ごしゃじんじゃ すわじんじゃ
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楽しみ方五社神社 諏訪神社のお参りの記録一覧

浜松訪問の1つの目的地でした 広い境内は解放感があります 日曜日で初宮参りの家族、命名を社務所で依頼する方等々人がそこそこいましたが、混んでいるという感じのしない広さでした(駐車場は余裕あったのですいていたのかもしれませんw)

切絵御朱印の白紙抜いて一緒に授与していただいたクリアファイルに挟んで撮ったものです

白紙に置いて撮るとこんな感じです

切絵と一緒に授与していただいたクリアファイル 社名とグラデーションが入っています

書置きではありますが通常の御朱印もいただきました




右手 車の向側の屋根が手水舎です

手水舎


手水鉢にも蘊蓄がw


大きな狛犬 阿

吽


拝殿

社務所

授与できる御朱印等種類が多いです…書入れしていただけないのは残念ですが

境内にあった石碑 光海霊神(うみてりのみたま、と読むようです)の碑

この日の最後は五社神社 諏訪神社様へあがらせていただきました。こちらは元々2つあった神社(五社神社と諏訪神社)が合祀されて現在に至っているようです。御祭神には太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神(以上 五社神社)、そして健御名方命、八坂刀売命、事代主命(以上 諏訪神社)をお祀りしております。
〈五社神社創建について〉
浜松城主、久野越中守が城内に創建したのがその始まりといわれています。後に徳川家康が浜松城主となった天正七年(1579)には秀忠誕生の際には産土神として崇敬を受けました。天正八年には遷座されました。
〈諏訪神社創建について〉
延暦十年(791)、坂上田村麻呂が東征の折、敷智郡上中島村に奉斎したと伝えられております。弘治ニ年(1556)浜松城下、大手前に遷座されました。秀忠誕生にあたりこちらも産土神として崇敬されました。昭和二十年に戦災により焼失しました。
昭和三十七年に両社が合祀され、五社神社 諏訪神社として発足しました。







遠州三河の茅の輪くぐり 其の四
五社神社諏訪神社
静岡県浜松市中央区、中心市街地の中に鎮座される五社神社諏訪神社は、その立地も相まって初詣や七五三詣では大変多くの参拝者で賑わいます。
かつて曳馬城(後の浜松城)城下に其々に創建されましたが、徳川家康公が浜松城主となり二代秀忠公誕生にあたって、両社ともに産土神として崇敬され、社殿も造営されました。
戦前まで両神社共に社殿は国宝建造物に指定されていましたが、戦災により全て焼失してしまいました。
戦後になって五社神社境内に諏訪神社が合祀され一つの社殿に二社がお祀りされ、名称も並記されることとなりました。










浜松神社巡り⑥昭和三十七年(1962)、五社神社と諏訪神社が合祀された社です。元のそれぞれの神社も古く、五社神社は曳馬城内に鎮座し、秀忠公誕生にあたる産土神として崇敬されていました。諏訪神社は坂上田村麻呂東征の際の創建とされ、後に遷座してきたものです。御祭神は太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神の五柱で相殿に応神天皇、徳川家康を祀るほか、菅原道真、大鷦鷯尊、稲倉魂命、大日女命、素戔嗚命を合祀しています。諏訪神社の御祭神は建御名方命、八坂刀売命、事代主命の3柱で、相殿に徳川家康公を祀っていますが、現在は両社が合祀されていますので大所帯の神社となっています。かつての社殿や楼門は重要文化財でしたが、戦災で惜しくも焼失しています。

社号標

鳥居

由緒書


明和四年建立の光海霊神の碑(賀茂真渕大人が幼少の頃、
師と仰いだ五社神社神主森暉昌大人の功績を記した顕彰碑)



手水舎


手水盤 寛永十五年、浜松城主、高力摂津守寄進




平成元年(1989)奉納の狛犬



昭和五十七年(1982)再建の拝殿

扁額


境内社 五宝稲荷神社



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