くわのみでら|天台宗
桑実寺のお参りの記録一覧
安土城跡の石段でへろへろになっていましたが、鞭打って桑実寺に登ってきました。
駐車場はGooglemapの位置にとめて、山門へ。杖を借りて登りました。
総門
総門付近のお地蔵様
案内図
振り返ると
地蔵堂
みえた
本堂
手水舎
鐘楼
ご詠歌
本堂から外を見る
ご内陣へ
本堂東から
太子堂
677年天智天皇の勅願寺として定恵(藤原鎌足の長男)によって開かれたと伝わる。
寺名は定恵が唐から桑の木を持ち帰り、日本で始めて養蚕を開始したことに由来する。
1532年室町幕府12代将軍・足利義晴が仮幕府を開いている。
織田信長の保護も受けており、戦国時代の兵火とも無縁であった。
室町時代前期建築の本堂は重文指定されている。
本堂
山門
地蔵菩薩
地蔵堂
本堂
本堂
本堂
本堂
本堂
本堂
本堂厨子
本堂厨子
大日如来
鐘楼
鎮守三社
鎮守三社(中央)大黒天
鎮守三社(左)スサノオノミコト
鎮守三社(左)スサノオノミコト
鎮守三社(右)スサノオの妃
鎮守三社(右)スサノオの妃
大師堂(経堂)
滋賀県寺院巡りの2寺目は、1寺目の浄厳院と同じく近江八幡市に在る繖山 桑實寺(くわのみでら)です。
天台宗で、本尊は薬師如来(秘仏)。
12年に1度の秘仏開帳が4/8~5/10でしたので参拝しました。この秋の11/1~11/30にも開帳されます。
伝えによれば、天智天皇の第4皇女の阿へが病になり、病気回復を藤原鎌足の長男の定恵和尚に祈らせた所、琵琶湖より薬師如来が現れ光明が射した。この光明により病が治ったため天智天皇の勅願により薬師如来を本尊とし定恵和尚を開山とし667年に桑實寺を建立した。
寺名の桑實寺は、定恵和尚が中国から桑の木を持ち帰り、日本で最初に養蚕を始めた事から名付けられたとの事です。
駐車場有りとの事でナビで向かうと道が細くなり、突き当たりが石段となって先へ進めず、バックで戻ってウロウロしていたら小さな案内看板を見付けたのでその通りに行くと10台程度停めれる駐車場がありました。
脇から石段の参道に合流します。西国三十三所観音霊場の観音正寺へ行く道もあります。
少し上がると山門。更に500段位の石段を上がらないといけません。何とか13分掛かって境内に着きました。石段最後の左側に手水、その上に拝観受付です。汗を拭いて少し息を整えて拝観料(300円)を納めて、御朱印も頂きました。
目の前は本堂。右側の上手には鎮守三社と弘法堂(経堂)、左側には鐘楼。本堂は左側に回り込んで横から入ります。天台宗の本堂らしく下陣と内陣は格子ではっきり分けられています。先ず下陣で手を合わせてから、内陣に入らせて頂き、諸仏を拝観させて頂きました。
真ん中の厨子は開扉され中に秘仏本尊の薬師如来坐像、その前に本尊お前立。厨子の左右に日光菩薩立像と月光菩薩立像。その左右に不動明王立像と毘沙門天立像、その後に左右6躯ずつの十二神将。全体的にやや小ぶりの像ながら纏りがあって壮観です。
須弥壇の奥の左右の後陣にも諸仏が安置されています。右側には阿弥陀如来、不動明王、弁財天。左側には阿弥陀如来、大日如来。この大日如来は1483年の三重塔建立の際に作られたものですが、三重塔は老朽化により明治時代に取り壊しになったため本堂に移されました。
新緑の緑とツツジが綺麗でした。
御朱印
山門
山門直ぐ上の地蔵堂
途中の地蔵堂
手水
本堂
須弥壇
不動明王、六神将
日光菩薩
本尊、本尊お前立
本尊お前立
本尊·薬師如来
月光菩薩
毘沙門天、六神将
弁財天、不動明王、阿弥陀如来
大日如来、阿弥陀如来
鐘楼
鎮守三社
弘法堂(経堂)
頂いた御詠歌の散華
滋賀県の桑実寺に行きました。
木の杖をついて登るというプチ山登り。
でも御住職は不在で
御住職宅にお伺いすることに。
薬壺のようなデザインの
金色の御朱印が素敵です(*´∀`*)
桑実寺の入り口
かなり階段を登ります。。。
薬壺型が可愛いです♡
西国三十三観音の三十二番札所、観音正寺から観音寺城の石垣などを見ながら下って行くと、桑実寺の境内に出ました。趣のある古刹でした。
ウイキペディアによると、歴史は古いようです。
※以下引用
寺伝では、天智天皇の四女、阿閉(あべ)皇女(元明天皇)の病気回復を僧に祈らせたところ、琵琶湖から薬師如来が降臨し、阿閉皇女の病気を治して去り、それに感激した天智天皇の勅願により、藤原鎌足の長男、定恵が白鳳6年(677年)に創建したと伝えられている。寺名は、定恵が唐から持ち帰った桑の実をこの地の農家にて栽培し、日本で最初に養蚕を始めたことに由来する。
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