そうじじ|高野山真言宗|補陀落山
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楽しみ方総持寺のお参りの記録一覧
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ますみん
2021年04月26日(月)822投稿

碧。
2021年05月17日(月)112投稿

ちゅりぶり
2021年02月14日(日)184投稿

ぬるかんぐう
2023年04月06日(木)344投稿

湯守りと妖怪
2021年01月31日(日)41投稿
高野山真言宗。西国三十三所22番、神仏霊場会大阪22番
縁起によると平安時代の貴族藤原高房が発願しその子の山蔭が創建したという。
高房が九州に下向する際に淀川の渡しで殺されかけた亀を買い取り放してやった。
翌日高房の一行が船で出発したところ、継母の企みによって子の山蔭が川に落とされてしまう。
嘆き悲しんだ高房が観音菩薩に「今一度山蔭に会わせたまえ。この願い成就の時は尊像を彫り伽藍を創建する」と祈念すると、助けた亀が甲羅に山蔭を乗せて現れたと。
高房は遣唐使の大神御井に観音像を彫る良木を探させ、格好の木材を見つけたが唐の国から持ち出せず、木材に銘文を刻んで海に流した。
高房は誓願を果たせぬまま死去した。大宰府の役人となった山蔭は海岸に流れついた霊木を見つけ、京に運ぼうとしたが摂津の国で持ち上がらなくなった。
山蔭はこの地に留まりたいのでしょうか、と問うと軽くなったので千手観音を彫らせてこの地に祀った。
その後、山蔭の三周忌に一族が伽藍を造営したと。

タンホイザ
2020年12月20日(日)3908投稿

えべっさん
2020年03月22日(日)1743投稿

ますみん
2021年04月26日(月)822投稿

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