じんめいぐう (いももりじんじゃ)
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神明宮 (芋森神社)について
平貞森創建と伝えられる、足利周辺に伝わる平将門伝承地の一つ。
また神社裏手の鎮守の森には「芋森伝説」の伝わる弘法の池があり、天然記念物のニホンカワモズクが自生する。
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足利市・太田市境界付近に伝わる弘法大師伝承地巡拝🙏
伝承を解りやすくするため、実際の巡った順番とは異なります☝️ まずはベースとなる伝説が伝わる芋森神明宮。
5年前に参拝した時にはなかった由緒板が設置されてて、縁起・沿革が詳しく解るようになってた👍
なんと当地に伝わるもう一つの重要な伝承である、平将門伝説との繋がりがも出てきた❗ しかも平貞盛の方😳
やはりこの辺は藤原秀郷公のお膝元だけあって、貞盛公の方はイマイチ影が薄かったのですがw ようやく一つ出てきました。
・・・実際この人、秀郷公が台頭するまでは、何度も将門公に敗れて逃げ回ってるだけだしな🏃💦w
でも絶対に死なない💖 後の戦国の世にほぼ同じ筑波山麓を根拠地とした小田氏治公と通じるものがあるwww 常陸西部の伝統でしょうか😆
弘法大師伝承の方は、空腹に耐えかねた大師が、川で芋を洗っていた婆さんに芋を分けてくれと頼んだものの、ケチな婆さんに「これは石芋だから食えねーよ😜」と断られれ、
大師が「ほーん?それじゃ捨てるしかないな😏」と言って立ち去ったところ、本当に芋が石のように固くなってしまい食べられなくなってしまったというお話🥔😫💦
結末は「それからお婆さんは心を入れかえました😭」みたいな教訓話ではなく、ブチ切れた婆さんが池に芋を投げ捨て、それから池から石芋がたくさん生えるようになってしまったというオチw🥔⌒👋😡
こういった身も蓋もなさというか粗雑さが、生の伝承の面白いところですねwww
神社入口
国道50号線の高架下で、すぐ前には東武伊勢崎線が走る、やや解りづらい場所にあり、自分もこの趣味始めるまでは、この神社の存在を全く知らなかったです💫
天然記念物といっても単なる水草ですが💧w
前はなかった案内板が立ってた👍
神楽殿
足利市南西部は矢場川地区文化財協会、北部はのうすの会、西部は坂西商工会という団体がそれぞれ頑張ってくれて寺社縁起とか伝承が拾いやすいが、東部から南部に掛けては有効団体がない😣
手水舎
天気予報で黄砂が最大に飛ぶ日と言ってたが、実際に手が埃っぽくなり、ありがたく洗わせてもらいました🚰
拝殿
正式名は「神明宮」らしいが、額は「芋森神社」
拝殿内
無人社ですが中は綺麗に整ってます✨
本殿
装飾はないが立派な千木付き
左に八坂神社
中には歴代の神輿が数社
その横に摂社群があるのですが、なぜか一番右の雷電神社の写真しか撮ってなかった😣
弘法の池のある芋の森に向かいます🌳
弘法の池
ケチケチ婆さんがブチ切れて芋を投げ込んだ後、この浮島に石芋がたくさん生えるようになったそうです🥔w
池の中にある赤茶けた苔がニホンカワモズクだそうで😅
鴨が優雅に泳ぐ🦆
石芋伝説
改心せずブチ切れて芋を捨てる婆さんも逞しいが、法力使って姑息な復讐を仕掛ける弘法大師もなんつーか💧w
でも大師像にもお参りしましたw
南無大師遍照金剛っと🙏😌
一番奥の浮島に厳島神社
鹿島さんより立派な弁天様も巳の日に拝めましたわ🙏✨

芋森神明宮
近くですが行ったことがなかったので帰りに寄り道。
神社自体は赤と白のツートンカラーにキレイに塗りわけられてるのを除けば、まぁよくある田舎の無人社。
しかし裏に回ってみると・・・
いや驚いた! まさかいつも通ってる住宅街の一歩裏にこんな綺麗な水の湧き出す鎮守の森があったなんて!Σ( ̄□ ̄;)
日常の中にポッカリ空いた異界の入り口、そうそう私が神社に求めるものはこれですよ(*゚∀゚)
