天長節の名は古く、唐は皇帝・玄宗の誕生日を天長節と祝った事に由来するそうです。
天平元年(729)に「千秋節」と改められたものの、19年後の天宝7年(天平勝宝元年、748)に「天長節」へ再度改められました。「天長」とは老子の「天長地久」より採られているそうです(ちなみに皇后陛下の誕生日は地久節と称します)。
近代では、即位された天皇陛下の誕生日にあわせて天長節(てんちょうせつ)が定められ、昭和23年(1948)までは、年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム、休日ニ関スル件など太政官布告や勅令で具体的な日付が規定されました。
また、戦前は新年(現在の元日、1月1日)・紀元節(現在の建国記念の日、2月11日)・明治節(現在の文化の日、11月3日)ともに四大節の一つとして、盛大に奉祝されました。
第二次世界大戦後の昭和23年(1948)は祝日法が制定され、昭和24年(1949)以降は天皇誕生日(てんのうたんじょうび)として国民の祝日と定められて現在に至っています。祝日法制定に先立って行われた「希望する祝日」の政府の世論調査は、「新年の元日」に次いで「天皇陛下のお生まれになった日」が第2位であったそうです。
平成31年(2019)4月30日に、日本国憲法及び天皇退位特例法の規定により第125代天皇(現上皇陛下)が退位されたため、同年は大正元年(1912)以来2回目、現行の祝日法では初めての天皇誕生日のない年となりました。