しょうぼうじ|真言宗智山派|巌殿山
正法寺のお参りの記録一覧
正法寺さんにお参りしてきました。大銀杏が色付いているかなと思いましたが、少し早かったようです。
お参りの後、足を伸ばして嵐山渓谷へ向かいました(車で30分くらい)。水も澄んでおりきれいなところです。こちらも紅葉はもう少しでした。
仁王門
銅鐘
観音堂
百地蔵堂
石仏
薬師堂
僅かに色付いているところ
嵐山渓谷
正法寺(岩殿観音) 坂東三十三観音10番
正法寺(岩殿観音) 坂東三十三観音10番
正法寺(岩殿観音) 坂東三十三観音10番
正法寺(岩殿観音) 坂東三十三観音10番
正法寺(岩殿観音) 坂東三十三観音10番
正法寺(岩殿観音) 坂東三十三観音10番
坂東札所第10番 岩殿観音正法寺にお参りしました。台風情報もある中でしたが、青空も見え、無事に参拝することができました。
歴史を感じさせる仁王門に続く参道は、長く真っ直ぐで、茶店や僧坊が軒を連ねていた往時を偲ばせます。
観音堂は古色蒼然としていました。きざはしの上にはベンチがあり、そこに座ると、木立の中を渡ってくる風が、とても気持ちよく感じられました。お賓頭盧さまと向かい合って座り、しばらく休憩しました。
階段の上が仁王門
広い境内。誰もいませんでした。
階段の上にベンチがあり、右側のお賓頭盧さまの反対側のベンチに座って風を感じました。
坂東三十三霊場 坂東十番札所 岩殿山正法寺参拝🙏
お寺用の御朱印帳がいっぱいになり、せっかくなので坂東三十三観音専用の御朱印帳をいただきました。
岩殿観音が発願寺になりましたが、こちらは遠い昔学生の頃に参拝したことがあり、
ご住職も親切にお話ししてくれ、良いご縁になりました🙏
桜舞い散る境内
地面も花びらでピンクになってました。
仁王門
仁王門から見る門前通り
本堂の阿弥陀如来
良い天気( ^ω^ )
薬師堂
地蔵堂
観音堂前の鐘楼
古い狛犬さん
歴史を、感じます^o^
岩壁には石仏
四国八十八ヶ所、日本百観音の写し本尊
観音堂
本尊 千手観音
大銀杏
樹齢700年
駐車場があります。
本堂や観音堂の扉が少し開いていて、観音さまのお姿も拝見でき、お参りしがいがありました。
歴史を感じられるお寺で、傷んだところなどはあまりなく、おすすめです。
(御朱印第686号)
直書き
仁王門
仁王門手前右手の本堂へ続く山門
本堂
本堂右手の納経所には、4種類の御朱印がありました
石段を上がった先の観音堂
とても立派な銀杏の木
見晴らしもなかなか良し
北条政子の守本尊を祀り比企能員が再興した「岩殿観音」
大東文化大学やこども自然公園の近く。
駐車場は2箇所。物見山公園駐車場だと本堂が近く、仁王門脇の駐車場だと納経所が近い。納経所と本堂は50段ぐらいの階段で繋がり、そんなに広いお寺ではないのでどっちでも良さげ。ただ物見山公園駐車場は駐車スペースが狭い。
今回は物見山公園駐車場の方で。紅葉シーズンだったので駐車場がすぐ満車になる。
駐車場横のトンネルを進み道なりに進むと、黄色に染まった大銀杏が見える。横に本堂。本堂の前に御手水やお地蔵さんが並ぶ。
本堂右手に地蔵堂や薬師堂。横の岩には石仏群。
本堂前の階段を下ると仁王門。仁王門右手に駐車場、左手に納経所。
東松山市や比企郡を治めた比企氏ゆかりの寺で、北条政子の守本尊が御本尊の千手観音菩薩になる。
大銀杏が良い色に染まっていたからか銀杏の絵を描いている人や写真を撮りにくる人がたくさんいた。
盛り上がっております
鬼鎮神社を出て、さて次はどこに行こう?とホトカミで周辺検索してここに決めました。
まず山の麓に着いたところ、神橋の掛かる沼があり浮島に渡ってみたところ静かな表情の弁天様がおられました。
近くに秋らしい盆栽の置かれたお洒落な東屋があったのでしばしマッタリ(´ー`)
しかしお寺の方を見ると、集落の間を縫って石畳の道が数百m続いてる・・・まさかこれを徒歩で!?( ̄□ ̄;)
と怖じ気づいたのですが、車で入っても良さそうなので恐る恐る進入したところ、幸い上にも駐車場がありました。
結構徒歩で登ってる人もいたのですが、上から下を見たところ・・・ゴメンナサイ、自分にはムリっす(ノД`)
デカイ仁王様のある山門をくぐり苔むした石段を上がると、そこには荘厳な観音霊場が(゚Д゚)!!
