しょうじゅらいこうじ|天台宗
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聖衆来迎寺について
坂本城の城門
こちらにも坂本城から移築されたという城門が残っています。
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天台宗 紫雲山 聖衆来迎寺さま
年に一度の虫干し会に参拝して来ました。
昨年は台風🌀に見舞われ、虫干し会は急遽中止になりました。2年越しに待ちに待った寺宝の展覧です。
今日のこの日を楽しみにされた方々が、朝からたくさん参拝されていました。
(以下ネット参照)
比叡辻(ひえいつじ)二丁目の湖畔にある天台宗の寺院。寺伝では最澄(さいちょう)(768-822)の創建で、平安時代初期に源信(げんしん)(942-1017)が念仏道場として聖衆来迎寺と改称したといいます。中世を通して延暦寺の念仏道場として栄え、戦国時代、織田信長による焼打ちのときも森蘭丸(らんまる)の父である森可成(よしなり)の墓があったために難を逃れ、優れた寺宝を数多く所蔵しています。
国道161号に面して旧坂本城の門を移したという表門があり、白壁の塀を巡らせて堂々としています。境内には、珍しい石造の巡縁の本堂や狩野探幽守信、尚信、信政、久隅守景筆の水墨障壁画がある客殿もあります。このほか、建築物・石造物・美術工芸品にわたって国宝・重要文化財が数多くあり、そのため比叡山の正倉院の異名をとっています。
これらの寺宝は、毎年8月16日の虫干会(むしぼしえ)に展覧されます。
〈国宝〉絹本著色六道絵(15幅)
〈重文〉客殿 木造釈迦如来坐像 木造十一面観音像 木造地蔵菩薩立像 木造日光仏立像 木造月光仏立像 鋼造薬師如来立像 絹本著色釈迦三尊十六善神図 絹本著色阿弥陀二十五菩薩来迎図 絹本著色十六羅漠図(2幅) 絹本著色楊柳観音像 法華経(8巻) 霊山院釈迦堂毎日作法 推朱香盆 絹本著色十二天像 犀角如意 鋳銅三具足 銅水瓶
【聖衆来迎寺庭園】 県指定名勝
聖衆来迎寺の客殿(書院)の東側にある庭園。枯山水を基調に珍しい「立花」の構成を応用しています。客殿から庭を眺めると中央奥の立石が「心」、その手前が「小心」、石橋を渡ったところが「見越」、その手前の集団石組が「請」、石橋の手前の石組群が「流れ」、ソテツのあるところが「銅」という具合に、立花の様式になっているのです。立花になぞらえることで、仏への敬虔(けいけん)を表したのでしょうか。
また、この庭園には鶴島・亀島があるので蓬莢(ほうらい)山式の庭ともいえます。このような折衷(せっちゅう)が行われているのは全国的に珍しいことです。また、庭園南の書院の縁先に、石造宝塔(せきぞうほうとう)の笠をさかさにして、太陽と月を組み合わせた手水鉢(ちょうずばち)があります。水を入れると三日月形が浮かぶので「月見の手水鉢」と呼ばれ、庭園のアクセントになっています。県指定の名勝になっています。
所在地
大津市比叡辻2-4-17
アクセス
公共交通機関
JR琵琶湖線 「大津」 下車 バス 20分 来迎寺鐘化前
JR湖西線 「比叡山坂本」 下車 徒歩 15分
京阪電鉄/石山坂本線 「京阪坂本」 下車 徒歩 20分
車
湖西道路下阪本ICから5分
駐車場
普通車 20 台
大型車 1 台
料金
500円(事前申込)
普段は予約の要
自宅から僅か15分足らずの場所に、こんなにも素晴らしい寺宝が御坐すお寺さまがあることに、深く感動、感謝の思いが込み上げて来ました。
歴史に疎いことを恥ずかしく思いながらも、難しいことは抜きにして、肌で感じる空気感、歴史を感じさせる重厚感、数々の仏像さまの、こちらの心を見抜かれているような、厳しくもあり慈悲深い眼差し。
ずっと仏様と対峙していたくなるような、貴重なひと時を頂きました。
御朱印は、湖国十一面観音霊場 第三番札所
びわ湖百八霊場 第十二番札所を頂きました。
(こちら聖衆来迎寺さまにて、近江湖西二十七名刹 満願結縁しました。🙂↕️🙏🏻)
誠にありがとうございました🙂↕️🙏🏻
編集中
寺院東に表門を開く。
旧坂本城から移築した。
手水舎
鐘楼
本堂
堂内
堂内写真撮影禁止のところ、撮影が許された
国宝 六道絵 十五幅(模写)
①閻魔庁図
①解説
②等活地獄図
②解説
③黒縄地獄図
③解説
④衆合地獄図
④解説
⑤阿鼻地獄図
⑤解説
⑥餓鬼道図
⑥解説
⑦畜生道図
⑦解説
⑧阿修羅道図
⑧解説
⑨人道不浄相図
⑨解説
⑩人道苦相図Ⅰ
⑩解説
11 人道苦相図Ⅱ
11 解説
12 人道無常相図
12 解説
13 譬喩経説話図
13 解説
14 優婆塞戒経説話図
14解説
15 天道図
15 解説
開山堂
