くまおかじんじゃ
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何気なく通り過ぎにお参りさせて頂きました。
階段がありましたが、横から車の道が有るかと探したのですが、見当たらず、勇気を出して、登らして頂きました、93段の石段の上に本殿が有ります。
後鳥羽上皇が国家安全祈願して社号を変えた「熊岡神社」
東上坂近江線沿い。周囲は田んぼばかり
鳥居北側に3台ほど駐車できそうなスペースあり。ちょっと坂になっているので進みすぎるとそのまま川にダイブするようになってる。
石標に石灯籠に鳥居。鎮守の森になり木々が覆ってる。
石橋を渡って境内。左手に神輿小屋?右手上に鐘楼。正面にずーっと続く石階段。
階段に「トレーニングの無断使用禁止」と看板あり。この階段、登る足がずっと一緒になる使用だし、段が全部斜めになってるので降りる時滑るので結構危険。
階段頑張って登ったら鳥居と御手水と拝殿。横から車で行けるかな?と一瞬思ったけど階段以外で登る手段ない。
道路沿いに由緒書あり。大きい神社だが無人で授与所ない。
元は「八幡宮」って名前だったが、後鳥羽上皇が国家安全祈願した時に社名を変更した。
歴史
熊岡神社は、その昔、八幡宮と呼ばれ、1220(承久二年)後鳥羽上皇がご臨幸されたとき、「熊岡神社」と社名を賜りました。社伝「八幡宮紀」には、772(宝亀三年)名越童子が創建し、応神天皇、神功皇后、飯豊天皇の3座を祭神として祀ったことが始まりと記されています。
また、熊岡山縁起の一説に「昔有熊長八丈、化而為岡故名爲」とあります。この文章は、昔この地に大きな熊がいて、その熊が臥死して、岡を形成したという意味と思われ、この地と熊との関わりの深さを示しています。
このあたりの昔話によりますと、西黒田で生まれ育った金太郎は、大熊の伝説が残るのこの地で、熊や他の動物を元気よく遊び回ったと言われています。その姿が上京途中の源頼光の目にとまり、召し抱えられ、その後、坂田金時と名を変えた金太郎は、源頼光の四天王の一人として、伊吹山の山賊退治などに活躍したと伝えられています。
名称 | 熊岡神社 |
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読み方 | くまおかじんじゃ |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
詳細情報
ご祭神 | 《主》応神天皇,神功皇后,飯豊天皇 |
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創建時代 | 宝亀三年(772) |
創始者 | 名越童子 |
本殿 | 三間社流造 |
ご由緒 | 熊岡神社は、その昔、八幡宮と呼ばれ、1220(承久二年)後鳥羽上皇がご臨幸されたとき、「熊岡神社」と社名を賜りました。社伝「八幡宮紀」には、772(宝亀三年)名越童子が創建し、応神天皇、神功皇后、飯豊天皇の3座を祭神として祀ったことが始まりと記されています。
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体験 | 伝説 |
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