特に目を引いたのが本堂裏の崖の石仏群。磨崖仏ではないようですが崖に穿たれた穴にズラーっと石仏が並ぶ姿は圧巻です。
御朱印は石段下の納経所で、若いお坊様が書いてくれました。
お寺の印象などを少しお話し、穏やかな秋の日の昼下がりを過ごせました。
正法寺(しょうほうじ)は、埼玉県東松山市にある真言宗智山派の寺院。山号は巌殿山(いわどのさん)。本尊は千手観世音菩薩。通称は「岩殿観音」。坂東三十三所観音札所10番。なお、第9番慈光寺、第11番安楽寺とともに「比企三山」とも言われる。
創建は奈良時代初期の718年、沙門逸海が物見山の岩窟に千手観音を納め「正法庵」と称したのが始まり。奥州討伐に向かう坂上田村麻呂が村人に悪龍退治を頼まれ、観音に祈願し悪龍を退治したという伝説が残る。鎌倉時代には北条政子の守り本尊として、源頼朝の命により比企能員が再興し、室町時代には隆盛を築いた。その後廃れたが、安土桃山時代の1574年に栄俊が再興し、中興開山となった。江戸時代には徳川家康から寺領25石の朱印地を下賜され、坂東巡礼が流行すると門前町が大いに栄えた。
当寺は、東武東上線・高坂駅の西方3kmほどの小山(物見山)の中腹にある。東京からクルマだと、関越自動車道・坂戸西スマートICから県道212号線などを経由し北北西に14kmほど。門前町から一段上がったところに山門や寺務所があって、さらに一段上がった崖を切り崩したようなところに観音堂や鐘楼といった諸堂がある。自然に囲まれてはいるが、そばに県道212号線が通り、大学キャンパスがあったりゴルフ場があったりと開発が進んでいるので、山寺の雰囲気はない。特に境内の上部の県道沿いに物見山公園があって、そこから下って境内に入ることができるので交通の便が良く、気軽に立ち寄ることができる。
参拝時は週末の午後で、数組の家族連れなどが参拝に来ていた。
門前町から階段を登って来ると<仁王門>。かつて運慶作の仁王像があったが江戸時代に焼失し、文化年間(1808年~1814年)の再建。現在の仁王像は平成の解体修理時に漆を塗り直し、漆保護のため紫外線カットガラスに覆われているとのこと。ガラス張りの方が見やすい。
仁王門をくぐると、上の段の境内まで一直線に階段が伸びている。
階段を登り切った右手方向にある、江戸時代中期1702年に建てられた<鐘楼>。茅葺、寄棟造。銅鐘は1332年の銘があり、1590年の豊臣秀吉による関東征伐の際に、大道寺入道政繁がこの金を引きずり回して打ち鳴らし軍勢を鼓舞したと言われ、その時についた傷が残っているとのこと。
鐘楼の位置からの<門前町>の眺め。
階段を登り切った左手方向を望む。この方向に<観音堂>、<薬師堂>、<百地蔵堂>がある。
<観音堂>をはじめとする建物が立つエリアの入口。参道の突き当りが<観音堂>。
参道の左側にある<水屋>。
参道の右側にある<百地蔵堂>。弘法大師空海の作と伝わる地蔵菩薩をはじめ、百の地蔵が祀られている。
少し進んで参道の右側にある<薬師堂>。薬師如来と十二神将のほか、1887年信州善光寺三尊阿弥陀如来が分身安置された阿弥陀如来が祀られている
観音堂は一段高い場所にある。
観音堂正面。無数に張られた千社札と、古そうな無塗装の彫刻が目を引く。
観音堂全景。建物は1879年に他の場所から移築されたもの。江戸時代後期のものと推測されている。
観音堂の右手にある<絵馬堂>(かな?)。
観音堂の右手、絵馬堂の後ろには、たくさんの石造が並ぶ。西国・坂東・秩父の百観音と四国八十八所の写し本尊で、巡礼と同じ御利益があるとのこと。
観音堂入口の、観音堂を見つめる位置に立つ<水子地蔵像>。
水子地蔵像の右隣に立つ<弘法大師空海像>。
観音堂に向かって左方向の数十m離れた場所にある<大イチョウ>。かなりの巨木で、樹齢700年、幹回り11mとのこと。
何よりも強烈だったのは、<大イチョウ>の根元。力強い生命の息吹を感じざるを得ない。江戸時代には<養老木>と呼ばれ、多くの女性に安産子育守護の対象として信仰されたとのこと。
仁王門のところまで戻り、仁王門くぐって右側にある、下の境内の入口。
門をくぐると、正面に<本堂>。阿弥陀如来を祀っている。
本堂の右手にある<納経所>。御朱印はこちら。
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