たちむしじんじゃ
立虫神社のお参りの記録一覧
出雲国出雲郡の式内社です。元々は斐伊川の源流近くに素戔嗚尊さまと共に御祭神の皆さんが植林を行い、その後川中の中洲に鎮座していました。しかし大洪水に遭い、万九千神社の境内に遷座し再建されました。現在はこちらを本社、万九千神社が境内社として宗教法人登録されているようです。
《一の鳥居》
こじんまりとしており、参道の両側はしめ縄で区切られています。
《馬繋荒神》
祓殿かと思ったら末社でした。
《社号碑と由緒書き》
こちらにだけ「特別神社」と書かれています。万九千神社につくのではなくこちらに。
《二の鳥居》
《ネズミの由緒書き》
大国主さまの説話に登場し、大国主さまと大国さんが集合した後は大国さんの御使いとしても知られています。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
現在の斐伊川を見ると川幅は広いですが水は少なく、たしかにこれなら神社が建ってそうではあります。そして現在も鎮座地から南西の川の中に中洲があり、ここが元鎮座地なのかもしれません。
《本殿》
こちらは普通に大社造です。
《末社群》
建物ではなく石柱に神名が刻まれ、しめ縄が巻かれている形式です。
《稲荷社》
いつもお世話になってお(🤛
出雲⑧出雲市街地から離れて東へ向かいます。途中出雲三大菓子をお土産で購入。
こちらの神社はもとは斐伊川の中洲に鎮座していましたが、江戸時代前期、寛文10年(1670年)頃、洪水の影響により、現在の万九千社境内に遷されました。同じ境内に立虫神社と万苦戦神社が鎮座しています。御祭神は須佐之男命五十猛命(いたけるのみこと)・大屋津姫命(おおやつひめのみこと)・抓津姫命(つまつひめのみこと)、皆樹木を司る神々です
一の鳥居
参道
二の鳥居
由緒書
社号標
手水舎
狛犬
拝殿
注連縄
扁額
立虫神社本殿
万九千神社拝殿
万苦戦神社拝殿の裏にあります
岩が御神体?磐境(いわさか)
万九千神社 社号標
灯籠
境内社 旅伏社
境内社 才ノ上社
御神木 木俣さん(このまたさん) 御祭神:木俣神
大地主神
境内社 和田津見社
境内社 稲荷社
境内社 金刀比羅社
万九千神社本殿に参拝後、左側がの立虫神社本殿に参拝して、万九千神社の御朱印と一緒に頂きました。
万九千神社と同じ場所にあります。
立虫神社由緒書き
左側が立虫神社本殿になります。
#立虫神社
主祭神はイタケルの命、オオヤツヒメの命、ツマツヒメの命。配祀神にオオナムチの命、イザナミの大神。
#五十猛命
イタケルの命を祀る神社は、めったに見ないというほど稀ではないが、スサノオの尊やオオクニヌシの神と比べるとだいぶ少ない印象だ。僕はこれまで、40以上の都府県で400近くの神社に参拝したが、イタケルの命には10回程度しか会っていないはずだ。
だが出雲の国(島根県東部。松江市など)だと、彼はここ立虫神社に加え、賣布神社(松江市)でも祀られている。さらに、出雲大社神楽殿の裏手に立つ荒神社にもいる。
その理由かどうか知らないが、確かにイタケルの命は出雲とは多少、縁がある。
日本書紀の別伝に、こんな話がある。スサノオの尊は追放された後、子イタケルの神を伴って、まず新羅に下った。だがスサノオの尊はこの土地に居続けるのが嫌になって、船を作って出雲へ渡った。そこには人を飲み込む大蛇がいたので、アメノハハキリの剣で退治したと。
イタケルの命自身が何かをしたとは書かれていない。が、スサノオの尊が出雲でヤマタノオロチと交戦したという内容を含む記述に、わざわざ名前が出てくる。それだけでなく、イタケルの命が日本で最初に踏んだ地は他でもない出雲、ということになる。
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