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ふじいでら|真言宗御室派紫雲山

葛井寺
大阪府 藤井寺駅

御朱印(3種類)

葛井寺では、約5種類の御朱印をいただけます。 
そのなかからホトカミに投稿された3種類を紹介します。

大悲殿の御朱印

300円
記念印の押印は2022年3月31日まで

真ん中に大悲殿と書かれ、右上に西國第五番の院、真ん中に葛井寺の文字が入った蓮華座に梵字(千手観音)の火焔宝珠印、左上に「西國三十三札所第五番 草創一三〇〇年 葛井寺 慈悲の道」の記念印、左下に葛井寺の文字、葛井寺納経所の印が押されています。
大悲殿とは観音様がいらっしゃるところを意味し、葛井寺本堂の大きな厨子の中には本尊として国宝の秘仏「千手観音菩薩坐像」が安置されています。
毎月18日には扉が開かれ、多くの参拝者でにぎわいます

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御朱印について御朱印
あり

4種類の御朱印をいただけます。中でも蓮華王の御朱印は、墨書きに重ねられた千手観音の印が迫力がありま…

限定
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御朱印帳にお書き入れ
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御朱印帳
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駐車場
-

巡礼

その他の巡礼の情報

西国三十三所第5番
河内西国霊場特別客番
神仏霊場巡拝の道第59番
河内飛鳥古寺霊場第4番
古市古墳群と六社寺巡り

歴史

葛井寺は7世紀前半百済からの渡来人葛井氏の氏寺として創建されたと伝わります。
葛井氏の前身である白猪氏は朝廷から葛井連(ふじいのむらじ)の姓を賜ります。
日本で初めて体系的に刑法や行政法と民法を揃えた法典「大宝律令」(701年)の作成にも葛井一族は大きく関わっており、葛井氏は新しい文化を多くもたらします。その実績が認められ広大な土地を賜り、その地に寺を建立し葛井寺の基が始まったとされます。
永長元年(1096)に藤井安基という人物が、葛井寺の荒廃している様子を嘆き、伽藍の大修理に尽力します。その姓をとって「藤井寺」という別名がつきました。地名の「藤井寺市」もこの藤井さんが元だと言われています。
藤井安基は元々は誰も手が付けられない乱暴者でしたが、急死した後、閻魔大王に地獄に落とされるところを藤井寺の観音様に救われ蘇生します。その後堂宇を大々的に再興し葛井寺の為に命をかけたと言われています。
奈良時代には「葛」と「藤」は混用されていたとされますが、葛井寺の建立には2人の「ふじいさん」が大きく関わり今の姿になります。
葛井寺の千手観音坐像は、文字通り゛千の手”と”千の目”を持つ千手観音様です。
頭上に十一面をいただき、錫杖や宝輪、数珠などをもつ「大手」に、孔雀のように拡がる1001本の「小手」、そして正面の合掌手を合わせ「1041本」の手を持ちます。 さらに、掌にはそれぞれ眼が描かれております。日本では、千手観音は四十二手とされるのが一般的で、実際に千手をあらわすのは我国では唯一と言える遺例のひとつです。
厳しくも美しい尊顔をもつ本様は、725年(神亀2年)、聖武天皇の勅願によって、稽文會(け もんえ)・稽主勲(け しゅくん)の親子2代にわたり制作され、行基菩薩により開眼せられたと伝えられれます。 堂々とした体躯は奈良時代に流行した脱活乾漆造という技法で造られます。粘土で造った像の原形に麻布を張り漆で固め、漆と木屑を混ぜたもので細かく造形し、粘土を抜き取る。木造や金銅仏に比べて保存が極めて難しく、現存する脱活乾漆仏は大変貴重であります。端正な顔つきに、のびやかな肢体、そして千手という超人的な姿を自然な調和をもってあらわした像容は天平彫刻の粋を集めた観音像です。

