どうみょうじ|真言宗御室派(古義真言宗)|蓮土山
道明寺大阪府 土師ノ里駅
6:00~17:00
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楽しみ方
藤井寺でどんな寺社があるか調べてたらさくらもちで有名な道明寺があるとのことで参拝。
季節外れだけど桜餅あるかなぁって思い調べたけど周辺にはなさそう😢
あればお客さん来るだろうにと思いました。

大阪府藤井寺市にあります、
道明寺に参拝しました。
真言宗御室派の寺院(尼寺)で、山号は【蓮土山】御本尊は【十一面観音】
聖徳太子霊跡 第3番札所。
河内飛鳥古寺霊場 第5番札所。
道明寺は7世紀中葉に土師氏の氏寺として建立された土師寺を起源とした尼寺です。土師氏の後裔である菅原道真公が、太宰府下向に際して伯母の覚寿尼を訪れたゆかりの地です。 また関西風桜餅(道明寺餅)など和菓子の材料として知られる「道明寺糒」「道明寺粉」発祥の寺としても有名です。
初詣2日目 道明寺天満宮の次に訪れ参拝させて頂きました。こちらは訪れた時は、かなり空いていたのでゆっくりと見て周れました。
参拝後に御朱印を直書きで頂きました。

道明寺へようやく到着。尼寺って知らんかった😅道明寺と言えば「道明寺桜餅」ですが近くで食べれそうなところなさげ・・・😔参道には終わりを迎えつつある枝垂れ桜。境内は参拝者がちらほら。御開帳が18日(観音さん縁日)と25日(菅公縁日)なのでまあ花見シーズンも終わりだし・・・。ゆっくり散策して本堂をお詣り。授与所いないなぁと覗いていると男性が声をかけてくれて、「御朱印なら右手の建物(庫裏みたい)のインターホンで呼べば書いてもらえますよ」と教えていただけました🤗インターホンを押し、御朱印の旨を伝えると授与所にて書きますとのことで書いていただいている間にしばし雑談をしておりました。観音さんの写真が貼られていましたが授与はされておらず御御影はあるとのことでそちらも拝受いたしました🤗この近辺見落とし多いのでまた後日来よう。来年の桜かな・・・😅
東門
参道入り口と寺号標
由緒
菅公御作十一面觀世音
山門
扁額。薄っすら道明寺
地蔵菩薩
手水舎
多宝塔
同由緒。藤澤薬品の初代社長寄贈のよう。
同石碑。何語かもわからない😥
聖観音
護摩堂
本堂
由緒
扁額
大師堂
ワンちゃん🤗
キリンさんです・・・
参道の枝垂れ桜
木槵樹の石標。飛地境内になるのかな?
謡曲「道明寺」と木槵樹
お堂
石碑には「道明寺のもくげんじゅ」
当寺は推古天皇2年(594年)、聖徳太子がこの地に尼寺を建立されるに当り、土師氏が邸宅を寄進し、東西320米、南北640米の広大な境内に五重塔、金堂等をはじめとする七堂伽藍の完成を見ました。これが当寺の前身土師寺であり、その後土師氏の後裔である菅原道真公に依って道明寺と呼び改められる処となり、数多くの仏像、経典美術工芸品、薬品等を宝蔵しておりました。菅原道真公が、太宰府下向に際して伯母の覚寿尼を訪れたゆかりの地でもあります。 建立当初は現在の道明寺天満宮の南側参道付近に位置し、現在も塔心礎が残っています。 その後、戦国時代に入り、高屋の兵乱に当寺も焼失しましたが、これを惜しむ織田信長、豊臣秀吉、徳川代々の将軍家等の庇護によって復興成り朱印地に認められました。明治5年の神仏分離に従って堂宇一切を天満宮境内より現在地に移し、境内の拡張を経て大正8年には本堂の落成をみ、多宝塔を加えて現在に至っております
国宝である本尊の十一面観音立像は毎月18日と25日に拝観することができます。関西風桜餅(道明寺餅)など和菓子の材料として知られる「道明寺糒」「道明寺粉」発祥の寺としても有名です。
| 名称 | 道明寺 |
|---|---|
| 読み方 | どうみょうじ |
| 通称 | 土師寺 |
| 参拝時間 | 6:00~17:00 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| 電話番号 | 072-955-0133 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.domyoji.jp/index.html |
| 聖徳太子霊跡 第3番 | 仏さま:十一面観音 |
|---|---|
| 河内飛鳥古寺霊場 第5番 | 仏さま:十一面観音 |
| ご本尊 | 十一面観世音菩薩 |
|---|---|
| 山号 | 蓮土山 |
| 宗旨・宗派 | 真言宗御室派(古義真言宗) |
| 創建時代 | 推古天皇2年(594年) |
| 開山・開基 | 聖徳太子、土師氏 |
| 文化財 | 木造十一面観音菩薩立像(国宝) |
| ご由緒 | 当寺は推古天皇2年(594年)、聖徳太子がこの地に尼寺を建立されるに当り、土師氏が邸宅を寄進し、東西320米、南北640米の広大な境内に五重塔、金堂等をはじめとする七堂伽藍の完成を見ました。これが当寺の前身土師寺であり、その後土師氏の後裔である菅原道真公に依って道明寺と呼び改められる処となり、数多くの仏像、経典美術工芸品、薬品等を宝蔵しておりました。菅原道真公が、太宰府下向に際して伯母の覚寿尼を訪れたゆかりの地でもあります。 建立当初は現在の道明寺天満宮の南側参道付近に位置し、現在も塔心礎が残っています。 その後、戦国時代に入り、高屋の兵乱に当寺も焼失しましたが、これを惜しむ織田信長、豊臣秀吉、徳川代々の将軍家等の庇護によって復興成り朱印地に認められました。明治5年の神仏分離に従って堂宇一切を天満宮境内より現在地に移し、境内の拡張を経て大正8年には本堂の落成をみ、多宝塔を加えて現在に至っております
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| 体験 | 仏像御朱印国宝重要文化財札所・七福神巡り |
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