ささきじんじゃ
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楽しみ方沙沙貴神社のお参りの記録一覧(2ページ目)

萩と曼珠沙華のカラフルな御朱印。月替わりで違うお花に変わるのでまた行きたいなあ

萩

曼珠沙華

ここで初めて黄色の曼珠沙華見ました♪

なんじゃもんじゃの木を見に行きました。
雪が積もったように、綺麗な花でした。


なんじゃもんじゃの木。
見事な花でした。雪が積もったよう❣️

花はこんな感じ。



















先の浄厳院へ向かう際にこの神社の横を通り、次の寺院へ向かう際にも来た道を戻ったため、折角ですので参拝しました。(浄厳院から約1km)
参拝者が割と多いなあ、この地域は信心深い方が多いなあと思っていたら、「なんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)」の木が見頃だった様です。
こちらは宇多源氏の流れをくむ佐々木氏の氏神。佐々木氏発祥の地とされています。
御祭神は四座五柱で、総称は佐佐木大明神。
・少彦名神(スクナヒコナノカミ)
・大毘古神(オオヒコノカミ)
・仁徳天皇(オオサキノスメラミコト)
・宇多天皇(ウダノスメラミコト)、敦實親王(アツミノミコ)
「なんじゃもんじゃ」の木は大きくて綺麗でした。社務所で御朱印を頂きました。こちらもスタンプ式でした。

御朱印




楼門

楼門の扁額

手水

拝殿

絵馬殿

幣殿

少彦名神拝所

権殿


境内社



東廻廊、楼門、手水

なんじゃもんじゃの木




【近江國 式内社巡り】
沙沙貴神社(ささき~)は、滋賀県近江八幡市安土町常楽寺にある神社。式内社で、旧社格は県社。祭神は少彦名命、大彦命、仁徳天皇、宇多天皇、敦実親王(5柱合せて「佐佐木大明神」と総称)。
創建は不詳。社伝によると、神代に少彦名神がササゲの豆の鞘に載って海を渡って来たことから、当地を「ササキ」と呼び、少彦名心を祀ったことが始まりとしている。古代に沙沙貴山君が大彦命を併せて祀り、景行天皇が志賀高穴穂宮への遷都に際して大規模な社殿造営をさせたと伝わる。平安時代に宇多源氏の源成頼が当地に土着すると佐々木姓を名乗るようになり、佐々木山君の子孫である沙沙貴氏と次第に融合すると、沙沙貴氏の氏神である当社に宇多源氏の祖である敦実親王とその父・宇多天皇を合祀し、自らの氏神とした。戦国時代、佐々木氏の嫡流・六角氏が近江守護であったが、織田信長に敗れ放逐され、当地は信長の支配下に入った。信長は付近に安土城を築城したが、当社は破却を逃れた。江戸時代後期の天保年間(1831年~1845年)に火災で社殿を焼失するが、1848年に宇多源氏後裔の丸亀藩主・京極高朗により再建された。明治に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR琵琶湖線・近江八幡駅の南方600mののどかな田園が近い住宅地にある。境内はかなり広々していて、茅葺屋根の隋神門にはじまる神域は、玉砂利が敷き詰められ、拝殿、本殿等建造物ははそれぞれ相当立派。神職の方々の行き届いた手入れも素晴らしいが、現在でも氏子信者の信仰の篤さが伝わって来る。
今回は、近江國の式内社、滋賀県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、自分以外にも参拝者が数組訪れていた。

境内北東端入口全景。広々とした入口。

境内入口の<鳥居>。参道がまっすぐに伸びている。狛犬は新しそう。

参道の突き当り。ここで参道は右折。

右を向くと、また参道がまっすぐ伸びている。非常にきれいに掃き清められていて、気持ちが引き締る。

参道突き当りにある、藁葺の<楼門>。独特でインパクトがある外観。

楼門の扁額は、明治中期、有栖川宮熾仁親王の揮毫。

楼門をくぐったところからの眺め。大きな拝殿の背後に分離式の本殿が見える。
社殿等は江戸時代後期の天保年間(1831年~1845年)に火災で焼失、1848年に丸亀藩主・京極高朗により本殿、権殿、拝殿、楼門などが再建された。

