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かしまじんじゃ ようはいでん

鹿島神社 遥拝殿
栃木県 田沼駅

鹿島神社 遥拝殿について

佐野家崇敬の鹿島神社
地方の村社にしては珍しく遥拝殿が設けられている。
江戸時代の義民 石井包孝も祀られている

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くし
くし
2025年01月04日(土) 04時33分17秒
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この日は再び東の佐野(旧田沼町)方面へ。 前回は市街地でしたが、今回は北の山沿いを巡ってみました。

この神社について下調べしていたところ、田舎の鹿島神社にも関わらずなんと遥拝殿があるらしい!? それも祠とかじゃなく里宮レベルのちゃんとした神社😳
俄然興味が湧いてまずここから拝んでみることに。

神社(本殿)の創建は鎌倉時代初期。 創建者の戸奈良五郎宗綱は佐野氏3代目当主 佐野実綱の子で、ここより少し東にある萬年山 種徳院の近くに鰻山城を築城し土着。
一説によると、執権北条氏と三浦氏が戦った宝治合戦で、三浦方に付いて討ち死にした佐野小五郎なる人物と同一とのこと。

そしてこの神社のもう一つのキーマンが、境内社に「石井包孝五右衛門命」という神として祀られてる石井包孝という江戸時代後期の義民。
呉服屋、質屋などを営む地元の豪商だったそうですが、私財を投じて新田開発、治水に尽くし、天保の大飢饉では村民救済に努めたり。宿場への賦役免除運動をした人だったそうです。
村民が手放した土地が十倍の価格になった時に元の買値で売り戻すとか💦 マジ生き神だよこの人😭
本当の上級国民ってのはきっとこういう人のことを言うんだねw😍

この遥拝殿が建てられたのは昭和27年(1952年)で、包孝さんが神として祀られてから100年以上も後。
もともと佐野氏の崇敬篤い神社だったそうですが、それ以上に包孝さんが地元の人にずっと崇敬されてるんでしょうね🙏

この遥拝殿、実は無人社ではないようで、境内に社家さん宅と思われる家があり人もいたようなんですが、参拝したのがまだ朝8~9時くらいと早かったんで今回は声掛けはしませんでした😅

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

入口は南側にあり、北西に向かって伸びる参道

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

途中で右に90度折れて北東方向へ

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

手水舎

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

神楽殿

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

境内社かと思ったらトイレだった😅

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

拝殿(遥拝殿)
戦後の建築のためか、なんとなく一般家屋のような作り

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

遥拝殿内部
中は綺麗に整えられてます

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

左に境内社と石祠が一つ
資料を見るとおそらく白山神社だと思われる

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

白山神社内部
かなり立派なお宮あり

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

右には鳥居付き境内社が二社

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

左は報国神社

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

社名から考えて護国神社とか招魂社みたいなものかと
建立も明治39年と日露戦争の直後なので

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

右は義民 石井包孝を祀った包孝社

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

たぶん「包孝霊社」なんだろうけど難しい書体だ💫

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

やはり地元の崇拝篤い方だったらしく、専用の手水まで設けられてる

鹿島神社 遥拝殿(栃木県)

由緒を調べたところ、包孝さんは本当に「神」と呼ぶに相応しい人だった😭

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鹿島神社 遥拝殿の基本情報

住所

栃木県佐野市戸奈良町2008

行き方
アクセスを詳しく見る
名称

鹿島神社 遥拝殿

読み方

かしまじんじゃ ようはいでん

詳細情報

ご祭神《主》武甕槌命・経津主神・天児屋根命
《配》高龗神・大山祇命・大日孁貴命・稲倉魂命・素戔嗚尊・誉田別尊・伊邪那美命・柿本人丸朝臣命
《境内社》白山神社・兼孝神社・報国神社
創建時代

1199年(正治元年)

創始者

戸奈良五郎宗綱

ご由緒

正治元年1199に戸奈良五郎宗綱が常陸の国鹿島神宮より勧請。三床山の麓に奉祭された。
佐野家が尊崇し,衰退して村の鎮守となる。天保二年1831火災に遭い天保十年1839再建。明治五年に村社。
明治42年2月に戸奈良1729にあった「高龗神」を祭神とする無各社の「八龍神社」を合祀。
その後も同年6月に八坂,八幡宮,神明宮,稲荷神社,人丸神社,三王神社,白山神社を合祀している。
本社は人里から離れ,参拝に不便であったため,昭和27年に遥拝殿を建立。

【包孝霊社の祭神 石井包孝五右衛門命】
戸奈良の石井包孝(かねたか 1771-1843)は、戸奈良の織物商の養子。
戸奈良村は彦間川と野上川の間に位置し、平地少なく沿岸の地は常に荒廃していた。文化年間、毎年数百両の私財を投じて堤防を築き河流の改造を行ったのが石井包孝五右衛門である。
また、桑苗を植え養蚕業を発展させ、織物業を興して村の子女を従事させ、各地に販売して得た売上高、年額五万両を窮乏救済にあてた。
また飢饉の際には止むなく手放した村民の土地を、土地の価格が十倍になった時にも元の買値で売り戻すなど村民の生活を支援した。
弘化三年(1849)包孝社建立
弘化四年(1849)の「包孝祠創建之碑」がある。
石鳥居は嘉永二年(1850)に親族と恩顧者によって寄進された。

体験伝説
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