ぎちゅうじ|天台宗系単立|朝日山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方続けるにはログインまたはアカウント登録が必要です。
義仲寺のお参りの記録一覧

琵琶湖県移籍最初の参拝。免許証の住所変更のため膳所駅から大津警察署へ。無事住所変更済ませて署の近くにある義仲寺へ。山号寺号が示す通り、朝日将軍として平氏追討を成し遂げたのにも関わらず後白河院と合わなかったがために賊将となってしまった悲運の将軍。お話のよると義仲公の首は京都に送られたため胴から下の部分が埋葬されたそうです。のち、巴御前と思しき尼僧がこの地に草庵を結び供養したそうで尼僧の没後「無名庵」、「巴寺」・「木曽寺」「義仲寺」などと呼ばれたとのこと。また俳聖・松尾芭蕉が義仲公を崇敬し、遺言で「骸は木曽塚へ」と残し、門弟たちによって義仲寺で葬儀・埋葬されているのも驚きです😲境内には義仲公、芭蕉翁の墓が少し離れた並んでおりました。なかなかの寒さでしたが芭蕉の葉から釣り下がるように芭蕉の蕾が😲花が咲くってことも知りませんでしたがなかなか大きな蕾でビックリです😅さらには木瓜らしき花が咲いていたのでお聞きしたら「寒木瓜」という木瓜の一種なのだそう。こちらも知りませんでした😲これはちょっと育ててみたいかも😊境内一通り散策し、御朱印を拝受。いろいろお話聞かせていただき幸先の良い出だしとなりました😊