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葛井寺の基本情報

住所

大阪府藤井寺市藤井寺1-16-21

行き方

近鉄南大阪線 藤井寺駅より徒歩5分

アクセスを詳しく見る
名称

葛井寺

読み方

ふじいでら

通称

藤井寺

参拝時間

8:00~17:00

参拝料

毎月十八日のご本尊開扉日のみ 500円、特別拝観寺要確認

トイレ仁王門(南門)入って右手の烏枢沙摩閣(トイレ)があり
御朱印あり

4種類の御朱印をいただけます。中でも蓮華王の御朱印は、墨書きに重ねられた千手観音の印が迫力があります。

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号072-938-0005
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスinfo@fujiidera-temple.or.jp
ホームページhttp://www.fujiidera-temple.or.jp/
おみくじ

あり

絵馬

あり

SNS

巡礼の詳細情報

河内西国霊場

特別客番

仏さま:十一面千手千眼観音

御詠歌:

参るより 頼みをかくる 藤井寺 花の台に 紫の雲

神仏霊場巡拝の道

西国三十三所霊場

河内飛鳥古寺霊場

第4番

仏さま:十一面千手千眼観音

詳細情報

ご本尊十一面千手千眼観世音菩薩
山号

紫雲山

宗旨・宗派真言宗御室派
創建時代

725年

開山・開基

葛井広成/行基菩薩

文化財

【国宝】乾漆千手観音坐像(本堂安置)
【重要文化財】葛井寺四脚門(切妻造、本瓦葺)
【府指定文化財】石造灯籠・金銅宝塔
【市指定文化財】聖観音菩薩立像・地蔵菩薩立像

ご由緒

葛井寺は7世紀前半百済からの渡来人葛井氏の氏寺として創建されたと伝わります。
葛井氏の前身である白猪氏は朝廷から葛井連(ふじいのむらじ)の姓を賜ります。
日本で初めて体系的に刑法や行政法と民法を揃えた法典「大宝律令」(701年)の作成にも葛井一族は大きく関わっており、葛井氏は新しい文化を多くもたらします。その実績が認められ広大な土地を賜り、その地に寺を建立し葛井寺の基が始まったとされます。
永長元年(1096)に藤井安基という人物が、葛井寺の荒廃している様子を嘆き、伽藍の大修理に尽力します。その姓をとって「藤井寺」という別名がつきました。地名の「藤井寺市」もこの藤井さんが元だと言われています。
藤井安基は元々は誰も手が付けられない乱暴者でしたが、急死した後、閻魔大王に地獄に落とされるところを藤井寺の観音様に救われ蘇生します。その後堂宇を大々的に再興し葛井寺の為に命をかけたと言われています。
奈良時代には「葛」と「藤」は混用されていたとされますが、葛井寺の建立には2人の「ふじいさん」が大きく関わり今の姿になります。
葛井寺の千手観音坐像は、文字通り゛千の手”と”千の目”を持つ千手観音様です。
頭上に十一面をいただき、錫杖や宝輪、数珠などをもつ「大手」に、孔雀のように拡がる1001本の「小手」、そして正面の合掌手を合わせ「1041本」の手を持ちます。 さらに、掌にはそれぞれ眼が描かれております。日本では、千手観音は四十二手とされるのが一般的で、実際に千手をあらわすのは我国では唯一と言える遺例のひとつです。
厳しくも美しい尊顔をもつ本様は、725年(神亀2年)、聖武天皇の勅願によって、稽文會(け もんえ)・稽主勲(け しゅくん)の親子2代にわたり制作され、行基菩薩により開眼せられたと伝えられれます。 堂々とした体躯は奈良時代に流行した脱活乾漆造という技法で造られます。粘土で造った像の原形に麻布を張り漆で固め、漆と木屑を混ぜたもので細かく造形し、粘土を抜き取る。木造や金銅仏に比べて保存が極めて難しく、現存する脱活乾漆仏は大変貴重であります。端正な顔つきに、のびやかな肢体、そして千手という超人的な姿を自然な調和をもってあらわした像容は天平彫刻の粋を集めた観音像です。

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