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みょうりゅうじ|日蓮宗霊亀山

妙立寺
滋賀県 田村駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

境内

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🌷日向ぼっこ☀️🐇
2023年12月13日(水)
740投稿

🌼妙立寺(みょうりゅうじ)へ参拝させて頂きました🙏 🌸 🍁当山は、京都の日蓮宗本山・立本寺の末寺であり、正治元年(1198)御潜幸中の後鳥羽上皇が天台宗の祈願所として創建され十五の末寺があったと伝わります。 ☘️延慶二年(1309)日蓮聖人の孫弟子である日像上人が、弟子の大覚上人を伴い、北陸伝道の途中、長浜を訪れ布教をされました。🌺日像上人の説法を聞いた住職・檀信徒達が上人に、帰依・改宗し、荒廃していた妙立寺の再建を懇願し、日像上人はこの地を訪れ「霊亀山妙立寺」を再建され、大覚上人を開山として定めましたが、度重なる戦火で焼失しました。🌼当時、京都大本山・妙顕寺第二世の法灯を継いだ大覚上人は西国(備前・備中)伝道中でしたが、知らせを聞き再び訪れ当寺を再建されました。 
🌸天正七年(1579)『安土法論』の法難を受け、織田信長によって伽藍は尽く灰燼に帰しました。時の檀信徒達の発起で天正十一年(1583)に堂宇が再建されました。 ☘️寛政六年(1794)「村雲御所・第八世常孝院宮日照大比丘尼」(霊元天皇の皇祖孫・日照女王)」門跡を永代供養する事になり、祈願所となりました。 🍁山門横の『千箇寺部屋」には、参詣者の書き残した「らくがき」が現存します。境内には、後鳥羽上皇のお手植えの「鳥羽桜」、お手洗いの井戸の「岩亀水」や「詠歌」が伝わります。

🌷🌷お食事処さつき (田村/食堂)🍲この地域で愛される食事処。なかなかコスパ高い優良店で、なるべく安く、それでいてボリュームも欲しい、という人にはかなりおすすめ出来ます。田舎の定食屋というキャッチフレーズそのまま、定食はじめカレーや麺類などメニューも実に豊富です。🌷🌷

👣所在地 : 滋賀県長浜市加田町107

妙立寺(滋賀県)

   焼きそば定食  
      お食事処さつき (田村/食堂)

妙立寺の御朱印

   御朱印 「.妙立寺 」

妙立寺(滋賀県)
妙立寺(滋賀県)
妙立寺(滋賀県)
妙立寺(滋賀県)
妙立寺(滋賀県)
妙立寺(滋賀県)
妙立寺(滋賀県)
妙立寺(滋賀県)

   お食事処さつき (田村/食堂)

妙立寺(滋賀県)

   ハンバーグ定食  
     お食事処さつき (田村/食堂)

妙立寺(滋賀県)

   唐揚げ定食 ご飯大盛り
      お食事処さつき (田村/食堂)

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歴史

当山は、京都の日蓮宗本山・立本寺の末寺であり、正治元年(1198)御潜幸中の後鳥羽上皇が天台宗の祈願所として創建され十五の末寺があったと伝わります。
延慶二年(1309)日蓮聖人の孫弟子である日像上人が、弟子の大覚上人を伴い、北陸伝道の途中、長浜を訪れ布教をされました。日像上人の説法を聞いた住職・檀信徒達が上人に、帰依・改宗し、荒廃していた妙立寺の再建を懇願しました。日像上人はこの地を訪れ「霊亀山妙立寺」を再建され、大覚上人を開山として定めましたが、度重なる戦火で焼失しました。当時、京都大本山・妙顕寺第二世の法灯を継いだ大覚上人は西国(備前・備中)伝道中でしたが、知らせを聞き再び訪れ当寺を再建されました。
天正七年(1579)『安土法論』の法難を受け、織田信長によって伽藍は尽く灰燼に帰しました。時の檀信徒達の発起で天正十一年(1583)に堂宇が再建されました。
寛政六年(1794)「村雲御所・第八世常孝院宮日照大比丘尼」(霊元天皇の皇祖孫・日照女王)」門跡を永代供養する事になり、祈願所となりました。
山門横の『千箇寺部屋」には、参詣者の書き残した「らくがき」が現存します。境内には、後鳥羽上皇のお手植えの「鳥羽桜」、お手洗いの井戸の「岩亀水」や「詠歌」が伝わります。

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妙立寺の基本情報

住所滋賀県長浜市加田町107
行き方

JR北陸本線 田村駅[出口]から徒歩約25分
※駅前でレンタサイクルを利用することができます。

アクセスを詳しく見る
名称妙立寺
読み方みょうりゅうじ
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0749-62-6851
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

山号霊亀山
宗旨・宗派日蓮宗
創建時代正治元年(1198)
開山・開基後鳥羽上皇
ご由緒

当山は、京都の日蓮宗本山・立本寺の末寺であり、正治元年(1198)御潜幸中の後鳥羽上皇が天台宗の祈願所として創建され十五の末寺があったと伝わります。
延慶二年(1309)日蓮聖人の孫弟子である日像上人が、弟子の大覚上人を伴い、北陸伝道の途中、長浜を訪れ布教をされました。日像上人の説法を聞いた住職・檀信徒達が上人に、帰依・改宗し、荒廃していた妙立寺の再建を懇願しました。日像上人はこの地を訪れ「霊亀山妙立寺」を再建され、大覚上人を開山として定めましたが、度重なる戦火で焼失しました。当時、京都大本山・妙顕寺第二世の法灯を継いだ大覚上人は西国(備前・備中)伝道中でしたが、知らせを聞き再び訪れ当寺を再建されました。
天正七年(1579)『安土法論』の法難を受け、織田信長によって伽藍は尽く灰燼に帰しました。時の檀信徒達の発起で天正十一年(1583)に堂宇が再建されました。
寛政六年(1794)「村雲御所・第八世常孝院宮日照大比丘尼」(霊元天皇の皇祖孫・日照女王)」門跡を永代供養する事になり、祈願所となりました。
山門横の『千箇寺部屋」には、参詣者の書き残した「らくがき」が現存します。境内には、後鳥羽上皇のお手植えの「鳥羽桜」、お手洗いの井戸の「岩亀水」や「詠歌」が伝わります。

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