ぎちゅうじ|天台宗系単立|朝日山
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楽しみ方義仲寺のお参りの記録一覧
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琵琶湖県移籍最初の参拝。免許証の住所変更のため膳所駅から大津警察署へ。無事住所変更済ませて署の近くにある義仲寺へ。山号寺号が示す通り、朝日将軍として平氏追討を成し遂げたのにも関わらず後白河院と合わなかったがために賊将となってしまった悲運の将軍。お話のよると義仲公の首は京都に送られたため胴から下の部分が埋葬されたそうです。のち、巴御前と思しき尼僧がこの地に草庵を結び供養したそうで尼僧の没後「無名庵」、「巴寺」・「木曽寺」「義仲寺」などと呼ばれたとのこと。また俳聖・松尾芭蕉が義仲公を崇敬し、遺言で「骸は木曽塚へ」と残し、門弟たちによって義仲寺で葬儀・埋葬されているのも驚きです😲境内には義仲公、芭蕉翁の墓が少し離れた並んでおりました。なかなかの寒さでしたが芭蕉の葉から釣り下がるように芭蕉の蕾が😲花が咲くってことも知りませんでしたがなかなか大きな蕾でビックリです😅さらには木瓜らしき花が咲いていたのでお聞きしたら「寒木瓜」という木瓜の一種なのだそう。こちらも知りませんでした😲これはちょっと育ててみたいかも😊境内一通り散策し、御朱印を拝受。いろいろお話聞かせていただき幸先の良い出だしとなりました😊
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3年前に膳所駅にて京阪線から国鉄に乗換をした。
帰宅後に、膳所駅前に芭蕉の句碑があること、又、膳所駅近くに芭蕉のお墓がある事を知り、後悔していた3年間であった。
そして、やっと念願の義仲寺に。
さて、こちらのお寺であるが、案内の方にお聴きすると、昔は天台宗三井寺末寺であったそうなのだが、現在は単立とのこと。
調べていくと、昭和40年、ある大物右翼が三井寺・円満院から土地を買い取り、個人の私財を投じて廃寺と化した寺を修繕したということなのだ。
ここは、木曾義仲、松雄芭蕉も眠る場所。現在は国の指定の史跡となっている。
で、私は、この右翼の大物とは誰か?調べてみた。
三浦義一であった。
孫である歌人の三浦柳さんが著した本は迫力に満ちている。
晩年、義一は滋賀県大津市にある義仲寺の再興に力を尽くした。これは「ひむがし」の同人であった保田與重郎(文芸評論家)からの相談が発端であった。義仲寺は木曾義仲の葬られた寺であるが、妻であった巴御前が、その後尼僧としてこの地に住み着き、義仲の菩提を弔ったので、巴寺とも呼ばれた。
その約500年後、義仲の人柄と運命にかねがね魅かれていた芭蕉は、字bンを義仲の墓の隣に葬るように遺言して大阪で亡くなった。門下らは芭蕉の亡骸を夜舟に乗せて淀川を上り義仲寺に至り、木曽塚の右に芭蕉を葬ったという。
それゆえ義仲寺は芭蕉の墓所でもある。ところが、その名刹が荒廃して、県市とも再建維持を諦めていることを知った保田は、義一に援助を求めた。義一はそれを聞いて、まず私費で義仲寺を買い取り、数々の難問を抱えた寺を一つの独立した寺として建物を改築し、復興を果たしたのだった。
木曽殿の背中合わせの寒さかな
境内にある素朴な石にこのような句が彫られていた。義一はこれに深く心を打たれて、その後、義仲と芭蕉についての接点を考えたと語っている。彼は、墓所を共にし、一体となったかのような義仲の武勇と芭蕉の詩魂に、歌の始祖である須佐之男命の「剣魂歌心」を感じたのだ・
義仲寺再建の落成式において、義一は次のように述べている。
「芭蕉と義仲は一体であります。それは、一つの日本人の表を裏を表したというわけです。剣の魂と歌の心は本当は一つ。これが日本の本当の道であり、日本人の神髄であると思っています。当年これが非常に歪められてきていますが、剣魂、歌心、この一つの姿が日本の姿である。また今後これが明らかにされることが、私は日本のまた立ち直る根本だと信じておるわけです」
義一の献詠である。
としつきは 過ぎにしとおもふ 近江ぬの みづうみのうへを わたりゆく月
日本の心。それを感じる、寺であった。
夢叶い 芭蕉恋しや 木瓜の花
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2024年4月 関西小旅行初日 5社目。
膳所神社参拝後、膳所本町乗車 2駅先の京阪膳所降車 徒歩10分ほど。
木曽義仲の墓所があるという義仲寺は初参拝。
境内入り奥で作業されている女性がいたので声をかけ、拝観料を納めて案内をいただきました。
間口は狭いですが、奥行きがあり、木曽義仲の墓、巴御前の供養塔、本堂の朝日堂、松尾芭蕉の墓が並びます。
一番奥野翁堂は松尾芭蕉を祀った茅葺建物。
20分弱で拝観出来てしまいますが、義仲公や芭蕉の史料館も併設されてあり楽しめます。
御朱印は直書きもされているそうですが当日は書き手の方不在のため書置き。3種あるうち義仲公の朝日将軍の御朱印を拝受。
初日 正法寺(岩間寺)→石山寺→建部大社→膳所神社→義仲寺 5社で終了。
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木曽義仲(よしなか)のお墓があります。傍らに、巴御前の塚。お線香があがっていました。まずは、手を合わせます。
こぢんまりとした境内は、人で一杯。お仲間で来られたご様子。義仲談義大盛り上がり。私も負けじとキョロキョロします。😊
???松尾芭蕉のお墓が。🤔芭蕉は、江戸前期の俳人。🤔
義仲寺は、旧東海道沿いにあります。開発されるまでは、すぐそばに琵琶湖。芭蕉は、義仲の生きざまと大津をこよなく愛したとのこと。遺言通り、弟子たちは、芭蕉を、ここに運んだそうです。生まれは三重。住まいは東京。でも、ここを選んだ。ちなみに、生前9回もこちらに泊まり、句会を開いたそうです。
生きた時代が500年くらい違うのに。今は一緒に静かにねむっています。









右上の印の3文字目が最初読めなかったんですが
御由緒に粟津ってたくさん書いてあってようやく気づきました💦
揮毫の正風宗師は和歌・連歌の権威二条家から芭蕉翁に贈号されたようですが
調べていたら面白い文献がいくつかありました
富田 志津子, 二条家俳諧の創始と暁台, 連歌俳諧研究, 1996, 1996 巻, 90 号, p. 17-27
藤村作 編『日本文学大辞典』3,新潮社,昭和9-10. 国立国会図書館デジタルコレクション
荻原井泉水 著『芭蕉風景』,新潮社,昭和13. 国立国会図書館デジタルコレクション
志田義秀 著『俳文学の考察』,明治書院,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション
滋賀県のおすすめ2選🎍
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