『伝える御首題』は、御朱印、御首題を通じて、お経の言葉をお伝えするべく、1つの布教活動との認識で墨書押印しております。示唆に富んだお釈迦様の教えに触れる機会として頂き、何かしらの気づきが得られるものであることを願っております。
過去の『伝える御首題』は、以下リンクより。
・本昌寺ホームページ
https://honsyouzi.net/goshuin.html
・本昌寺インスタグラム
https://www.instagram.com/taijor_honsyouzi_since1634/?hl=ja
●伝える御首題Episode20『悪鬼入其心』について
妙法蓮華経 勧持品第13より
『悪鬼入其心』
「悪鬼は其の身に入って」
『悪鬼入其心』には、その後に続く言葉があって、その経典に説かれた内容を、そのままお伝えすると、
「法華経を本気で布教しようとすると、悪鬼がその心に入ったような人々から、罵倒されたり辱めを受ける。」
⬆️
こんな感じの内容になります。
なにそれ??
法華経、怖っ!!
って感じですよね。
でも法華経ってのは、そういう経典なんです。
ですが、今回お伝えしたいのは、経典の内容の意味合いそのものではなく、
『誰しも心に悪鬼が入ることはあるよね』
ってこと。
それとは逆に、心に仏様が宿ることもある。
それぐらい心は移ろいやすいもの。
どれだけ信頼を積んできた方であっても、一時の気の迷いで悪事に手を染めてしまうことはあるし、人を傷つけるようなことばかり繰り返してきた人でも、ある日、ふと誰かを助けたりするようなこともある。
仮に、悪鬼に心を奪われたような人から、罵倒されたり辱めを受けるようなことがあっても、決して相手と同じ土俵に立って、やり返したりするのではなく、耐え忍ぶということを法華経では教えています。
その耐え忍ぶ様は、常不軽菩薩と呼ばれる菩薩様の姿で説かれているんだろうなと、私は受け止めています。
過去の『伝える御首題』Episode15の『常不軽』という菩薩様ですね。
よろしければ、過去投稿をご覧下さい。
あと、もう一つお伝えしたいのは、私たちは、自分自身は特別と思ってしまいがちということ。
どういうことか?
日々、SNSで誰かの発言が絶賛されたり、共感を得たり、あるいは、炎上したりしているのを見ていて思うんですが・・・
例えば、動物への虐待をした人が仮にいたとして、それに対して、
「なんでそんなひどいことをするのか?」
「理解できない、最低だ」
こんな風に思っていたり、発信してる人は、
『自分は決してそんな悪いことはしない』
と、
「自分は特別で、決して私の心に悪鬼が入り込むことはない。」
と思い込んで発言しているように感じます。
でも、そんな風に自分を過信しない方がいいんじゃないかと。
あくまで、
『人間は愚かである』(自分も含めて)
ということが大前提。
何かがきっかけで、悪鬼が己の心の中に入り込むことは充分ありうる。
「私は大丈夫!」
ではなく、
「私だって、そうなってしまう可能性は充分にある。」
こんな風に、戒めておくこともまた、大切ではないかと思うのです。
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