かんだじんじゃ
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【近江國 式内社巡り】
神田神社(かんだ~/みとしろのかみのやしろ)は、滋賀県大津市真野にある神社。式内社で、旧社格は県社。祭神は彦國葦命、天足彦國押人命。
創建は不詳。社伝によると、嵯峨天皇の御代811年に祭神・産國葦命の子孫が真野の入江の汀、神田(みとしろ)の地に神殿を建てたのが始まり。産國葦命は、崇神天皇の御代の紀元前87年に、勅命により武埴安彦の率いる賊軍を征討した知勇、学才誠に優れた人物とされる。なお、当地「真野」は万葉集の時代から和歌に多く詠まれ、『新古今和歌集』の源頼政の歌や『金葉集』の源俊頼の歌にも詠まれている。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「近江國 滋賀郡 神田神社 小」に比定されている。明治時代に入り、近代社格制度のもと県社に列格した。
当社は、JR湖西線・堅田駅の北方1kmの、琵琶湖大橋に繋がる国道477号線近くの平らな耕作地の中にある。東西に横長な境内は、南側が参道や社殿等、北側が社叢中心になっている。境内東端からの長い参道では、ちょうど桜が咲いていてなかなか綺麗だった。参拝時は境内西端の社殿は再建工事中であったが、参道の奉納燈籠、境内社、駐車場など、あらゆる構造物が真新しい感じ。やや古そうに見えるのは仮本殿の不動堂、社務所、狛犬のみ。植栽含めかなり綺麗にされていて、神社にさほど関心がない人でも入りやすい雰囲気。
今回は、近江國の式内社、滋賀県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は平日の午前中で、参拝者は自分以外には見掛けなかった。
※宮司さんとお話をして、近江國式内社を巡礼している話題の際に、近場の良い神社として<兵主(ひょうず)神社>を紹介されたので、午後行ってみることにした。(o^―^o)
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(過去参拝)
神田神社⛩に参拝しました。
真野地区には、上の神田神社と下の神田神社とがあります。こちらは、下の神田神社です。
印の、神田の神の字に、申の下にヽが着いています。(説明が下手で伝わらないかと😓)
境内は大変美しく、綺麗に整備されておられます。
地域の方々にも、愛されていることが伝わって参ります。
また近隣の堅田にも、神田神社があります。
近くに、神田神社がたくさんあります。😳
こちらは只今、神殿建替え中です。
真新しい、ピカピカ✨の銅製の屋根が綺麗でした。完成が待ち望まれます。
御朱印を書いて頂いている間、お話を聞かせて下さいました。近隣の神社⛩さま数箇所の護持、管理もなされているとのこと。
大変お忙しいご様子。ありがとうございます🙏🏻
コロナ退散のアマビエさまのお札も下さり、家の玄関に外向けに貼り、「疫病退散」とのお言葉でした。





#神田神社
主祭神はヒコクニフキの命。相殿神にアマタラシヒコクニオシヒトの命。
#天足彦国押人命
古事記では天押帯日子命、日本書紀では天足彦国押人命。
古事記・日本書紀とも、第5代・孝昭天皇の皇子とする。日本書紀によると、”わにのおみ”という氏族の祖神。
#彦国葺命
古事記では日子国夫玖命、日本書紀では彦国葺。古事記・日本書紀とも”わにのおみ”の祖神とするものの、家族関係までは書いていない。神田神社HPによれば、孝昭天皇を1代目、アマタラシヒコクニオシヒトの命を2代目とした時、6代目にあたる子孫。
古事記・日本書紀によれば、第10代・崇神天皇の時、やはり皇族であるタケハニヤスヒコが反乱を起こした。ヒコクニフキの命とオオヒコの命がこれを迎え撃った。ヒコクニフキの命がひと矢のもとにタケハニヤスヒコを射貫くと、敵軍は壊滅。2柱は逃げる敵兵を追撃し切り伏せたと。
オオヒコの命はその後、四道将軍の一員として北陸道を平定した。敢國神社(三重県伊賀市)などのご祭神だ。
”わに氏”は滋賀県を拠点に栄えた氏族。神田神社の最寄り駅は小野だが、隣の駅は和邇(わに)という。
”わに氏”の祖として、その後もタケフルクマやヒフレノオオミといった人物が出てくる。日牟禮八幡宮(近江八幡市)のHPによれば、あちらの社名は一説にはヒフレノオオミから取られたと。
滋賀県のおすすめ2選🎍
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