たちむしじんじゃ
立虫神社島根県 大津町駅
参拝自由
社務所:09:00〜17:00
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楽しみ方
出雲国出雲郡の式内社です。元々は斐伊川の源流近くに素戔嗚尊さまと共に御祭神の皆さんが植林を行い、その後川中の中洲に鎮座していました。しかし大洪水に遭い、万九千神社の境内に遷座し再建されました。現在はこちらを本社、万九千神社が境内社として宗教法人登録されているようです。
《一の鳥居》
こじんまりとしており、参道の両側はしめ縄で区切られています。
《馬繋荒神》
祓殿かと思ったら末社でした。
《社号碑と由緒書き》
こちらにだけ「特別神社」と書かれています。万九千神社につくのではなくこちらに。
《二の鳥居》
《ネズミの由緒書き》
大国主さまの説話に登場し、大国主さまと大国さんが集合した後は大国さんの御使いとしても知られています。
《拝殿》🙏
👁チェックポイント‼️
現在の斐伊川を見ると川幅は広いですが水は少なく、たしかにこれなら神社が建ってそうではあります。そして現在も鎮座地から南西の川の中に中洲があり、ここが元鎮座地なのかもしれません。
《本殿》
こちらは普通に大社造です。
《末社群》
建物ではなく石柱に神名が刻まれ、しめ縄が巻かれている形式です。
《稲荷社》
いつもお世話になってお(🤛
「立虫社」、「立虫神社」の社名は、奈良時代に編まれた『出雲国風土記』や平安時代の『延喜式』に見えますが、その創祀と創建は定かではありません。
社伝によれば、三柱の主祭神は、父神である素戔嗚尊と共に斐伊川の源流、仁多郡鳥上の峰に来たり坐して、木種を四方に播き植えつつ、当地に至って御鎮座されたといいます。当社はもともと、現在地より南西方向へ約800mほど隔てた所にあった斐伊川の中州(現、神立橋の大津町より付近)に鎮座していました。ところが、江戸時代の寛文年中、大洪水に伴う斐伊川の流路変更の影響により、社殿、社地を他所へと移転せざるを得なくなり、寛文10年(1670年)、近隣の万九千社境内に社殿造営を果たして御遷宮されました。なお、当社はたびたび社地を遷しており、より古くは旧出雲郡河内郷(現、仏経山西方の斐伊川中州あたりか)に鎮座していたとされています。
現境内地に遷られて以降、当社は「神立大明神などと呼ばれていました。明治維新以降は古称に復し、「立虫神社」と名を改めて村社に列せられました。大正9年(1920年)には、旧千家村に鎮座していた客神社を合祀。これ以降、旧併川村の氏神、産土神として今日に至ります。先の大戦以降は、神社本庁所属となり、昭和50年(1975年)には、島根県神社庁から特に由緒があり祟敬の篤い神社として、特別神社の称を賜りました。












| 名称 | 立虫神社 |
|---|---|
| 読み方 | たちむしじんじゃ |
| 参拝時間 | 参拝自由
|
| 参拝にかかる時間 | 約20分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0853-72-9412 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.mankusenjinja.jp/ |
| ご祭神 | 《主祭神》 五十猛命 大屋津姫命 抓津姫命 《配祀神》 大穴牟遅命 伊弉冉大神 |
|---|---|
| ご神体 | 不詳 |
| 創建時代 | 不詳 |
| 創始者 | 不詳 |
| 本殿 | 大社造 |
| ご由緒 | 「立虫社」、「立虫神社」の社名は、奈良時代に編まれた『出雲国風土記』や平安時代の『延喜式』に見えますが、その創祀と創建は定かではありません。
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| 体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り伝説 |
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