のうにんじ|曹洞宗|武陽山
能仁寺のお参りの記録一覧
飯能駅での今回の印活最後
駅から一番離れて徒歩20分強
恐らく飯能駅周辺を代表する寺院
他では参拝客に会いませんでしたが、ここでは数人の参拝客に会いました
御朱印は3種類
本尊の毘盧遮那仏の御朱印を頂きました
仁王門
仁王
仁王
参道
中雀門
本堂
本堂
開山堂
御朱印案内
挟み紙
武陽山能仁寺。
文亀元年(1501年)の創建と云われています。
曹洞宗の寺院で御本尊は毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)です。
本堂内部と本堂裏手の庭園が300円で拝観できます。
毎週日曜日には坐禅会が行われています。
山門
山門の扁額
仁王像
中雀門
本堂
本堂の扁額
開山堂
坐禅堂
不動堂
鐘楼
六地蔵
2009年作「紅炎魂・コロナ」
休憩所
ご由緒
先週、カミサンと立川の昭和記念公園に紅葉を見に行ったのですが、
色づきはもう一歩で、私たちと同じ目的の行楽客で大混雑…
まあ、広さにあんぐりしつつ楽しみましたが、「もっと赤い紅葉が見たい!」との
思いの一致で、飯能市の天覧山へ。
その山頂への入り口に、能仁寺があります。
今日は、東京も最高気温が10度を下回る冷え込んだ状況でかじかむ手を温めながら
駅から15分程歩いて参拝しました。
かなり、こちらは色づいていて、お寺の参道の紅葉も鮮やか。
私たちのように、紅葉を見に来ている方も多くいたようです。
天覧山の入り口の隣にも、お寺への入り口がありました。
駐車場の紅葉の様子
この先が、正面なんですね…
これは、冠木門を背にした山門の方向。やや左側の赤が強い紅葉。
同じく、オレンジ色が強い紅葉
本堂に続く中雀門
鐘楼
本堂です。
【善光寺でよく見るような、柱から本堂へと伸びた生地がありました】
↑ 正しくは何て言うのか判りません…
こちらは、柱側
開山堂
不動堂
不動明王の由緒
寺務所あたりからの本堂の方面
山門の手前から、冠木門の方向
右の金剛力士さま
左の金剛力士さま
山門です
能仁寺の由緒
御朱印です【書き置きもありましたが、直に書いて頂きました】
おまけ01-天覧山への山頂に向かう途中で
おまけ02-天覧山の山頂からの戻りの途中。紅葉の天井のよう…
来年は、もう少し暖かい日に来たいな…
此処の石仏さまは無いので、
お不動様のお堂にて般若心経お唱えして、
お寺さんの受付ある庫裡へご挨拶。
奥多摩八十ハ箇所の御礼詣りできたと。
2回目。
温暖化で秋が遅くなりました。
お不動様の参詣道ちょっと紅葉。
入口の掲示板。
能仁寺は飯能市飯能にある曹洞宗の寺院で武陽山と号します。本尊は蘆遮那仏像。中山家勝が通幻派の名僧、斧屋文達師を招いて文亀年間(1501-1503)に創建したと伝えられ、子の家範が寺院としての寺容を整えたといわれます。天正19年5石の朱印状を拝領、宝永2年(1705)には50石の朱印状を拝領し、末寺20ヶ寺を擁する中本寺格の寺院でした。幕末の飯能戦争時に振武軍の本陣となったため本堂をはじめ悉く焼失しましたが、本堂は昭和11年に再建しています。