今日。虫干し会のこの日でも、お堂は閉じています。
檀家さんに、「御開帳される日はありますか?」とお尋ねしたら、「私らも見たこと無い。滅多に開かへんなぁ。」とのことでした。🥲
中には、徳川家康、源信、天海が祀られているとのこと。
一目、拝観したいものです🙂↕️🙏🏻
森可成の墓所
今回は滋賀県大津市の寺院巡り
1寺目は紫雲山 聖衆来迎寺です。「しょうじゅらいこうじ」とはなかなか読めませんね。
天台宗で、本尊は阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来の三尊。
その他多数の仏像が文化財に指定されており、また、六道絵15幅が国宝に指定されております。六道絵は全て各地の博物館に寄託されておりますが、毎年8月16日の虫干しの日にこちらに数幅戻されて拝観可能で、仏像も拝観可能となるため、この8月16日に訪れた次第です。
2年前の8/16に来ましたが客殿が工事中のため公開中止(投稿済みですので宜しかったら見てやって下さい。)、昨年は台風来襲予報のためまたしても公開中止、今年は3年振りの公開でやっと拝観出来ました。
(六道絵以外ならば事前予約で拝観可能との事ですが、ご多忙のため難しいらしい。)
伝えによれば、790年に最澄が地蔵菩薩を本尊として地蔵教院として創建したのが始まりという。1001年に恵心僧都・源心が紫雲の中に弥陀聖衆の来迎を感得したため紫雲山聖衆来迎寺と改め、念仏道場の寺とした。戦国時代の織田信長の比叡山焼き討ちの際、境内に織田信長の家臣であった森可成の墓があったため焼き討ちから免れた。明治時代初期の廃仏毀釈の影響もなく現在に至ります。
駐車場に着くと多数の車、間違いなく公開していると一安心。(2年前は1台も停まっておらず)
表門をくぐって境内に、正面は開山堂で、その手前右側に本堂と客殿。早速本堂に上がらせて頂きます。靴が一杯置かれてます。多くの方がいらっしゃってますね。下陣にはレプリカの六道絵が掛けられていて、皆さん熱心に解説と絵を見られています(ここまでなら無料)。右側に檀家さんが拝観受付されていて、拝観料(500円)を納めて内陣に入りました。内陣中央の須弥壇に本尊の三尊。左から釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像、薬師如来坐像。この中の釈迦如来坐像が鎌倉時代の作で重文、阿弥陀如来坐像は南北朝~室町時代の作、薬師如来坐像は江戸時代の作とバラバラなのが残念なところ。三尊の後の檀の両側にそれぞれ地蔵菩薩立像が安置されていますが、左側の厨子に収まっている方が鎌倉時代の作の重文です。
本堂を出て廊下で繋がった客殿へ。各部屋に寺宝が展示されており、襖絵は狩野探幽らの狩野派絵師によるもの。
ーーー編集中
表門(坂本城の旧城門と伝わる・重文)
手水
鐘楼
石仏 等
本堂(重文)
向拝、廻縁が石造になっている
外陣に掛けられたレプリカの六道絵15幅
本堂須弥壇の三尊(左側の釈迦如来坐像は重文)
(ネットから転載)
地蔵菩薩立像(重文)
客殿(重文)
開山堂
森可成の墓
境内社
庫裏
名称 | 聖衆来迎寺 |
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読み方 | しょうじゅらいこうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 077-578-0222 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
巡礼の詳細情報
びわ湖百八霊場 第12番 | 御本尊:阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来 |
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近江湖西二十七名刹霊場 第12番 | 御本尊:阿弥陀如来、釈迦如来、薬師如来 |
詳細情報
宗旨・宗派 | 天台宗 |
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ご由緒 | 寺伝では最澄(768-822)の創建で、平安時代初期に源信(942-1017)が念仏道場として聖衆来迎寺と改称したといいます。中世を通して延暦寺の念仏道場として栄え、戦国時代、織田信長による焼打ちのときも森蘭丸の父である森可成の墓があったために難を逃れ、優れた寺宝を数多く所蔵しています。 |
体験 | 武将・サムライ有名人のお墓 |
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