ふじいでら|真言宗御室派|紫雲山
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西国三十三番観音霊場第五番 紫雲山 葛井寺へ参拝いたしました。 近鉄南大阪線藤井寺駅下車、南出口を出てしばらくアーケードの商店街参道を進むと到着です。 ゆくりなくも、前回投稿の「道明寺」と同じく真言宗御室派寺院で、日本最古の千手観音と謂われている本尊の十一面千手観世音菩薩は国宝に指定されているのですが、今回は御開帳の日に合わず残念ながら奉拝は叶いませんでした。 実際に千本超の脇手がある観音像は珍しく是非次の機会には拝覧したいものです。 寺伝では7世紀代に、百済からの渡来した葛井氏の氏寺として建立され、神亀元年(724年)聖武天皇の勅願により十一面千手観音の造像を命じ、翌神亀2年に天皇臨席のもと行基が導師となって開眼法要が行われたといわれ、この時をもって古子山葛井寺(紫雲山金剛琳寺)の勅号を得たとされています。 その後、平城天皇の第一皇子である阿保親王、またその阿保親王の皇子である在原業平ら葛井氏系により伽藍の造営がなされ七堂伽藍を有す大寺院として崇拝を集めたのですが、一時期荒廃してしまいます。 永長元年(1096年)その状況を嘆いた藤井安基が大規模な伽藍の修復を行い、寺を再興します。 その功績により「藤井寺」とも呼ばれる時代があったようですが、再び寺号は「葛井寺」に戻されます。 ただ「藤井寺」の名称は地名としてそのまま残されることになりました。 藤井寺市にある葛井寺~「藤」と「葛」とは「ふじ」という同じ読みをもっていて読みは「ふじいでら」ながら地名と寺号で字が違うのは何故?とは思っていましたが、やはり藤井寺市の由来は葛井寺にあったようです。 葛井寺の改称とともに地名も「葛」の字に変更するべきか、文字通り「葛藤」があったかは定かではありませんが…(笑)。
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(過去参拝) 西国三十三所観音霊場巡礼 (1巡目)
第五番札所 紫雲山 葛井寺 に参拝致しました。
7世紀中頃、百済系渡来人、葛井氏の氏寺が始まり。神亀2年(725) 聖武天皇の勅願により大伽藍を建立。春日仏師親子に命じて、十一面千手千眼観世音菩薩像を造らせ、3月18日 天皇の命で行基上人が導師となり、入仏開眼法要を勤められた。
南北朝時代から戦国時代にかけて、消失や永正7年(1511)の大地震により、諸堂荒廃してしまう。
しかし、衆庶の厚い信仰、協力があり、修築する。
戦国末の本願寺と織田氏との争いの折、織田方の禁制下にて安泰を得て、豊臣秀頼公による四脚門の建立、盛んになった大衆による観音信仰にて寺運を支えた。
第四番札所 施福寺に参拝した後で、こちらに参りました。急勾配の登り降りで、膝がまだ笑った状態のままで参拝となりました💦
札所順に参拝する!と、ルールを守る為、また、今日は18日。秘仏の国宝・十一面千手千眼観世音菩薩さま御開帳の縁日。どうしても拝顔したい。この日に向けて立てた参拝計画。
何が何でも、来なくてはならないのでした。🙏🏻

秘仏 国宝 十一面千手千眼観世音菩薩像
合掌する2本の手、背中で持ち物を持つ手が40本。小さな脇手は1001本。驚いたことに、漆塗りの全ての掌には小さな眼があります。真の千手千眼です。
本当に素晴らしくって、見入ってしまいました😳凄いのは、奈良時代から1300年もの間、指の1本も欠けることなく、今日に至っていることです。合戦や大地震、火災などの度重なる有事の際に、僧侶をはじめ、信者、地域の人々が協力して、御本尊を守り抜かれた、奇跡的な歴史に深く心を揺さぶられました。🥹🙏🏻お出会い出来て幸せです。ありがとうございます😭
(御本尊は撮影禁止のため、書籍西国三十三所をめぐる本より引用)

楼門

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