てんまんぐう
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天満宮 (川崎町)について
日光例幣使街道沿いにあり、例幣使が必ず立ち寄って礼拝する神社だったという
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薬師寺の300mほど南にある天満宮です。
日光例幣使街道沿いにあり、例幣使が必ず立ち寄り礼拝する神社だったとのこと。
すぐ南が渡良瀬川なので、当初は、無事に渡河できたお礼とかで寄ったのだろうくらいに考えてたのですが「奉納物を献上」と何か仰々しいので、もっと別の謂れがあるのでは?ともう少し調べてみました。
まず創建年が薬師寺と同じことに気付き、もしかしたら元は一体か別当関係だったのでは?と仮定。
とすると、やっぱり藤原基経由来の薬師如来に敬意を表してといった感じかな?('_'?)
天満宮の方は残念ながら創建者不詳なので、薬師寺の創建者である小野寺義寛について深掘りしてみたところ、どうやらこの方が小野寺氏の家祖らしい。
小野寺氏の本拠地はもっと東の、唐沢山城北東の小野寺(栃木市)ですが、この辺にも所領があった様子。
時は下って戦国時代、庶流の出羽国の仙北小野寺氏が有力となり、最上氏などと奥州の覇を争います。
一方、嫡流の下野小野寺氏の方は没落し、佐野氏や足利長尾氏の配下となり細々と存続。 最後の当主 小野寺景綱は、当地に隣接する寺岡村の代官などを勤めていたが、佐野氏も長尾氏も滅亡した後は浪人となって川崎村に居住。
しかし領民にはかなり慕われていた殿様だったようで、徳川家康によって川崎村に新たな領主が派遣されても、百姓達は、年貢遅納、滞納・訴訟などで抵抗したそうです。
最後は業を煮やした新領主が家康に讒言し、自刃に追い込まれてしまったとのこと。
これを考えると、景綱公を偲んで新領主に従わない領民達に徳川の威光を見せつけるため、毎回当地に立ち寄らせたなんてのもありそうですねw 例幣使はまさに日光東照宮への使者だし。
実際、田舎の無人社にしては現在でも若干格上みたいで、新しい「狛牛」が奉納されてたり、氏子総代への連絡でなんと絵馬も買えるようでした!
・・・そこ!地域興し狙うなら、なんで絵馬じゃなくて御朱印にしねえかな(^^;
一の鳥居
左は渡良瀬川の土手、この前の道が旧例幣使街道
当時と流路は若干違うと思いますが、まさにこの辺りが渡河地点だったと思われる
突き当たりに日露戦後記念碑
左は忘れた(^^;
二の鳥居
境内で参道は東向から北向に曲がります
ここも梅が満開♪
天満宮拝むには最高のシーズン
由来碑
こちらだと創建年代不詳となってる
神楽殿
狛犬じゃなくて狛牛ですw
右のモーモー
左のモーモー
例幣使の残した和歌の短冊と地元に伝わる算額
拝殿
額は「聖廟」となってる
なぜかここ、何度写しても暗くなったんですよ・・・なんか不思議な力が働いてる?(;°Д°)
拝殿内
畳の上に小さい狛犬が置かれてる
幣殿の御神体は神宮大麻のみ
左に摂社群
一番大きい石神は二荒山神社
かなり古びた稲荷大明神の木札あり
どこのお稲荷さんかは不明
・・・誰?(・・;)
調べたところ石川啄木と関係があった女性で同名の人がいたけど、その人なんかねぇ・・・??
絵馬掛け
・・・・・だそうです
だから本気で地域興しする気があるなら、嵩張る+用途が限定的な絵馬じゃなくて御朱印を・・・(^^;
まぁ一般の人からすれば、ハンコ押したワケわかんない紙より、絵馬とか御守りの方がありがたみがあるのかもしれんw
一応、氏子総代さんの連絡先は伏せさせていただきました
名称 | 天満宮 (川崎町) |
---|---|
読み方 | てんまんぐう |
詳細情報
ご祭神 | 《主》菅原道真 《合》応神天皇・宇賀能御魂命・久那戸神・八衢比古神・八衢毘女神 《境内社》日枝大神・稲荷大神・浅間大神・二荒山神社・阿夫利神社・水天宮・その他 |
---|---|
創建時代 | 建久元年(1190年) 昭和五十年(1975年)現在地に遷宮 |
創始者 | 不詳 |
文化財 | 日光例幣使短冊 (足利市指定重要文化財)
|
ご由緒 | 【神社案内板】
【別伝】
|
体験 | 絵馬重要文化財 |
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