飯能戦争
飯能戦争とは戊辰戦争の地域戦の1 つで、渋沢成一郎、尾高惇忠、渋沢平九郎等の渋沢栄一の縁者が中心となって結成した振武軍などが、新政府軍と戦った埼玉県内唯一の戊辰戦争の戦場です。
振武軍ら旧幕府軍が田無から箱根ヶ崎を経て飯能の能仁寺など市内の6つの寺に駐屯してました。
新政府軍は田無に入ります。そこで振武軍らが飯能にいるという情報を得ると、翌日には扇町屋(現在の入間市)へ進軍しました。そして5月23日未明、笹井(現在の狭山市)で双方が遭遇したことにより戦いの火蓋が切られます。ここで旧幕府軍を撃退した新政府軍は、夜明けを待って進撃を開始しました。
戦いはわずか半日で終わり、新政府軍が勝利します。敗れた幕府軍の兵士たちの中には渋沢栄一の縁者たちの姿もありました。そのうち渋沢成一郎と尾高惇忠は伊香保へ逃れることができましたが、二人とは別の道を行った渋沢平九郎は逃げ切ることができず、自刃という最期を迎えました。
能仁寺での参拝後、折角ここまで来たので天覧山へ登頂を決意しました。最初は安易な登山道と思いきや休憩所から先の山頂間際は険しい山道でした。スニーカーでなくウォーキングシューズでよかったと思いました。山頂からの展望は良く、新政府軍の進軍は何の辺を通ったのか辿ってしまいました。
山門
寺号標柱
由緒 説明板
山門(仁王門)
仁王像
仁王像
参道
竹林
冠木門
中雀門参道
中雀門
不動堂
鐘楼
坐禅堂
飯能戦争 説明板
唱義死義碑
開山堂
本堂
本堂
本堂
本堂
本堂
境内
境内
境内
六地蔵像
六地蔵像
参道標柱
御朱印
天覧山 説明板
天覧山登山口
天覧山 忠霊塔
天覧山 登山道
天覧山 山頂
天覧山 展望
天覧山 展望
関東の名刹✨天覧山の麓に鎮座し傾斜を利用して造られた庭園は日本名園百選です😊天覧山は標高197mの低山ですが途中岩場があり、山頂からは富士山やスカイツリーなどが望めます⛰この日は雲のない晴天でしたが、春霞(花粉⤴︎)のためぼんやりの景色でした😄山の岩場に十六羅漢像もあり楽しくお参りしながら山登りを楽しみました🙏良いお参りに感謝です💕
山門✨
山門をくぐると両脇に石灯籠が並ぶ道✨空気感が変わります!
この参道は別名「紅葉坂」だそうです😊
中雀門✨
鐘楼堂✨
広い境内✨
本堂✨
本堂の左手にある開山堂✨
お休み処✨
中雀門の左手へ
不動堂✨
書き手さんがいらっしゃらなかったので書き置き御朱印でした😊お地蔵さんの挟み紙がかわいい💓
駐車場前の🌸
登山口があります😊
御駒繋松(おこまつなぎのまつ)
十六羅漢の石仏は徳川五代将軍 綱吉の生母 桂昌院の寄進によるものと言われ、明治16年(1883)までは「羅漢山」と呼ばれていたそうです✨
山頂⛰
景色は良いです!
気持ちがいい😊
飯能の天覧山は、幼少時代行った“味噌田楽”のお茶屋さん無かった!
やはり奥多摩八十八箇所の札所だった。
それと天覧山のこと“愛宕山”とも行ったそうだ。
“愛宕の日”に“愛宕山”と言われた“天覧山”に行けたのは偶然産物!?
