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楽しみ方妻沼聖天山歓喜院のお参りの記録(1回目)
投稿日:2024年12月22日(日) 16時06分01秒
参拝:2024年11月吉日
快晴の文化の日、少し遠出をして埼玉県熊谷市妻沼を訪ねました。 目的は妻沼聖天山歓喜院~日本三大聖天の一つ(※諸説あり)とも数えられる高野山真言宗のお寺です。 こちらの本殿「歓喜院聖天堂」は国宝にも指定されていて、拝殿・相の間・奥殿よりなる廟型式権現造の建築様式に華麗な色彩と彫刻が特徴の奥殿は、どことなく日光の東照宮を思わせる佇まいです。 寺伝によると治承3年(1179年)、この地の荘官であった齋藤実盛/長井別当(さいとう さねもり/ながいべっとう)が大聖歓喜天を祀る聖天宮を建立し長井庄(現在の埼玉県熊谷市妻沼)の総鎮守としたのが創まりとされていて、その後、建久8年(1197年)には実盛の次男である齋藤実長(さねなが)が出家して阿請房良応(あしょうぼうりょうおう)となり聖天宮の別当寺として歓喜院長楽寺を開創したのだそうです。 室町期には忍城城主の成田氏の帰依を受け、また江戸時代初期の慶長9年(1604年)には徳川家康(とくがわ いえやす)の支援で伽藍が再興されるも、寛文10年(1670年)に起きた火災(妻沼の大火)により仁王門、中門を残しそのほとんどが焼失します。 再建は幕府作事方大棟梁として日光東照宮の「寛永の大造替」にも参加した平ノ内正信(へいのうち まさのぶ)の子孫にあたる林兵庫正清(はやしひょうご まさきよ)、そしてその跡を継いだ林兵庫正信(まさのぶ)らによって享保20年(1735年)から安永8年(1779年)まで実に44年の歳月をかけ実施されました。 総工費は当時のお金で壱萬九千両(現在の価値で凡そ15億~20億円程)とも謂われ、特筆すべきはこの費用を負担したのが幕府や大名、豪商といった言わば時の権力者ではなく、妻沼を中心とした庶民からの浄財でそのほとんどが賄われたという点です。 「埼玉の日光」と称される妻沼聖天山歓喜院は庶民の心の拠り所として建てられ護られてきた素敵な場所だと思いました。

妻沼聖天山歓喜院・貴惣門

妻沼聖天山歓喜院・貴惣門

妻沼聖天山歓喜院・齋藤実盛像

妻沼聖天山歓喜院・四脚門(中門)

妻沼聖天山歓喜院・仁王門

妻沼聖天山歓喜院・御水屋

妻沼聖天山歓喜院・大師堂

妻沼聖天山歓喜院・拝殿

妻沼聖天山歓喜院・狛犬(阿)

妻沼聖天山歓喜院・狛犬(吽)

妻沼聖天山歓喜院・鐘楼

妻沼聖天山歓喜院・奥殿

妻沼聖天山歓喜院・奥殿

妻沼聖天山歓喜院・奥殿

妻沼聖天山歓喜院・奥殿

妻沼聖天山歓喜院・境内社
三宝荒神社
三宝荒神社

妻沼聖天山歓喜院・境内社
五社神社
五社神社

妻沼聖天山歓喜院・境内社
天満社
天満社

御朱印・大聖歓喜天
すてき
みんなのコメント(1件)
くるくるきよせん2024年はホトカミを通じて交流させていただき、ありがとうございました。
自分ではお参りできていない寺社の写真を拝見することが楽しみで、また、自分の投稿に「すてき」をいただいたり、コメントをいただいたり、とても楽しかったです。
コメントをいただいた時には、「友よ!」と大喜びしていました。
嬉しがりの私は、ほとんど毎日チェックしていたような気がします。
新年もどうぞよろしくお願いいたします。
(フォローしてくださっている方には同文のコメントをしていますがお許しください)
2024年12月31日(火) 18時10分11秒
投稿者のプロフィール

らんでぃー386投稿
令和になってから奈良の興福寺を参拝したのをきっかけに、御朱印を集めるようになりました。今では夫婦で神社仏閣巡りを楽しんでいます。妻は置物御籤もコレクションしています。もっと読む
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