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ぎちゅうじ|天台宗系単立朝日山

義仲寺のお参りの記録一覧
滋賀県 膳所駅

soo_cyan
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2025年12月13日(土) 01時09分50秒
4449投稿

琵琶湖県移籍最初の参拝。免許証の住所変更のため膳所駅から大津警察署へ。無事住所変更済ませて署の近くにある義仲寺へ。山号寺号が示す通り、朝日将軍として平氏追討を成し遂げたのにも関わらず後白河院と合わなかったがために賊将となってしまった悲運の将軍。お話のよると義仲公の首は京都に送られたため胴から下の部分が埋葬されたそうです。のち、巴御前と思しき尼僧がこの地に草庵を結び供養したそうで尼僧の没後「無名庵」、「巴寺」・「木曽寺」「義仲寺」などと呼ばれたとのこと。また俳聖・松尾芭蕉が義仲公を崇敬し、遺言で「骸は木曽塚へ」と残し、門弟たちによって義仲寺で葬儀・埋葬されているのも驚きです😲境内には義仲公、芭蕉翁の墓が少し離れた並んでおりました。なかなかの寒さでしたが芭蕉の葉から釣り下がるように芭蕉の蕾が😲花が咲くってことも知りませんでしたがなかなか大きな蕾でビックリです😅さらには木瓜らしき花が咲いていたのでお聞きしたら「寒木瓜」という木瓜の一種なのだそう。こちらも知りませんでした😲これはちょっと育ててみたいかも😊境内一通り散策し、御朱印を拝受。いろいろお話聞かせていただき幸先の良い出だしとなりました😊

義仲寺(滋賀県)

山門

義仲寺(滋賀県)

国指定史跡義仲寺境内案内

義仲寺(滋賀県)

同石碑

義仲寺(滋賀県)

朝日将軍木曽義仲御墓所石碑と句碑

義仲寺(滋賀県)

寺号看板と料金表

義仲寺(滋賀県)

境内

義仲寺(滋賀県)

史料観

義仲寺(滋賀県)

義仲寺略誌

義仲寺(滋賀県)

義仲公と今井兼平図

義仲寺(滋賀県)

伊藤若冲筆翁堂天井画「花卉図」

義仲寺(滋賀県)

芭蕉の葉と花

義仲寺(滋賀県)

句碑

義仲寺(滋賀県)

本堂・朝日堂

義仲寺(滋賀県)

御本尊は聖観音菩薩

義仲寺(滋賀県)

扁額

義仲寺(滋賀県)

三浦義一翁歌碑

義仲寺(滋賀県)

巴塚

義仲寺(滋賀県)

木曽義仲公墓

義仲寺(滋賀県)

翁堂

義仲寺(滋賀県)

朝日将軍木曽源公遺跡之碑

義仲寺(滋賀県)

松尾芭蕉墓

義仲寺(滋賀県)

芭蕉翁辞世句

義仲寺(滋賀県)

木曽八幡社

義仲寺(滋賀県)

同小祠

義仲寺(滋賀県)

手前は三浦義一翁歌碑、奥は兼輔句碑

義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)

露城句碑

義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)

翁堂芭蕉像

義仲寺(滋賀県)

伊藤若冲「花卉図」複製

義仲寺(滋賀県)

三十六俳人画

義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)

其桃句碑

義仲寺(滋賀県)

方堂句碑

義仲寺(滋賀県)

無名庵

義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)

蟻洞句碑

義仲寺(滋賀県)

句碑

義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)

粟津文庫

義仲寺(滋賀県)

蝶夢幻阿佛句碑

義仲寺(滋賀県)

山吹供養塚

義仲寺(滋賀県)

身余堂文庫

義仲寺(滋賀県)

車友句碑

義仲寺(滋賀県)

お手洗い

義仲寺(滋賀県)

左・乙也句碑
右・栃翁句碑

義仲寺(滋賀県)

