おいそじんじゃ
奥石神社のお参りの記録一覧
紀元前286年石辺大連が老蘇森に神壇を築き大歳神御子を祀ったのが始まると伝わる。
現在の本殿は1581年柴田家久によって造営されたもので重文指定されている。
拝殿
拝殿
中門
本殿
本殿
本殿
諏訪社
諏訪社
老蘇森(おいそのもり)
老蘇森(おいそのもり)
吉住稲荷社
神楽殿
奥石(おいそ)神社さんにもお参りさせて頂きました。
長男の自宅からは車で5分程のところにあります。
こちらの住所は近江八幡市老蘇と言うところなのですが…老いて蘇るなんて素敵だなぁ
こちらの神社さんは老蘇の森と呼ばれる場所の中にあります。
とても綺麗に手入れのされた神社さんでした。
小さな池もありました。
お隣には小さな子供にはピッタリのレトロな遊具(ブランコや滑り台)が有りました。
今度4歳と2歳の孫たちを連れて遊びにこようと思いました。
こちらは国道8号線と新幹線が並走する場所のから少し中に入ったところにあるので、駐車場から新幹線の🚅姿も音も楽しめました。
全てスタンプで押してくださる御朱印でした。
【近江國 式内社巡り】
奥石神社(おいそ~)は、滋賀県近江八幡市安土町東老蘇にある神社。式内社で、旧社格は県社。祭神は天児屋根命。別名は「鎌大明神」、「鎌宮(神社)」。本殿は国指定の重要文化財。なお、所在する「老蘇森(おいそのもり)」は国指定の史跡。
社伝(1384年『奥石神社本紀』)によると、第7代孝霊天皇5年(375年)に石辺大連が老蘇森に神壇を築いて大歳神御子を祀ったことに始まる。第10代崇神天皇の御代に吉備津彦が宮殿を設けて澳津比古命、澳津比売命を、第15代応神天皇の御代に賀佐朝臣(吉備津彦後裔)が日本武尊、橘比売命を配祀したとされる。一説には繖山(きぬがさやま)を神体山とする原始信仰に始まる神社とされ、現在地は繖山山頂の磐座を遙拝する里宮とする説がある。社伝では、平安時代の851年には正六位上の神階を奉授したとされる。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「近江國 蒲生郡 奥石神社 小」に比定されている。安土桃山時代の1581年に社殿が再建され、近世には本殿に火除竈神が祀られ、「竈」の字に「鎌」の字が充てられたことから、「鎌大明神」、「鎌宮(神社)」と称された。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格し、「奥石神社」と改称した。
当社は、JR琵琶湖線・安土駅の南東3kmの平地、田園地帯脇の森(老蘇森)の隣にある。近くには幹線道路(国道8号線)が走っており、旧中山道沿いにある。境内はかなり広大で、南側入口から入ると、巨木が林立する参道を通って、空が抜けた社殿周りに到達する造り。幹線道路近くの東側の入口から入ると、広く明るい公園(庭園)を抜けて社殿周りに至る。社殿は舞台のような拝殿と、瑞垣で囲われた本殿が分離された形式で豪壮な感じ。本殿は国指定の重要文化財でもあり見応え十分。
今回は、近江國の式内社、滋賀県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の昼過ぎで、自分以外には参拝者はいなかった。
境内南端入口全景。旧中山道に面している。周囲は昔ながらの閑静な住宅街。
左手の石柱には<安産守護 鎌宮>とある。
<鳥居>と<社号標>。鳥居から社殿までは200m近くある。
社殿までまっすぐ伸びる参道。木々の包まれ感が心地良い。
参道左手にある<吉住稲荷神社>。
<吉住稲荷神社>の社殿。
吉住稲荷神社そばにある<御神木>。
社叢エリアの先には、明るい社殿周りが見えてくる。
参道左側の<狛犬>。かなり年季が入っている。
参道左側の<狛犬>。一部削れてしまっていて、ちょっとかわいそう。
参道正面の眺め。広々とした境内に大きな社殿。境内は広いのに、非常によく掃き清められている。気持ちが良い空間。
参道右手の<手水舎>。
参道右手の建物。