山門

国指定史跡義仲寺境内案内

同石碑

朝日将軍木曽義仲御墓所石碑と句碑

寺号看板と料金表

境内

史料観

義仲寺略誌

義仲公と今井兼平図

伊藤若冲筆翁堂天井画「花卉図」

芭蕉の葉と花

句碑

本堂・朝日堂

御本尊は聖観音菩薩

扁額

三浦義一翁歌碑

巴塚

木曽義仲公墓

翁堂

朝日将軍木曽源公遺跡之碑

松尾芭蕉墓

芭蕉翁辞世句

木曽八幡社

同小祠

手前は三浦義一翁歌碑、奥は兼輔句碑


露城句碑


翁堂芭蕉像

伊藤若冲「花卉図」複製

三十六俳人画


其桃句碑

方堂句碑

無名庵


蟻洞句碑

句碑


粟津文庫

蝶夢幻阿佛句碑

山吹供養塚

身余堂文庫

車友句碑

お手洗い

左・乙也句碑
右・栃翁句碑

寒木瓜の花が見頃でした😊

井戸


白の寒木瓜

巴地蔵堂

巴地蔵


仕事が早く終わったので、義仲寺におまいりに行けました。
拝観料は500円でした。


本堂の朝日(朝日将軍と呼ばれた木曽義仲公から)堂です。

木曽義仲公のお墓です。

巴御前のお墓です。

松尾芭蕉のお墓です。

朝日将軍の書き置きの御朱印をいただきました。
納経料は300円です。

3年前に膳所駅にて京阪線から国鉄に乗換をした。
帰宅後に、膳所駅前に芭蕉の句碑があること、又、膳所駅近くに芭蕉のお墓がある事を知り、後悔していた3年間であった。
そして、やっと念願の義仲寺に。
さて、こちらのお寺であるが、案内の方にお聴きすると、昔は天台宗三井寺末寺であったそうなのだが、現在は単立とのこと。
調べていくと、昭和40年、ある大物右翼が三井寺・円満院から土地を買い取り、個人の私財を投じて廃寺と化した寺を修繕したということなのだ。
ここは、木曾義仲、松雄芭蕉も眠る場所。現在は国の指定の史跡となっている。
で、私は、この右翼の大物とは誰か?調べてみた。
三浦義一であった。
孫である歌人の三浦柳さんが著した本は迫力に満ちている。
晩年、義一は滋賀県大津市にある義仲寺の再興に力を尽くした。これは「ひむがし」の同人であった保田與重郎(文芸評論家)からの相談が発端であった。義仲寺は木曾義仲の葬られた寺であるが、妻であった巴御前が、その後尼僧としてこの地に住み着き、義仲の菩提を弔ったので、巴寺とも呼ばれた。
その約500年後、義仲の人柄と運命にかねがね魅かれていた芭蕉は、字bンを義仲の墓の隣に葬るように遺言して大阪で亡くなった。門下らは芭蕉の亡骸を夜舟に乗せて淀川を上り義仲寺に至り、木曽塚の右に芭蕉を葬ったという。
それゆえ義仲寺は芭蕉の墓所でもある。ところが、その名刹が荒廃して、県市とも再建維持を諦めていることを知った保田は、義一に援助を求めた。義一はそれを聞いて、まず私費で義仲寺を買い取り、数々の難問を抱えた寺を一つの独立した寺として建物を改築し、復興を果たしたのだった。
木曽殿の背中合わせの寒さかな
境内にある素朴な石にこのような句が彫られていた。義一はこれに深く心を打たれて、その後、義仲と芭蕉についての接点を考えたと語っている。彼は、墓所を共にし、一体となったかのような義仲の武勇と芭蕉の詩魂に、歌の始祖である須佐之男命の「剣魂歌心」を感じたのだ・
義仲寺再建の落成式において、義一は次のように述べている。
「芭蕉と義仲は一体であります。それは、一つの日本人の表を裏を表したというわけです。剣の魂と歌の心は本当は一つ。これが日本の本当の道であり、日本人の神髄であると思っています。当年これが非常に歪められてきていますが、剣魂、歌心、この一つの姿が日本の姿である。また今後これが明らかにされることが、私は日本のまた立ち直る根本だと信じておるわけです」
義一の献詠である。
としつきは 過ぎにしとおもふ 近江ぬの みづうみのうへを わたりゆく月
日本の心。それを感じる、寺であった。
夢叶い 芭蕉恋しや 木瓜の花





















2024年4月 関西小旅行初日 5社目。
膳所神社参拝後、膳所本町乗車 2駅先の京阪膳所降車 徒歩10分ほど。
木曽義仲の墓所があるという義仲寺は初参拝。
境内入り奥で作業されている女性がいたので声をかけ、拝観料を納めて案内をいただきました。
間口は狭いですが、奥行きがあり、木曽義仲の墓、巴御前の供養塔、本堂の朝日堂、松尾芭蕉の墓が並びます。
一番奥野翁堂は松尾芭蕉を祀った茅葺建物。
20分弱で拝観出来てしまいますが、義仲公や芭蕉の史料館も併設されてあり楽しめます。
御朱印は直書きもされているそうですが当日は書き手の方不在のため書置き。3種あるうち義仲公の朝日将軍の御朱印を拝受。
初日 正法寺(岩間寺)→石山寺→建部大社→膳所神社→義仲寺 5社で終了。




山吹供養塚

ともあれ塚(巴御前供養塔)

木曽義仲公墓

松尾芭蕉墓

木曽八幡社


翁堂 天井画

翁堂 軒下

翁堂




木曾義仲が討ち死にした場所に立つというお寺です。
拝観料必要。
義仲の墓と松尾芭蕉の墓が並んでおり、脇には巴御前の供養塔があります。
御朱印は、朝日将軍(木曽義仲)、巴御前、正風宗師(芭蕉翁)の3種類を頂けます。
境内には、朝日堂、翁堂、及び芭蕉を初めとした様々な句碑などがあり、こぢんまりとしたお寺ながら魅力がギュッとつまっていると思いました。