寒木瓜の花が見頃でした😊

義仲寺(滋賀県)

井戸

義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)

白の寒木瓜

義仲寺(滋賀県)

巴地蔵堂

義仲寺(滋賀県)

巴地蔵

義仲寺(滋賀県)
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くま
くま
2025年12月11日(木) 21時47分26秒
780投稿

仕事が早く終わったので、義仲寺におまいりに行けました。
拝観料は500円でした。

義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)

本堂の朝日(朝日将軍と呼ばれた木曽義仲公から)堂です。

義仲寺(滋賀県)

木曽義仲公のお墓です。

義仲寺(滋賀県)

巴御前のお墓です。

義仲寺(滋賀県)

松尾芭蕉のお墓です。

義仲寺の御朱印

朝日将軍の書き置きの御朱印をいただきました。
納経料は300円です。

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かおり
かおり
2025年04月08日(火) 03時20分26秒
1683投稿

3年前に膳所駅にて京阪線から国鉄に乗換をした。
帰宅後に、膳所駅前に芭蕉の句碑があること、又、膳所駅近くに芭蕉のお墓がある事を知り、後悔していた3年間であった。
そして、やっと念願の義仲寺に。

さて、こちらのお寺であるが、案内の方にお聴きすると、昔は天台宗三井寺末寺であったそうなのだが、現在は単立とのこと。
調べていくと、昭和40年、ある大物右翼が三井寺・円満院から土地を買い取り、個人の私財を投じて廃寺と化した寺を修繕したということなのだ。
ここは、木曾義仲、松雄芭蕉も眠る場所。現在は国の指定の史跡となっている。
で、私は、この右翼の大物とは誰か?調べてみた。
三浦義一であった。

孫である歌人の三浦柳さんが著した本は迫力に満ちている。

晩年、義一は滋賀県大津市にある義仲寺の再興に力を尽くした。これは「ひむがし」の同人であった保田與重郎(文芸評論家)からの相談が発端であった。義仲寺は木曾義仲の葬られた寺であるが、妻であった巴御前が、その後尼僧としてこの地に住み着き、義仲の菩提を弔ったので、巴寺とも呼ばれた。
その約500年後、義仲の人柄と運命にかねがね魅かれていた芭蕉は、字bンを義仲の墓の隣に葬るように遺言して大阪で亡くなった。門下らは芭蕉の亡骸を夜舟に乗せて淀川を上り義仲寺に至り、木曽塚の右に芭蕉を葬ったという。
それゆえ義仲寺は芭蕉の墓所でもある。ところが、その名刹が荒廃して、県市とも再建維持を諦めていることを知った保田は、義一に援助を求めた。義一はそれを聞いて、まず私費で義仲寺を買い取り、数々の難問を抱えた寺を一つの独立した寺として建物を改築し、復興を果たしたのだった。

木曽殿の背中合わせの寒さかな

境内にある素朴な石にこのような句が彫られていた。義一はこれに深く心を打たれて、その後、義仲と芭蕉についての接点を考えたと語っている。彼は、墓所を共にし、一体となったかのような義仲の武勇と芭蕉の詩魂に、歌の始祖である須佐之男命の「剣魂歌心」を感じたのだ・
義仲寺再建の落成式において、義一は次のように述べている。
「芭蕉と義仲は一体であります。それは、一つの日本人の表を裏を表したというわけです。剣の魂と歌の心は本当は一つ。これが日本の本当の道であり、日本人の神髄であると思っています。当年これが非常に歪められてきていますが、剣魂、歌心、この一つの姿が日本の姿である。また今後これが明らかにされることが、私は日本のまた立ち直る根本だと信じておるわけです」

義一の献詠である。

としつきは 過ぎにしとおもふ 近江ぬの みづうみのうへを わたりゆく月

日本の心。それを感じる、寺であった。

夢叶い 芭蕉恋しや 木瓜の花

義仲寺の御朱印
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
義仲寺(滋賀県)
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