手前に<拝殿>、奥に瑞垣に囲われた<本殿>という造り。
<拝殿>全景。大きく端正な造り。
拝殿前左側の<狛犬>。
拝殿前右側の<狛犬>。
<拝殿>全景。バランスの良い美しい外観。
社殿の左手(西側)にある、国の史跡<老蘇森(おいそのもり)>。古くは平安時代の歌に見られ、『梁塵秘抄』などの書物では近江國の歌枕として紹介されているとのこと。
老蘇森はそこそこ鬱蒼としているが、普通に歩いて回ることができる。古代、石辺大連が木々の苗を植えて神々に祈ると、大森林になって石辺大連は百数十歳まで生きながらえたため<老蘇森>と名付けられたとのこと。
社殿の左手(西側)の建物群。
<本殿>周り全景。瑞垣には2つの中門がある。門の屋根まで檜皮葺。
まず左側の中門で参拝する。こちらは境内社の<諏訪社>。
中門の中を覗くと、隣に比して小さめの<諏訪社の本殿>。安土桃山時代の造営とされている。一間社流造、檜皮葺。
つづいて右側の中門で参拝する。こちらが本社の本殿。
右側の中門の内側にある<本殿>。安土桃山時代1581年の造営。三間社流造、向拝一間、檜皮葺。国指定の重要文化財。美しい!(o^―^o)
<本殿>全景。
本殿の右手(東側)にある<社務所>。御朱印はこちら。
社務所の南側にある<神池>。
社務所の東側から裏参道が伸びているが、芝生と樹木中心の自然公園のようになっていて、子連れ家族がピクニックをしていた。(o^―^o)
境内北東側にある広々とした裏参道入口。ここにも大きな<社号標>。(^▽^)/
安土を訪れたおり、国道を走っている時に見つけた神社。
老蘇の森は聞いた事があったので立ち寄ってみました。はじめ「奥石」とかいて「おいそ」とは読めませんでした。
境内の砂利が石庭の様に綺麗に整えられていて無下に歩くのを躊躇うほど…。
鳥居 扁額が変わった意匠
説明板
参道途中の御神木杉
老蘇の森
拝殿
本殿
境内の砂利が枯山水の石庭の様に綺麗にスジが…
御神紋
(能登川から竜王に移動中)例によってナビに赤い神社アイコンがそこに出てきたので立ち寄り。御油印やお守りの窓口があるわけではなく、社務所玄関に御朱印・ご祈祷はお声がけ下さいとの表示。御朱印もいただきました。
本殿は重文です。(桃山時代)神紋は鎌(違い鎌:滋賀県神社庁の解説では左鎌となっています)です。似た紋をを見たことあるのですが、出てきません。(鎌といえば諏訪で、本境内にも諏訪神社があります)ここはもともと竈系の神社(鎌宮と呼ばれていた)で竈が転じて鎌となりそのころ神紋が鎌になったという話もあります。
さて、ここ「おいそ神社」の住所ですが、合併により近江八幡市安土町です。住所入力で最新地図のナビの場合はお気を付けください。
滋賀は歴史のある寺社がおおすぎて、ついで参拝1日2社×年5回で主要100社でも10年かかりますね。
重文本殿(手前の門は諏訪神社の門)
舞殿
鎌の紋
近江国蒲生郡の式内社です。石部神社といい、石の字を冠する神社が多いですね。
奥に石、というのは、神体山である繖山の磐座のことをさしてるんでしょうか。
《鳥居と社号碑》
《表参道》
しめ飾り…でしょうか?かなり大きいです。
あとで調べましたがこれは「勧請縄」というもので滋賀県の湖南地域の神社に見られるものです。輪っかの形の中に「トリクグラズ」という小さな御幣みたいなものを立てて参道に設置することで、神社や氏子地域への魔や疫病の侵入を防ぐ役割を果たしているそうです。
《末社・吉住稲荷神社》
お世話になっています!!!
《御神木》
《境内》
《手水舎》
《外拝殿》
《本殿》
安土桃山時代の再建で、国の重要文化財に指定されています。
《諏訪社》
春には葉の茂る良い風景となります。
☆チェックポイント!!
奥石神社の社叢は「老蘇森」と呼ばれ荒地を植林し祈願して繁ったとされており、植えた石辺大連は100歳を超えて長生きしたと言います。
植物の長い寿命と活力を得られる神社です。
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