入口
脇に地蔵堂

説明板

朝日堂
木曽義仲を祀る

翁堂
松尾芭蕉を祀る

翁堂内部
天井は、伊藤若冲筆のもの

木曽八幡神社

義仲公墓

芭蕉翁墓

巴御前供養塔

句碑など

木曽義仲(よしなか)のお墓があります。傍らに、巴御前の塚。お線香があがっていました。まずは、手を合わせます。
こぢんまりとした境内は、人で一杯。お仲間で来られたご様子。義仲談義大盛り上がり。私も負けじとキョロキョロします。😊
???松尾芭蕉のお墓が。🤔芭蕉は、江戸前期の俳人。🤔
義仲寺は、旧東海道沿いにあります。開発されるまでは、すぐそばに琵琶湖。芭蕉は、義仲の生きざまと大津をこよなく愛したとのこと。遺言通り、弟子たちは、芭蕉を、ここに運んだそうです。生まれは三重。住まいは東京。でも、ここを選んだ。ちなみに、生前9回もこちらに泊まり、句会を開いたそうです。
生きた時代が500年くらい違うのに。今は一緒に静かにねむっています。




松尾芭蕉の本墓があるお寺で、芭蕉の俳句も沢山あり、翁堂があり天井には四季花卉があり歴史を感じました。
木曽義仲公の側室巴御前の塚もあり、漢字は違うけれど、読み方が同じなので、ご縁を感じました。

巴御前の御朱印

翁堂、芭蕉の俳句等もあります。

入り口に芭蕉の「本墓」と書いてあります。

義仲が巴御前へ書いた句

芭蕉の本墓

巴塚

この地で討死した義仲のために、巴御前が草庵を結んで日々供養したことが義仲寺のはじまりとされている。義仲を尊敬していた松尾芭蕉は遺言によって義仲墓の横に葬られた。


木曽義仲公墓

巴塚

芭蕉翁墓

朝日堂

翁堂

翁堂

木曽八幡社

曲翠墓

巴地蔵堂

山吹塚

粟津文庫




彦根から比叡山延暦寺に向かう途中、寝過ごして大津まで行き、膳所で乗り換えようとしたところ、
ふと目に入った看板に、松尾芭蕉と木曽義仲のお墓があると。
しかもまだ、誰も投稿していない。
最近、和歌について考える機会の多い私は、気付いたときには、義仲寺に向かっていました。
正月二日といふこともあり、寺務所以外には誰も人がおらず、去年のことを振り返りながら、一句詠みました。
去年のコト
振り返りつつ
比叡山
膳所駅から徒歩5分ほど
松尾芭蕉のお墓。
境内には腰掛けるスペースがいくつか。
うた詠めますね。
句碑がたくさんあります。

「義仲寺」で「ぎちゅうじ」と読みます。こじんまりとした境内ですが、歴史が詰まっています。
平家討伐の兵を挙げたものの、源頼朝軍に追われて粟津で最期を遂げた木曽義仲をここに葬ったことに由来して、この名前があるそうです。ウイキペディアによると、寺の創建は、義仲ゆかりの巴御前が義仲の墓所近くに草庵を結び、「われは名も無き女性」と称し、日々供養したことにはじまると伝えられる、とのことです。
江戸期には松尾芭蕉がたびたびこの地に滞在。亡くなったのは大阪でしたが、遺志に従い、この寺に葬られたとのことです。辞世の句の「旅に病て夢は枯野をかけめぐる」の句碑も建っています。






右上の印の3文字目が最初読めなかったんですが
御由緒に粟津ってたくさん書いてあってようやく気づきました💦
揮毫の正風宗師は和歌・連歌の権威二条家から芭蕉翁に贈号されたようですが
調べていたら面白い文献がいくつかありました
富田 志津子, 二条家俳諧の創始と暁台, 連歌俳諧研究, 1996, 1996 巻, 90 号, p. 17-27
藤村作 編『日本文学大辞典』3,新潮社,昭和9-10. 国立国会図書館デジタルコレクション
荻原井泉水 著『芭蕉風景』,新潮社,昭和13. 国立国会図書館デジタルコレクション
志田義秀 著『俳文学の考察』,明治書院,昭和7. 国立国会図書館デジタルコレクション

印
湖南粟津芭蕉堂
兜? 近江湖南 朝日将軍御墓所 義仲寺
義仲寺印
墨
正風宗師
義仲寺




滋賀県のおすすめ2選❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ







































































53
0