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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年12月※法長寺ではいただけません

ほうちょうじ|曹洞宗青苔山

法長寺

埼玉県 横瀬駅

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0494-22-1921

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巡礼

秩父三十四所観音
秩父三十四観音霊場
第七番札所

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惣一郎
2022年08月22日(月)
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【秩父三十四所観音霊場巡り(7/34)】(過去の参拝記録)

法長寺(ほうちょうじ)は、埼玉県秩父郡横瀬町横瀬にある曹洞宗の寺院。山号は青苔山。本尊は十一面観世音菩薩。秩父三十四所観音霊場第7番。

寺伝によると、創建は江戸時代初期の17世紀初頭、開山は凉堂寒清、開基は内田重賢。当寺の観音堂は別名「牛伏堂」と呼ばれたが、もとは根古屋(牛伏)にあったが江戸時代の札所再編の際に法長寺に移された。本堂は平賀源内の原図によって建てられたと伝わり、間口10間奥行9間瓦葺入母屋造で、札所一の大きな建物となっている。堂内土間の上に四国志度寺の縁起が彫刻され、左右に座敷書院を配し、内陣の周りには極彩色の彫刻欄間、格天上には花鳥が描かれている。観音堂は別棟にあったが、江戸時代中期の1782年に焼失し、以降本堂内に観音像は安置されている。

当寺は、秩父鉄道・横瀬駅の東方1.0km、道のり1.2kmの国道299号線沿いの小高い場所にある。ただし、境内西側の国道沿いや、境内南側の公道には標識や山門は見えず分かりにくい。さらに、6番札所から国道までの間に、当寺への入口に繋がる交差点があるが表示が一切ない状態。やっとのことで辿り着く境内は、山間部・秩父の寺院としては広々としていて、広々とした中庭を中心に札所で一番大きな本堂や納経所などが建ち並ぶ造りとなっている。

今回は、秩父三十四所観音霊場札所の納経所ということで参拝することに。参拝時は休日の午後遅めの時間で、自分以外にも多くの参拝者が訪れていた。

法長寺の山門

境内東端入口にある<山門>。背後は住宅街で、案内看板も少ないので、一発で辿り着くのは難しそう。(^_^;)

法長寺の本殿

山門をくぐって、左前方にある<本堂>を望む。

法長寺の本殿

<本堂>全景。間口24m、奥行18m瓦葺入母屋造の、秩父札所随一の大伽藍で、観音堂が本堂の中にあるという珍しい造り。

法長寺の本殿

<本堂>正面。五色の寺院幕が札所の華やかさを演出。

法長寺の狛犬

本堂正面左側にある<撫で牛>。

法長寺の像

本堂正面右側にある<恵比寿・大黒天>。

法長寺の建物その他

本堂に向かって左後ろにある<納経所>。御朱印はこちら。

法長寺の本殿

納経所から見た<本堂>。

法長寺(埼玉県)

境内西端にある<吒枳尼天堂>。

法長寺の建物その他

実際に境内に入ったのはこちらから。境内南端にある<参道>とされる階段。
大きめの通りに面しているが、山門などの建物や分かりやすい看板はないので分かりにくい。(^_^;)

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歴史

法長寺は、凉堂寒清大和尚(1606年(慶長11年)寂)が開山したと伝わり、開基は内田家2代図書頭重賢である。
元々、札所七番は牛伏堂で根古屋3区の牛伏にあったが、1782年(天明2年)の火災で牛伏堂が焼失し本尊の十一面観音像が別当寺の法長寺本堂に遷されたため、現在は法長寺が札所七番とされる。
牛伏堂の由来には諸説あるが、その中に平将門にまつわる伝承がある。花園左エ門という者の家来が、平将門と戦って敗れこの地で亡くなった。やがて承平天慶の乱が終わり、その妻がこの地を訪れると夢に夫が現れ「将門と戦ったため、村のある家の牛の子に生まれて苦しんでいる。」と告げた。妻はただちに尼となって観世音菩薩に仕えたところ、その功徳によって夫の苦しみがなくなったというものである?また、別の伝承では、牧童が草刈りをしていると一頭の牛が現れ、その牛は地に伏して動かなくなってしまった。一夜が明け、牛の姿はなく十一面観音像があった。このため、牛は観世音菩薩の化身だったと考え、十一面観音像を祀り牛伏堂を建立したと言うものもある。

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法長寺の基本情報

住所埼玉県秩父郡横瀬町横瀬1508
行き方
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名称法長寺
読み方ほうちょうじ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0494-22-1921
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
おみくじあり

詳細情報

ご本尊十一面観世音菩薩
山号青苔山
宗旨・宗派曹洞宗
札所など

秩父三十四観音霊場 第七番札所

ご由緒

法長寺は、凉堂寒清大和尚(1606年(慶長11年)寂)が開山したと伝わり、開基は内田家2代図書頭重賢である。
元々、札所七番は牛伏堂で根古屋3区の牛伏にあったが、1782年(天明2年)の火災で牛伏堂が焼失し本尊の十一面観音像が別当寺の法長寺本堂に遷されたため、現在は法長寺が札所七番とされる。
牛伏堂の由来には諸説あるが、その中に平将門にまつわる伝承がある。花園左エ門という者の家来が、平将門と戦って敗れこの地で亡くなった。やがて承平天慶の乱が終わり、その妻がこの地を訪れると夢に夫が現れ「将門と戦ったため、村のある家の牛の子に生まれて苦しんでいる。」と告げた。妻はただちに尼となって観世音菩薩に仕えたところ、その功徳によって夫の苦しみがなくなったというものである?また、別の伝承では、牧童が草刈りをしていると一頭の牛が現れ、その牛は地に伏して動かなくなってしまった。一夜が明け、牛の姿はなく十一面観音像があった。このため、牛は観世音菩薩の化身だったと考え、十一面観音像を祀り牛伏堂を建立したと言うものもある。

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