かんきじ|臨済宗円覚寺派|安養山
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駐車場 | あります |
歓喜寺について
この寺の宗派は臨済宗で、本尊は11面観世音菩薩を祀っています。
法周禅師大和尚が寺廓に創立し、元禄11年(1698)に現在地に移されました。
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めのときに焼かれ、後に僧易甫が再建したと言われています。
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🌼歓喜寺(かんきじ)に参拝させて頂きました🙏 🌸この寺の宗派は臨済宗で、本尊は11面観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)を祀っています。🍁法周禅師大和尚(ほうしゅうぜんじだいおしょう)が寺廓(てなぐら)に創立し、元禄11年(1698)に現在地に移されました。☘️天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めのときに焼かれ、後に僧易甫(えきほ)が再建したと言われています。🌺臨済宗円覚寺派のお寺である歓喜寺は、室町時代の応永20年(1413)、法周和尚(ほうしゅうおしょう)によって創建されました。このお寺には、お地蔵さまにかかわる次の二つのお話が伝わっています。🍎一つめは、幕末にあった出来事で、本堂北東側の地蔵堂に安置されたお地蔵さまのお話です。歓喜寺は、嘉永7年(安政元、1854)におきた安政東海地震の際、堂舎倒壊の被害に遭(あ)いました。4年後の安政5年、今度は集中豪雨がこの地を襲うのですが、そのとき寺には多くの檀家さんが集まり、堂舎の再建 について話していたそうです。その際、誰ともなしに自然と地蔵堂の周りに移動して話し合いを続けていたところ、寺の後ろの山が崩れ、大量の土砂が本堂・庫裏(くり)をのみ込んでしまいました。人々は地蔵堂の周りに移動していて無事だったため、お地蔵さまがお守りくださったと、より信仰を深めたそうです。🍊二つめは、三代前のご住職の時、大正時代の出来事で、本堂(現本堂の北側にあった旧本堂)内に安置された位牌堂のお地蔵さまのお話です。ある晩、住職の夢に人の雲水(うんすい/禅宗の修行僧)が出てきました。雲水は寝ている住職の枕元にやってきて、起きるように呼びかけて帰っていきました。住職が目覚められずにいたところ、ちゃんと起きられたのか確認するため、雲水が再びやってきたそうです。眠り続ける住職を見て「ずうずうしい和尚だ」といい、その枕元にマムシを放り投げたといいます。住職はこれに驚き、自分では起きられたと思ったそうですが、それでも身体は目覚めませんでした。そうすると、今度は本堂の方で大きな音が鳴り、その音でようやく目覚めることができたそうです。何事だろうと思って身体を起こすと、枕元で飼っていたヒヨコの籠(かご)から火が出ているところでした。ヒヨコに暖をとらせるために吊っていた裸電球からの出火でした。住職はす ぐさま自分の布団で籠を包(くる)み、布団ごと外に放り投げることで大事に至らずに済みました。やがて夜が明け、お経をあげるために本堂へ入りますと、ご本尊の脇に並び置かれた位牌堂から、厨子(ずし)内に奉安されていたはずのお地蔵さまの像が転がり出ていたそうです。どこかへぶつけたものか、額(ひたい)が打ち剥(は)げてしまっていました。住職は、お地蔵さまが雲水に姿を変えて夢に現れ、さらにはその身を呈(てい)することで、お寺の危機を知らせてくださったのだろうと思われたそうです。
🍈この二つのお話は、歓喜寺の二躯(く)のお地蔵さまのご利益(りやく)を伝えるものとして、今も大切に語り継がれています。
👣所在地 : 静岡県三島市徳倉3丁目2-71
🌷『お食事革命/定食屋』 🌸伊豆縦貫道の北側、住宅地って感じのところにある普通の家みたいな外観のお店です。地元の美味しい家庭料理屋さん、味も量もお値段も大満足でした。こじんまりした家庭的なお食事屋さんです‼️ からあげ定食と自家製革命餃子定食🥟の小鉢はめんま、漬物がついています。それに味噌汁とご飯は普通で結構量あり。唐揚げは6つで外はパリパリ中はジューシーでムチムチです。味付けは薄味でほんのりしょうがとニンニク風味。塩で食べると美味しい‼️ 家庭料理だけど家で作る味の上位互換みたいな感じでした。ご馳走様でした🙏🌷