楼門をくぐって右側にある<手水舎>。

手水舎の後ろにある<御祓所>。

楼門をくぐって左手やや遠いところにある<絵馬殿>。

絵馬殿近くから見た<拝殿>。

<拝殿>全景。

拝殿後ろの<幣殿・本殿>。五間社流造、向拝三間、銅板葺。

<幣殿>正面。

逆サイドから<幣殿・本殿>全景。

幣殿・本殿の左隣に建つ<権殿>。

<幣殿・本殿>と<権殿>の間にある<少彦名神>の拝所。

少彦名神の磐境(いわさか)そばから見た、本社の<本殿>。

<権殿>全景。
中央の座祭神:置目姫命(おきめひめのみこと)・狭狭城山君の祖倭帒(やまとふくろ)宿禰の妹、源雅信公、源秀義(佐々木秀義)公、源氏頼(六角氏頼)公。
東の座祭神:乃木希典命、乃木静子命。
西の座祭神:沙沙貴郷、旧蒲生郡の明治・大正・昭和での戦没者参千七百余柱命。

<権殿>正面。

権殿に向かって左後ろのある<呑月の庭>。

権殿に向かって左手にある<神輿庫>。門が開け放たれていて、装飾が美しい神輿を見ることができる。

権殿の左隣にある、境内社ゾーン全景。

左側から1社目、<少童(わたつみ)さま>。日本神話の海の神。海童神社とも。

2社目は<影友稲荷さま>。

3社目は<加茂さま>。扁額は賀茂別雷大神・賀茂御祖大神。

4社目は<愛宕さま>。扁額は愛宕社本宮。

最後5社目は<祇園之社>。八坂大神、津島大神とある。

境内社の前に建つ<八角神殿>。伊勢神宮の式年遷宮の御用材で造営とのこと。

社殿の背後に一列に並ぶ<干支の庭>。

社殿の裏手から見た<本殿>。

社殿の裏手にある<石燈籠>。竿部分に鎌倉時代後期の正安二年(1300年)の刻文があり、笠と火袋は後補とのこと。

当社の神紋「七ツ割、平四ツ目、目結紋」は佐々木氏のルーツ。

社殿に向かって右手にある<社務所>。御朱印はこちら。

最後に、華美ではない豪壮な<社殿>全景。(^▽^)/

この神社を知ったのは『神様の御用人』と言う本を読んだ時でした。
あれ?近くだなぁと思い訪ねたのが最初でそれから時折足を運んでいます。
ロウバイやなんじゃもんじゃの木など季節ごとの花が迎えてくれます。

とても立派な楼門です。



このお隣にとても大きなひとつばたご(なんじゃもんじゃの木)が参拝者さんを迎えてくれます。

近江国蒲生郡の式内社です。宇田源氏から分かれた佐佐木源氏の氏神で、佐々木性の起源の神社とも言われています。ちなみに私の知り合いで佐々木さんは4人います。

《鳥居》

《楼門》
門に対して屋根がかなり大きいです。

《外拝殿》

《授与所》

《拝殿》
本殿にかけて改装中


☆チェックポイント!
拝殿を正面にして左側は白い壁で囲まれています。
見覚えのある所だと、お城の城壁がよく似たデザインですね。

《権殿》
拝殿の左側にあります。権殿とは、一般的に本殿が改修工事などを行なっている間、御祭神(御神体)に一度遷座していただく仮の御殿として扱われています。

《末社》

八坂社、愛宕社、加茂社、稲荷社、少童社があります。

《歳徳神》その年の恵方に向いてお参りするそうです。

《庭園》
この向かい側に干支の動物の像があります。

御朱印は鳥居と楼門の扁額の文字の2種類あり、御朱印帳も用意してます。
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