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きたいん|天台宗星野山

喜多院のお参りの記録一覧(7ページ目)
埼玉県 本川越駅

だいちゃん
だいちゃん
2019年10月31日(木)
274投稿

近くの、お食事処

喜多院の食事

念願のうな重😋美味しかったです。

喜多院の食事

こちらのお店で、いただきました。とても、素敵な母娘さんが営んでいます🥰テレビ番組の撮影等で見えた方々の、写真やサインがありました。

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めあとよ
めあとよ
2019年10月26日(土)
639投稿

関東の三大師「川越大師」として親しまれる喜多院へお参りしてきました。
川越七福神の大黒天様を祀る大きなお寺です。

客殿にある「三代将軍徳川家光公誕生の間」、
書院にある「春日局化粧の間」、そして五百羅漢像を
拝観料大人400円で観ることができます。

ちょうど受付に団体さんがいて混雑していたこと、
疲れ切ってきたことからこの日は拝観せずに帰ってきてしまいました。
今思えばなぜもう少しがんばって観てこなかったのか…。
次は体調万全整えてぜひ拝観したいと思います!

なお、その後参道のお蕎麦屋さんで体力復活しました。
お蕎麦おススメです。

喜多院の山門

山門
喜多院では現存する最古の建物です。写真にはないですが横に番所があります

喜多院の末社

太子堂(六角太子堂)

喜多院の歴史

由緒書

喜多院の建物その他

境内案内図

喜多院の塔

多宝塔

喜多院の歴史

多宝塔について

喜多院の建物その他

多宝塔

喜多院の手水

水屋

喜多院の建物その他

水屋と多宝塔

喜多院の本殿

慈恵堂
慈恵大師良源をまつる大師堂として親しまれ「潮音殿」とも呼ばれている

喜多院の本殿

慈恵堂

喜多院の本殿

慈恵堂

喜多院の建物その他

慈恵堂

喜多院の像

慈恵堂

喜多院の地蔵

苦ぬき地蔵尊

喜多院の末社

大黒天 小江戸川越七福神のひとつ

喜多院の末社

大黒天 小江戸川越七福神のひとつ

喜多院の歴史

小江戸川越七福神 喜多院について

喜多院の建物その他

水琴窟 小江戸川越七福神に設置されています

喜多院の建物その他

水琴窟について

喜多院の建物その他

庫裏からの渡り廊下
客殿・書院拝観すれば良かった…

喜多院の建物その他

天海僧正お手植の槇(まき)
樹齢約350年だそう

喜多院の建物その他

五百羅漢
客殿・書院とともに拝観料をお支払すれば中に入れます

喜多院の建物その他

石碑

喜多院の建物その他

石碑

喜多院の山門

鐘楼門

喜多院の歴史

鐘楼門について

喜多院の建物その他

鐘楼門

喜多院の山門

鐘楼門

喜多院の末社

慈眼堂

喜多院の歴史

慈眼堂について

喜多院の建物その他

松平大和守家廟所

喜多院の歴史

松平大和守家廟所について

喜多院の建物その他

松平大和守家廟所

喜多院のお墓

松平大和守家廟所

喜多院のお墓

松平大和守家廟所
川越藩主であった松平大和守家歴代藩主の墓

喜多院のお墓

松平大和守家廟所
5人の藩主が葬られています

喜多院の建物その他

どろぼうばし

喜多院の歴史

どろぼうばしについて

喜多院の周辺

参道 奥に見える塔のようなものがお蕎麦屋さんです

喜多院の御朱印

御朱印

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だいちゃん
だいちゃん
2019年10月16日(水)
274投稿

七福神巡り、川越の神社仏閣巡り。

喜多院の御朱印
喜多院の御朱印
喜多院の像

五百羅漢、干支を探しましたが、思った以上に入口すぐに有ったので、「えっ!」と思いました(笑)友達は、受付のおじさんに何度も、自分の干支が何処か聞いてました。確認しても、納得しない様子(笑)次回は、十二支見つけると意気込んでました😁

喜多院の食事

9月にオープンしたばかりです

喜多院の食事

お手頃なお値段

喜多院の食事

満足です。

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あおどん
あおどん
2019年03月21日(木)
94投稿

平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺と号した。無量寿寺には北院、中院、南院があり、伏見天皇が尊海僧正に命じ関東天台宗の本山とした。後伏見天皇は東国580寺の本山としての勅書を下し、後奈良天皇は星野山の勅額を下した。永禄年間(1558年 - 1570年)頃までは3院が存在していたが、寛永10年(1633年)に中院のあった場所に仙波東照宮が建てられた為、中院はさらに200m南方に移動し、南院は明治の初めに廃院となり、その一角とされる場所には数十基の石の塔婆が残っている。

慶長4年(1599年)、徳川家の尊崇が厚かった天海僧正が第27世住職として入寺し、寺号を喜多院と改めた。川越藩主となった老中・酒井忠利は喜多院の再興に当たった。慶長18年(1613年)には徳川秀忠の関東天台法度により関東天台総本山と定められ、500石の寺領を賜った。寛永15年(1638年)、川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失するが、翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築した。これが今に残る客殿、書院、庫裏であり、これらを運ぶために新河岸川の舟運が開かれた。川越藩主を経て幕閣で老中にあった堀田正盛は喜多院や仙波東照宮再建の奉行を命ぜられ、天海を助けた。4代将軍・徳川家綱は200石を加増し750石・寺域48,000坪の大寺となり、徳川家に厚く保護され隆盛した。

喜多院の御朱印

御朱印

喜多院の本殿

本堂

喜多院の手水

手水舎

喜多院の建物その他
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