● #伝える御首題 Episode28『願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道』
妙法蓮華経化城譬品第7より
「願わくはこの功徳を以て 普く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん」
伝える御首題を始めたのが令和3年の10月。
その時に、法華経という経典が28章で構成されていることから、28種の御首題を完成させることを目標に歩んできましたが、始めた当初から、最終章のEpisode28は、この言葉で締めくくるべきだろうと考えていました。
最初期はシンプルなデザインで始まり、途中凝ったものを色々考えてみましたが、最後は極めてシンプルにしながらも、金色で墨書押印させて頂きました。
積んだ功徳を自分のものだけにせず、広く一切の衆生に振り向けて、皆が一緒に仏道を成就できますように。
大きな利他の祈りであり、昨日のEpisode27の投稿でチラッと書いた、大乗仏教の『回向(えこう)』という概念に通ずる法華経の言葉です。
この言葉は、私の浅い知識の限りでは、法華経に由来する言葉なはずですが、法華経を重んじる宗派だけでなく、日本の様々な仏教宗派において読まれることが多々あるので、
「聞いたことある!」
という方も多いのではないでしょうか?
大乗仏教の勃興によって、利他行中心の教えが発展していくのですが、自利行(自分の利益を考えた行い)から利他行(他者の利益を考えた行い)に発展するということではなく、徹底して利他行に徹していくことで、自然と自利がもたらされるという考え方になります。
昨日のEpisode27の投稿で登場した、『回向(エコウ)』ということについて、少しご説明致します。
『回して向ける』と書きますが、一体何を回して向けるのか?
それは、自分自身が積んだ功徳です。
Episode27のところでも書きましたが、因果応報の摂理に従えば、仏道修行をして積んだ功徳を受け取るのは、修行をした者です。
ですが、その積んだ功徳を、他へと振り向けていく事が『回向(エコウ)』という考え方になります。
自分の手柄を自分のものにせずに、他者へと振り向けていくこと。
かっこいいじゃないですか!
そんな立派な人格が形成されていたら、憧れの上司に指名される事間違いなしです。
余談になりますが、お坊さんに来てもらって、お経をあげてもらって、ご先祖様の供養をして頂くことを、かなり理屈っぽく説明すると、
お坊さんがあなたの家のお仏壇でお経をあげた功徳は、本来そのお坊さんが受け取るべき功徳ですが、その功徳をお坊さん自身の功徳として受け取らず、あなた様のご先祖様に受け取って頂くべく、『回して手向(たむ)けている』という事になります。
だから、お坊さんのお経参りのことを『回向参り』とも呼んだりするわけです。
私は、この『回向』という考え方が、とっても大切なことだと感じています。
皆さんは、『仏様のような人』と感じる方と出会った事がありますか?
もしそう感じるような方がいらっしゃったら、おそらく、その方って利他精神の強い人じゃないですか?
私もそういった方に助けて頂いた事があるんですが、そのような経験があると、自分もその人のことを見習って、自分にできる利他を実践しようって思えたりしますし、一般的な人間の心の作用として、『交換の原理』が働くので、『して頂いたら、何かお返しをしたい』と考える人が多数です。
そういったことからも、利他の実践は、それを受けた方の心も変容させていく力があるんだろうと、私は感じています。
今現在、売れてる芸人さんが、売れない下積み時代のことを思い返して、お金がなかった時に、先輩に毎日のようにご飯を奢ってもらった。
だから、自分も芸人として飯が食えるようになってからは、お金がない後輩芸人を連れてよく飲みにいっている。
こんな話は、まさに『回向』が巡り巡っているのを感じます。
どんな宗教でも『祈り』を重んじます。
上記の例は、お金のかかることなので、それが出来る人出来ない人が生じるかもしれませんが、『祈り』は差別なく誰にでも出来る行いです。
その『祈り』を、利他の祈りとする。
仮に「事業反映」という願いも、
その心意が、
「仕事で儲けたお金で遊びの限りを尽くしたい。」
と考えているのと、
「うちのサービスを利用した方が、皆幸せになってもらいたい。」
と考えているのとでは、天と地ほどの差があります。
『回向』という考え方。
私自身も自分にできる『回向』を手向けて参りたいと思います。
例え小さなことであっても、自分にできる『回向』を実践していくことが、良き循環を生むことに繋がります🙏
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御志納金 1000円