~)は、栃木県小山市寒川にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。主祭神は田心姫命(たきりびめ)、配祀神は市杵島命(いちきしまひめ)、多岐津比売命(たぎつひめ)。

社伝によると、崇神天皇の御代(564年~631年)に、九州の牟奈加多神社(宗像神社)の祭神を勧請し創建。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「下野國 寒川郡 胸形神社 小」の論社で、もう一つの論社として、栃木県小山市網戸にある「網戸神社」がある。中世以降は衰微したが、江戸時代末期の1844年に社殿を再建。明治時代の近代社格制度下では郷社に列した。なお社殿は、明治、大正、昭和戦前と、近隣の川(巴波(うずま)川)の氾濫の度、改修されてきたとのこと。

当社は、JR宇都宮線・間々田駅の北西5kmほどの、巴波川そばの畑作地帯にある。昔から風水害が多いようで、境内は木々が少ないが、御神木は川の氾濫をも耐えた樹齢300年の榎木。境内の大きさは小さめの郷社相当。境内に由緒などの説明書きが多いので、新参者には非常にやさしい。

今回は、下野國の式内論社ということで参拝することに。参拝時は週末の午前中、自分以外にも数人、御朱印目当ての参拝者が訪れていた。

※当社は普段無人社だが、社務所に宮司さんの連絡先の記載があり、連絡をすると宮司さんに来ていただけるので、御朱印を拝受できる。

胸形神社の鳥居

境内東端入口の<鳥居>と<社号標>。社号標に刻まれた字が達筆過ぎて読めない...
解読可能な範囲だと「**式内*社 胸形神社」。「胸」の字が「ぎょうにん偏」に見える...(^_^;)

胸形神社の建物その他

社号標の横の石碑にも社名が記載されていて、こちらは「郷社 胸形神社」とある。こちらも「胸」の字が「ぎょうにん偏」に見える。

胸形神社の手水

鳥居をくぐって、参道左手にある<手水舎>。屋根の形が変わっていて面白い。

胸形神社の本殿

<拝殿>遠景。手前に見える、台座の高い大きな<狛犬>が目を引く。

胸形神社の本殿

<拝殿>全景。奥の<狛犬>は良い感じに年季が入っていて古そう。

胸形神社の本殿

<拝殿>正面。横長の大きな扁額、力強い注連縄、渋い色味の神社幕が全体の見た目を引き締める。

胸形神社の本殿

<社殿>全景。

胸形神社の本殿

拝殿後ろの<本殿>は、覆屋の側面に風よけにトタンが張り付けてあり、内部は見えない。

胸形神社の建物その他

拝殿に向かって境内左手にある<万葉の歌碑>。『万葉集』の中に、当地出身の防人の歌があるとのこと。

胸形神社の建物その他

社殿の右側にある、<忠魂碑>などの立派な石碑群。

胸形神社の建物その他

鳥居をくぐって、すぐ右手にある<社務所>。当社は普段は無人社。

胸形神社の建物その他

社務所棟の左側は<神輿庫>として使われている。

胸形神社の建物その他

社務所棟の<授与所>には、御朱印のサンプルと宮司さんの連絡先が表示されている。

胸形神社の建物その他

境内全景。境内の説明書きに、当社の御神木が樹齢300年のエノキの木とあったので、探してみるが見つからない。右側の太い2本の木かとも思ったが、注連縄は巻かれていないし、樹齢300年には見えない。

胸形神社の建物その他

鳥居の右側の木には注連縄が巻かれているが、まだ細くて若い木だし...

胸形神社の鳥居

最後に境内入口全景。社号標の後ろの木が、この境内では一番古そうなのでこれが御神木なのかしら? (^_^;)

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歴史

【神社案内板】
当社は創建古く、九州の宗像大社より当地に勧請されたものといわれ延喜式(927年制定)内の一社で格式の高い神社といわれています。祭神は田心姫命・市杵島姫命・多岐津姫命の三女神です。
当社は古くから寒川郷の総社として住民の尊崇あつく、かつては神田も多く、社殿も宏荘でしたが、中世以降は衰微しました。
風水害の被害も多く、その後再建され、弘化元年、明治14年、大正13年、昭和16年と改築修復を重ね現在に至つています。
合社されている天満宮の年初の縁日は「初天神」と称し、毎年一月の第四土曜日に華やかな祭りの行事があります。「花桶かつぎ」と称し、御輿の先導者として着飾った七オの稚児が造花で飾った花桶をかつぎ奉仕するもので、多数の見物人に囲まれて村内をねり歩きます。