なんか不思議な気がした、この散歩。
石仏さまは無かったけれども、“御朱印”をご朱印帳に書いて下さった。
宗務のフロント女性は、尼さんと言うよりも、
素敵な“巫女さん”みたいな女性たちだった。
境内には不動明王さま祀るお堂があって、
其処で御賽銭なげて、“般若心経”読んできた。
お不動様が居られるお堂があるから
元じゃなくて現在も奥多摩八十八箇所の札所。
(奥多摩八十八箇所の巡礼者用のホームページには瑞穂町開山所に此処御朱印在るらしい、お寺のフロントで御朱印帳に書いて下さるなら瑞穂町から専用御朱印帳の印を此処に置くようにして欲しいと想ったけど諸々諸事情在るらしい)
天覧山から青梅市の山や富士山が視えて、低い山でも満足感あった。
パワースポットだよ、徳川将軍の病気平癒したお寺の山。
それで山の中腹に、“羅漢像”納めていらっしゃる。
武田翁さんが納めた“奥多摩八十八”の石仏は
何処かにいってしまったけれども。
此処も“奥多摩八十八の霊場の札所”
此処が奥多摩八十八巡礼用のご朱印帳にも描いてある、
お不動様祀られているお堂などあり武田翁さまに願い届けるよう祈った。
武田翁さまは徳川家将軍家や大奥のお姫様まで供養されていたんだと想わせた。
それからもう一つ、忘れる所だった。なんと、
此処のお寺でお祭りがある。節分過ぎた次の日。立春。
近所さんの商店街の酒屋さんにチラシあった。
地元の自慢地酒のワンカップ購入して、羅漢像さまの所に納めた。
山門前の道と天覧山全景
交差点
絵地図
山門前の公園の地図。
山門案内板
道路上の案内
山門
能仁寺の歴史説明書板
門の中に門、戦国時代のお城だなあ。
本堂
境内
開山堂 お坊さん祀っていらっしゃる。
此処が奥多摩八十八巡礼用のご朱印帳にも描いてあるお不動様祀られているお堂。
参道
城主黒田さんが武運長久や子孫繁栄など願って創った不動明王のお堂
登山道
中腹
分かれ目の道
天覧山登山道
羅漢像さま岩場へ。
羅漢像さま歴史説明書居た
岩場
自分自身の御朱印帳に書いて戴いた(三百円以上)
羅漢像さま石仏さまのお一人。
羅漢像さまの岩場
岩場からの景色も富士山視えた。
東京方面ながめる。
岩場は修験者の修行場所。
頂上
頂上からの富士山。
富士山が赤くなると綺麗かも。
富士山綺麗、遠いけど。
東京の街方面
天覧山は病気平癒するという。徳川家大奥など護摩祈祷したのかと想える。
頂上
頂上の歴史板
頂上の展望台デッキ裏にベンチあり。
中腹休憩所
奥武蔵のハイキングコース。
中腹の広場から飛行機雲。
初日の出等は解放されるのでしょうか。初日の出混みそうだけど観れたらいいねぇ。
寺務所のフロントに“奥多摩八十八箇所札所”の御朱印あった。
これは、瑞穂町の開山所にあると奥多摩八十八の案内にあるので押さない。
近所さんにあったお祭りチラシ。
天覧山で立春お祭り。時間あればいきたいけれども。
天覧山の名前の地酒。昔はおおっきい酒蔵だったそうな。
『“新四国奥多摩霊場八十八ヶ所札所”ー風土と周辺の見どころー』と言う武蔵野市の桜沢孝平さん著作本には天覧山に不動明王さまとお地蔵さんの石仏写真あり。
森林浴の登山として飯能の天覧山を登る前に此方を参拝です。
庭園が日本名園百選に入っているとの事で、観賞してきました。
天覧山の斜面を背後にして池もあり、素敵な庭園でした。
山門を潜ると青もみじがお目見えします。
日本名園百選の庭園。鯉が並んで泳いでました。
青もみじに癒されます。
高麗坂東三十三観音霊場 第13番
宗派は曹洞宗、ご本尊様は毘盧遮那仏。
西武池袋線飯能駅から徒歩20分ちょいのところに居られます。
山を背にしていることもあって、その登り始めのような感じで
境内は広くてとても掃除がきちんとされていて清々しいです。
芸術作品が展示されていたり、庭園も有名ですね。
慶応4年(1868年)に起きた飯能戦争の舞台になっていたようで戦火に寄って殆ど焼失しちゃったそうです。
御詠歌のデザインされた手ぬぐいが素敵だったので、御朱印を頂いた際に求めておけばよかったなぁと。
庭園も鑑賞していないし、近くに発酵食品のテーマパークも出来たみたいだし(この時はまだ工事中でした)
またゆっくりとお詣りしたいなと思ってます。
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