さいりんじ|曹洞宗|佛國山
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西林寺について
霊場について:現在の田沼小学校のあった所に能満寺という廃寺があり、この佐野板東三十三観音霊場を引き継いでいる。能満寺には佐野新四国霊場の第五十七番も設定されていたが、こちらは宗旨違いのため引き継いでいないと思われる。
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一瓶塚稲荷神社さんのお隣りにあるお寺さん
お参りに伺いましたが、本堂は工事中でした🙂
調べましたが御朱印は無いようです。




本堂

一瓶塚稲荷神社の隣にあります。神社と境内が繋がっていて、気がついたら西林寺の敷地に入っていてそのままお参りしました🙏この日は法事だったようで人の出入りが多かったです。
栃木県史 第4巻/田代善吉 著(1972)には以下のような縁起が載っていました。
『建長2年(1250)5月10日、藤原秀郷15代の孫、安房守実綱の七男重綱(田沼に住し田沼九郎と称する)が田沼千本館の地側に於て、三千余坪の地を喜捨して、臨済宗の開祖栄西の後任たりし千光國師を勧請して一堂宇を創立して東光山玄松寺と称す。俗に鐘塚の墓地と称し墓地のみ残っている。
その後、代々本宗より相続するが、180年を経過し財産は少なく檀徒もなければ伽藍も衰退し、わずかに小庵を結びて法燈を維持した。
時に重綱四世の孫重隆は、本光寺六世翁主撮和尚に請ひて堂宇の再建の事を託して、今の地に移し堂宇伽藍を建造した、永享12年(1440)4月18日竣工した。この時に寺号を佛國山西林寺と改称し、宗派も曹洞宗となり本光寺の末寺とした。その後田沼家累代の菩提寺として発展し、檀家も増加した。』
ご本尊は釈迦牟尼佛坐像(丈2尺)とありました。









料芸稲荷神社






秋葉大権現

十九夜様



せっかく産土神様に来たので、隣に隣接するおそらく元別当寺であろうこちらのお寺の受印に再チャレンジしてみることに。
前回、初午で来た時は残念ながら留守だった・・・はたして今回はどうか?
ここ本堂右手にかなり立派な住職宅兼庫裏がありまして、玄関が3つもあり、しかも全部に呼び鈴が付いてるのでどれ押そうか迷った(^^;
とりあえず一番大きな玄関に付いてる呼び鈴を押す・・・反応なし、今日も留守か( ´・ω・`)
しかも車があるのと、やはりお寺というのは広いせいか、呼び鈴押してから反応があるまで少しタイムラグがあるのをこれまでの経験から知ったので、めげずにもう一度押してみるw
しばらくすると壇信徒会館と思われる別の入り口から奥様が顔を出してくれたのですが、聞いてみたところ御朱印やってないとのことでした・・・ orz
残念、産土神に関係するお寺ならぜひとも受印したかったんだが・・・まぁ仕方ないね( ´・ω・`)
今回、沿革などを少し調べてみたところ、創建は一瓶塚稲荷より数百年新しく室町時代。
開基は佐野家分家の田沼家の五代 重隆。
この田沼家の子孫があの江戸時代の老中 田沼意次です。

一瓶塚稲荷神社に隣接というかほぼ境内を共有してる
境内から直接下りる道もあります

一応前に回って山門を潜ってみるw

昔は幼稚園の庭で亀の飼育小屋とかありました
今のように寺の境内っぽくなったのはむしろ近年になってからだと思うw

本堂
左側に見える裏の墓地に続く道に六地蔵あり

何気にこちらもすごい彫刻
境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|| 名称 | 西林寺 |
|---|---|
| 読み方 | さいりんじ |
| 電話番号 | 0283-62-0239 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 釈迦牟尼仏 |
|---|---|
| 山号 | 佛國山 |
| 宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
| 創建時代 | 1440年(永享12年) |
| 開山・開基 | 田沼重綱(佐野重綱)により玄松寺として創建 |
| ご由緒 | 佐野家の分家、田沼家の菩提寺。田沼家の家人の多くが葬られている。
|
| 体験 | 武将・サムライ |
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