ここはすぐ後ろの住宅数軒が常に視界に入ってしまうのがやや残念。 これで鎮守の森がもっと深くて完全に外界との隔絶感があれば完璧なんですがw
窓から撮影した社殿内部。
小さな御神体と太鼓だけしかない様子
横にあった建物
神輿殿かと思ったら摂社でした
池の中の島は厳島神社となっていたのですが、特に祠などは見えず赤い柵に囲まれた木があっただけでした。
赤いコケがニホンカワモズクかな
非常に透明度の高い綺麗な水です
境内・文化財
歴史
もとは群馬県矢場川村大町だった。
平成24年の石芋伝説の看板が建てられており「芋の森神明宮」建立とあり、拝殿額が「芋森神社」で奉納されているので芋森神社で載せられたが、正確には「神明宮」社号標は「村社神明宮」
【神社案内板より】
社殿によると天慶二年(939) 平貞盛が平将門の乱の際に、武蔵国氷川明神のお告げにより白鳥に導かれ、この地に陣を構えた。
伊勢神宮の神座を設け、素戔嗚尊を祀り、祠殿を建て、朝敵降伏の祈祷をして出陣したところ、藤原秀郷と協力して乱を平定することができた。
貞盛がその記念として、陣釜兵器を奉納したのが創建と伝えられる。
その後、大永二年(1522)当地を治めていた矢場能登守繁和が社殿を造営したと伝えられる。
平成二十四年(2012)に境内に南大町自治会館、次いで神楽殿、芋森公園が整備された。
祭神は天照大神・豊受大神で、配神として弥都波能売命を祀る。八坂神社・厳島神社などの摂末社がある。
拝殿内には、日清戦争の帰還者らによって奉納された地元の絵師 大川愛渓によって描かれた絵馬が現存する。
社殿北、鎮守の森の中には「弘法の池」と呼ばれる湧水がある。湧水が絶えることなく水温がほぼ一定であり、弘法大師の伝説を伴う石芋と呼ばれるサトイモや、当時南大町在住の高校生であった岡田香氏が発見の契機となったニホンカワモズクが自生することで知られている。
【芋森伝説】
嵯峨天皇の時代に、弘法大師が諸国を旅するうちに大前村(南大町)を通りかかったところ、川のほとりで芋を洗っているお婆さんに出会いました。
大師はお腹が空いていたので「少しばかり芋を分けてください」とお願いしました。
ところがお婆さんは大変ケチだったため「これは石芋と言って食べられません」と言って分けてくれませんでした。
大師は「それなら捨てるしかないか」と言って立ち去りました。
お婆さんは家に帰ってこの芋を煮て食べようとしたところ、どんなに煮ても硬くて食べられなかったので、頭にきて村外れの神明の森に捨ててしまいました。 それからその芋が泉の中に繁るようになったと伝えられています。
また、この泉そのものが、弘法大師が湧かせた弘法湧泉だとも伝えられています。
名称 | 神明宮 (芋森神社) |
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読み方 | じんめいぐう (いももりじんじゃ) |
通称 | 芋の森神明宮 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》大日孁貴命・豊受姫命 《配》弥都波能売命(罔象女神) 《境内社》諏訪神社・八坂神社・稲荷神社・愛宕神社・雷電神社・厳島神社 |
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創建時代 | 天慶二年(939年) |
創始者 | 平貞盛 |
文化財 | ニホンカワモズク自生地 (足利市指定天然記念物) |
ご由緒 | もとは群馬県矢場川村大町だった。
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体験 | 御朱印重要文化財武将・サムライ花の名所伝説 |
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