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たちむしじんじゃ

立虫神社の御由緒・歴史
島根県 大津町駅

ご祭神《主祭神》
 五十猛命
 大屋津姫命
 抓津姫命
《配祀神》
 大穴牟遅命
 伊弉冉大神
ご神体不詳
創建時代不詳
創始者不詳
ご由緒

「立虫社」、「立虫神社」の社名は、奈良時代に編まれた『出雲国風土記』や平安時代の『延喜式』に見えますが、その創祀と創建は定かではありません。
社伝によれば、三柱の主祭神は、父神である素戔嗚尊と共に斐伊川の源流、仁多郡鳥上の峰に来たり坐して、木種を四方に播き植えつつ、当地に至って御鎮座されたといいます。当社はもともと、現在地より南西方向へ約800mほど隔てた所にあった斐伊川の中州(現、神立橋の大津町より付近)に鎮座していました。ところが、江戸時代の寛文年中、大洪水に伴う斐伊川の流路変更の影響により、社殿、社地を他所へと移転せざるを得なくなり、寛文10年(1670年)、近隣の万九千社境内に社殿造営を果たして御遷宮されました。なお、当社はたびたび社地を遷しており、より古くは旧出雲郡河内郷(現、仏経山西方の斐伊川中州あたりか)に鎮座していたとされています。
現境内地に遷られて以降、当社は「神立大明神などと呼ばれていました。明治維新以降は古称に復し、「立虫神社」と名を改めて村社に列せられました。大正9年(1920年)には、旧千家村に鎮座していた客神社を合祀。これ以降、旧併川村の氏神、産土神として今日に至ります。先の大戦以降は、神社本庁所属となり、昭和50年(1975年)には、島根県神社庁から特に由緒があり祟敬の篤い神社として、特別神社の称を賜りました。

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