ぎちゅうじ|単立
義仲寺のお参りの記録一覧
木曽義仲(よしなか)のお墓があります。傍らに、巴御前の塚。お線香があがっていました。まずは、手を合わせます。
こぢんまりとした境内は、人で一杯。お仲間で来られたご様子。義仲談義大盛り上がり。私も負けじとキョロキョロします。😊
???松尾芭蕉のお墓が。🤔芭蕉は、江戸前期の俳人。🤔
義仲寺は、旧東海道沿いにあります。開発されるまでは、すぐそばに琵琶湖。芭蕉は、義仲の生きざまと大津をこよなく愛したとのこと。遺言通り、弟子たちは、芭蕉を、ここに運んだそうです。生まれは三重。住まいは東京。でも、ここを選んだ。ちなみに、生前9回もこちらに泊まり、句会を開いたそうです。
生きた時代が500年くらい違うのに。今は一緒に静かにねむっています。
松尾芭蕉の本墓があるお寺で、芭蕉の俳句も沢山あり、翁堂があり天井には四季花卉があり歴史を感じました。
木曽義仲公の側室巴御前の塚もあり、漢字は違うけれど、読み方が同じなので、ご縁を感じました。
巴御前の御朱印
翁堂、芭蕉の俳句等もあります。
入り口に芭蕉の「本墓」と書いてあります。
義仲が巴御前へ書いた句
芭蕉の本墓
巴塚
この地で討死した義仲のために、巴御前が草庵を結んで日々供養したことが義仲寺のはじまりとされている。義仲を尊敬していた松尾芭蕉は遺言によって義仲墓の横に葬られた。
木曽義仲公墓
巴塚
芭蕉翁墓
朝日堂
翁堂
翁堂
木曽八幡社
曲翠墓
巴地蔵堂
山吹塚
粟津文庫
彦根から比叡山延暦寺に向かう途中、寝過ごして大津まで行き、膳所で乗り換えようとしたところ、
ふと目に入った看板に、松尾芭蕉と木曽義仲のお墓があると。
しかもまだ、誰も投稿していない。
最近、和歌について考える機会の多い私は、気付いたときには、義仲寺に向かっていました。
正月二日といふこともあり、寺務所以外には誰も人がおらず、去年のことを振り返りながら、一句詠みました。
去年のコト
振り返りつつ
比叡山
膳所駅から徒歩5分ほど
松尾芭蕉のお墓。
境内には腰掛けるスペースがいくつか。
うた詠めますね。
句碑がたくさんあります。
「義仲寺」で「ぎちゅうじ」と読みます。こじんまりとした境内ですが、歴史が詰まっています。
平家討伐の兵を挙げたものの、源頼朝軍に追われて粟津で最期を遂げた木曽義仲をここに葬ったことに由来して、この名前があるそうです。ウイキペディアによると、寺の創建は、義仲ゆかりの巴御前が義仲の墓所近くに草庵を結び、「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことにはじまると伝えられる、とのことです。
江戸期には松尾芭蕉がたびたびこの地に滞在。亡くなったのは大阪でしたが、遺志に従い、この寺に葬られたとのことです。辞世の句の「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」の句碑も建っています。
右上の印の3文字目が最初読めなかったんですが
御由緒に粟津ってたくさん書いてあってようやく気づきました💦
揮毫の正風宗師は和歌・連歌の権威二条家から芭蕉翁に贈号されたようですが
調べていたら面白い文献がいくつかありました
富田 志津子, 二条家俳諧の創始と暁台, 連歌俳諧研究, 1996, 1996 巻, 90 号, p. 17-27
藤村作 編『日本文学大辞典』3,新潮社,昭和9-10. 国立国会図書館デジタルコレクション
荻原井泉水 著『芭蕉風景』,新潮社,昭和13. 国立国会図書館デジタルコレクション
志田義秀 著『俳文学の考察』,明治書院,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション
印
湖南粟津芭蕉堂
兜? 近江湖南 朝日将軍御墓所 義仲寺
義仲寺印
墨
正風宗師
義仲寺
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