人気の自家製革命餃子 『お食事革命/定食屋』
御朱印 歓喜寺(かんきじ)
本 堂 歓喜寺(かんきじ)
山 門 歓喜寺(かんきじ)
歓喜寺の地蔵堂
本堂の扁額 歓喜寺(かんきじ)
山門から見える本堂
「円覚寺百観音霊場 第二十二番札所」
山門の扁額
歓喜寺(かんきじ)
庫 裡 歓喜寺(かんきじ) ここで御朱印を戴けます
境内にある大イチョウの樹 歓喜寺(かんきじ)
『お食事革命/定食屋』
伊豆縦貫道の北側、住宅地って感じのところにある普通の家みたいな外観のお店です。
唐揚げ定食 『お食事革命/定食屋』
【完・17】安養山 歓喜寺(臨済宗円覚寺派)静岡県三島市徳倉3丁目2-71_
御本尊 十一面観世音菩薩_
三島駅から約2km 徒歩で約20分 _
円覚寺百観音霊場 第二十二番札所
1.安養山 歓喜寺(臨済宗円覚寺派)
静岡県三島市徳倉3丁目2−71
御本尊 十一面観世音菩薩
歓喜寺につきました。
・伊豆長八が滞在して、鏝絵を描いたと伝えられ、彼の作品が数多くあります。
・信州高高遠石工の作品で六地蔵・墓石等の足跡が残っています。
・山岡鉄舟の書「願王窟」の扁額もあります。
(今回は拝見していませんが)
参道になります。右に駐車場
参道、山門が見えます
5.山門
山門さん
山門の扁額になります。
山門から見える本堂
「円覚寺百観音霊場 第二十二番札所」
(ただし札所は百ヶ所ありません)
本堂
法周禅師大和尚が寺廓に創立し、元禄11年(1698年)に現在地に移されました。
天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めのときに焼かれ、後に僧易甫が再建したと言われています。
10.安養山 歓喜寺(臨済宗円覚寺派)静岡県三島市徳倉3-2-71
御本尊 十一面観世音菩薩
(上)本堂
(下)本堂から見た景色です。
本堂の扁額さん
本堂を斜めから見ています。
昔話
今から140年ほど前、寺に集まっていた人たちが、何かに導かれるように本堂を出て、境内の地蔵堂に向かって歩いていった後、ゴーッと音がして裏山が崩れ始め、大量の土砂で本堂、庫裡(くり)ともに埋められました。
幸いにも、地蔵堂に集まった人たちは全員無事で、これはきっと地蔵さんが守ってくれたのだということから、延命地蔵尊が安置されています。
本堂横から見た山門、その右にお堂がありました
お堂
15.大イチョウの樹 (11月)
境内のいい雰囲気の樹です
庫裡です、ここで御朱印を戴けます。
(参考・投稿は入口~本堂がメイン~プラス見所という流れにしています)
名称 | 歓喜寺 |
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読み方 | かんきじ |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 055-986-7727 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
円覚寺百観音霊場 第22番 | 御本尊:十一面観世音菩薩 |
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詳細情報
ご本尊 | 十一面観世音菩薩 |
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山号 | 安養山 |
宗旨・宗派 | 臨済宗円覚寺派 |
開山・開基 | 法周禅師大和尚 |
文化財 | 昔、この寺に伊豆長八(いずのちょうはち)(入江長八)が滞在して、鏝絵(こてえ)を描いたと伝えられ、彼の作品が数多くあります。
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ご由緒 | 高遠石工の墓石が残っている。
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