【胸形神社のエノキ案内板】
胸形神社は崇神天皇の代に勅命で九州の牟奈加多(宗像)から祭神を招幣(主祭神田心姫命)後に文徳天皇の代に宗像官宜があったと言う。以前は寒川の西、巴波川の河岸にあった。
平安時代の延喜式神名帳に登載された下野十一社の一つで航海の守護と漁労豊穣の神として崇拝されていた。鎌倉時代には寒川の繁栄と共に盛況を誇った由緒ある神社である。
エノキは神社の入り口にあって神社と寒川の繁栄を示すかのように古木としての風格を備え、小山市では最も古い古木の1つであり、樹根は度重なる流失を物語っている。
胸形神社は崇神天皇の代に勅命で九州の牟奈加多(宗像)から祭神を招幣(主祭神田心姫命)後に文徳天皇の代に宗像官宜があったと言う。以前は寒川の西、巴波川の河岸にあった。
平安時代の延喜式神名帳に登載された下野十一社の一つで航海の守護と漁労豊穣の神として崇拝されていた。鎌倉時代には寒川の繁栄と共に盛況を誇った由緒ある神社である。
エノキは神社の入り口にあって神社と寒川の繁栄を示すかのように古木としての風格を備え、小山市では最も古い古木の1つであり、樹根は度重なる流失を物語っている。

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3
名称胸形神社
読み方むなかたじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし
お守りあり

詳細情報

ご祭神《主》田心姫命
《配》市杵島姫命・多岐津姫命
《合》菟道稚郎子命・菅原道真
創建時代崇神天皇代(564-631年)
創始者崇神天皇
本殿流造銅板葺
文化財

花桶かつぎ (小山市指定無形民俗文化財)

ご由緒

【神社案内板】
当社は創建古く、九州の宗像大社より当地に勧請されたものといわれ延喜式(927年制定)内の一社で格式の高い神社といわれています。祭神は田心姫命・市杵島姫命・多岐津姫命の三女神です。
当社は古くから寒川郷の総社として住民の尊崇あつく、かつては神田も多く、社殿も宏荘でしたが、中世以降は衰微しました。
風水害の被害も多く、その後再建され、弘化元年、明治14年、大正13年、昭和16年と改築修復を重ね現在に至つています。
合社されている天満宮の年初の縁日は「初天神」と称し、毎年一月の第四土曜日に華やかな祭りの行事があります。「花桶かつぎ」と称し、御輿の先導者として着飾った七オの稚児が造花で飾った花桶をかつぎ奉仕するもので、多数の見物人に囲まれて村内をねり歩きます。

【胸形神社のエノキ案内板】
胸形神社は崇神天皇の代に勅命で九州の牟奈加多(宗像)から祭神を招幣(主祭神田心姫命)後に文徳天皇の代に宗像官宜があったと言う。以前は寒川の西、巴波川の河岸にあった。
平安時代の延喜式神名帳に登載された下野十一社の一つで航海の守護と漁労豊穣の神として崇拝されていた。鎌倉時代には寒川の繁栄と共に盛況を誇った由緒ある神社である。
エノキは神社の入り口にあって神社と寒川の繁栄を示すかのように古木としての風格を備え、小山市では最も古い古木の1つであり、樹根は度重なる流失を物語っている。
胸形神社は崇神天皇の代に勅命で九州の牟奈加多(宗像)から祭神を招幣(主祭神田心姫命)後に文徳天皇の代に宗像官宜があったと言う。以前は寒川の西、巴波川の河岸にあった。
平安時代の延喜式神名帳に登載された下野十一社の一つで航海の守護と漁労豊穣の神として崇拝されていた。鎌倉時代には寒川の繁栄と共に盛況を誇った由緒ある神社である。
エノキは神社の入り口にあって神社と寒川の繁栄を示すかのように古木としての風格を備え、小山市では最も古い古木の1つであり、樹根は度重なる流失を物語っている。

体験御朱印重要文化財祭り

Wikipediaからの引用

概要
胸形神社(むなかたじんじゃ)は、栃木県小山市の巴波川(うずまがわ)左岸堤防の下に鎮座する、田心姫命を祭神とする神社。下野国寒川郡の延喜式内小社。旧社格は郷社。
歴史
歴史[編集] 崇神天皇の代(564-631)に九州の牟奈加多神社(宗像神社)の祭神を勧請し、寒川郡の総社となった。平安時代中期の『延喜式神名帳』には「下野国寒川郡 胸形神社」と記載され、式内社に列している。中世以降は衰微したが、弘化元年(1844年)に社殿が再建される。 明治の近代社格制度では郷社に列し、明治14年(1881年)9月に本殿を改築する。明治45年(1912年)1月12日に神饌幣帛料供進社に指定される。大正12年(1922年)に拝殿が焼失するが、翌年に再建される。昭和16年(1941年)7月に水害で社殿が流失するが、翌年10月に再建される。
アクセス
交通アクセス[編集] JR東北本線間々田駅下車徒歩約40分
行事
祭事[編集] 初天神(1月第4土曜日)
引用元情報胸形神社 (小山市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%83%B8%E5%BD%A2%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%B8%82%29&oldid=98251866

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