そうじじ|高野山真言宗|補陀落山
総持寺のお参りの記録一覧(3ページ目)
初詣に総持寺へ。天気もよくて暖かい気持ち良い初詣になりました。皆さま、今年もよろしくお願いします。
御朱印頂戴しました。御朱印の上にある牛王札は、三が日に牛王加持を受けるといただけます。僧侶が「おう」と大きな声で授けてくださいます。本来は牛王印を額に受けるそうですがそれはなし。コロナの影響でしょうか。
仁王門です。
本堂です。こちらで参拝。
大阪府茨木市にある総持寺をお参りしました。 本尊は亀の背に乗る千手観音像、今昔物語集に亀の恩返しのエピソードとして収められているほど亀に縁のあるお寺です。 境内にある小さな池は鯉エリアと亀エリアに分けてありました。
総持寺・寺院名碑
総持寺・仁王門
総持寺・本堂
総持寺・亀の池
御朱印
亀の御神籤
[西国33観音22番札所]
[摂津国33観音27番札所]
[ぼけ封じ近畿十楽観音6番札所]
[摂津国88ヶ所47番札所]
[神仏霊場巡拝の道大阪22番札所]
頂いていなかった御朱印を貰いに行きました。
閉門近く、ゆっくりお参りできませんでした。
山門横の石碑
山門
お寺縁起
山門の金剛力士像(阿)
山門の金剛力士像(吽)
本堂
水天宮
御朱印 ぼけ封じ近畿十楽観音6番
御朱印 摂津国88ヶ所47番
御朱印 摂津国33観音27番
高野山真言宗。西国三十三所22番、神仏霊場会大阪22番
縁起によると平安時代の貴族藤原高房が発願しその子の山蔭が創建したという。
高房が九州に下向する際に淀川の渡しで殺されかけた亀を買い取り放してやった。
翌日高房の一行が船で出発したところ、継母の企みによって子の山蔭が川に落とされてしまう。
嘆き悲しんだ高房が観音菩薩に「今一度山蔭に会わせたまえ。この願い成就の時は尊像を彫り伽藍を創建する」と祈念すると、助けた亀が甲羅に山蔭を乗せて現れたと。
高房は遣唐使の大神御井に観音像を彫る良木を探させ、格好の木材を見つけたが唐の国から持ち出せず、木材に銘文を刻んで海に流した。
高房は誓願を果たせぬまま死去した。大宰府の役人となった山蔭は海岸に流れついた霊木を見つけ、京に運ぼうとしたが摂津の国で持ち上がらなくなった。
山蔭はこの地に留まりたいのでしょうか、と問うと軽くなったので千手観音を彫らせてこの地に祀った。
その後、山蔭の三周忌に一族が伽藍を造営したと。
入口の亀の石標。ちょっと怖い噛みつかれそうなお顔です。
楼門 前に勅願所総持寺の石柱。楼門内には仁王像が祀られています。
厨子内には秘仏本尊の千手観音立像が祀られています。この観音像は蓮華座ではなく亀に乗ったお姿。
厨子の前には秘仏本尊と同じ姿の御前立が祀られています。
毎年4月15日から21日までが御開帳ですが今年はご確認を。
本堂のお賽銭箱 亀さんも「ようお参り」
本堂の賓頭盧様 本堂に「慈眼視衆生」の掛板 かけておられる眼鏡は老眼鏡ですかね。
開山堂 山蔭が観音像が完成するまでの千日間自ら料理して仏師の食事を供したとの伝承から後に包丁の神として崇められるようになる。
毎年4月18にTに行われる山蔭流包丁式は、山蔭流の料理人が古式ゆかしく調理した鮮魚を開山堂の山蔭像に供える儀式です。
昭和初期に大阪の板前派遣業の組合が中心になって結成、魚に手を触れる事なくさばく作法は口伝により受け継がれます。
境内の亀や鯉 地蔵堂を取り囲む池には多くの亀4が放たれています。春の包丁式では池に鯉を放す放生会が行われます。
朱印所には総持寺土産の定番 黒糖味のかりんとう・亀の恩返しもお忘れなく。
大阪府のおすすめ3選🎍
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