ひらおかじんじゃ
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河内国一之宮枚岡神社に参詣させていただきました⛩👏🌿ご本殿の枚岡造(王子造)と呼ばれ四殿並列極彩色の美しい神社建築のご神殿にお酒を献上しながら祝詞をあげさせていただきました🌿👏🙇🏻♂️🥹ご本殿のご祭神は四柱、天児屋根命あめのこやねのみこと比売御神ひめみかみ経津主命ふつぬしのみこと武甕槌命たけみかづちのみことです👏🌿 創建はいい伝えによると初代神武天皇即位(紀元前660年2月11日)前3年と古くて(2682年前?!😵)中臣氏の祖の天児屋根命を主祭神として中臣氏の氏神だったらしいです。のちに中臣氏から分かれた藤原氏が氏神として春日大社を創建した時に、祭神4柱のうち2柱として当神社の天児屋根命・比売御神の分霊がされていて、それに由来して「元春日」とも言われるということです🧐😆なので、当神社のご神紋は「下がり藤」(藤原氏の家紋)です🧐😆ご本殿のつぎに摂社の若宮社わかみやしゃ(天押雲根命あめのおしくもねのみこと)にお詣りし、末社の天神地祇社てんしんちぎしゃ(天津神 国津神)にお詣りさせていただきました👏🌿🙇🏻♂️ 天神地祇社の雰囲気がホッとできていいなと思いました🙏⛩🥹🙇🏻♂️山頂の神津嶽本宮かみつだけほんぐうに登りかけましたが、熱中症🥵💦になりそうで途中で引き返し、ご本殿右手奥の神津嶽本宮かみつだけほんぐう遥拝所ようはいしょで祝詞を山頂に向かいあげさせていただきました🤣👏🌿🙇🏻♂️涼しい季節に元気に当神社の元々の山岳信仰発祥の地である元宮に登拝したいです🌿🙏🙇🏻♂️🤣
神さまに歓迎されましたでしょうか🥹🌿🙏🦋🙇🏻♂️

枚岡神社に参拝しました。息子夫婦が結婚式を挙げた思い出の神社です。
で、使用中の御朱印帳への御朱印授与と、新しい御朱印帳の購入を申し出たところ、新しい御朱印帳は、最初のページに枚岡神社の御朱印をいただかなければ販売できないと断られました。
しかし、使用中の御朱印帳は10ページも残っていますし、新しい御朱印帳に日付が飛んだ御朱印があるのも嫌です。もちろん、10ページ残して次の御朱印帳に替えるのも嫌です。
そこで、御朱印帳の購入は諦めました。これでは、枚岡神社で御朱印デビューする人や、枚岡神社で新しい御朱印帳に替わるタイミングの人しか買えません。
こういう扱いをされたのは初めてで、仕方がないので、他所の神社で購入することにしましたが、どうにも釈然としません。というより理不尽だと思います。
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天児屋根命に会いに伺いました(≧▽≦)ゞ
御祭神
天児屋根命
比売御神
経津主神
健甕槌命
比売御神なんですが、天児屋根命の奥さん(天美津玉照比売命)とか大日霊貴命(天照大御神)とか言われていますが、謎です(笑)
伺った時に神前結婚式を執り行われていました。
呼ばれたって事すね(笑)
でも河内国一の宮ですので、色々見所沢山です。
狛犬がいない代わりに鹿さんがいるのが興味深い。
でも自分的には本殿ですね。
四柱の御祭神がそれぞれ孤立した社に祀られています。
つまり本殿が四社あるわけです。
しかも本殿と拝殿との間に堀がある…
非常に興味深いです。
さらに末社には天神地祇社があります。
御祭神が天神地祇、つまり天の神様(天津神)、地の神様(国津神)全て諸々祀っているという、スペクタクルな社です(笑)こういう祭り方、地元の神社にもありますよ( ̄▽ ̄;)
ありがとうございましたm(_ _)m
追記…
天児屋根命は歴史的に有名な藤原氏の祖神になります。
個人的には笑う神様みたいなイメージなんですけど、もっと格式高い神様になるんですよね。
健甕槌命は天津神最強の武神です。
ちなみにこの神社って元春日と呼ばれるそうです。
つまり春日大社よりも古いって事っすね( ̄▽ ̄)

枚岡神社(ひらおか~)は、大阪府東大阪市にある神社。式内社(名神大社)、河内国一之宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は、天児屋根命(あめのこやね)、比売神(ひめがみ)、経津主命(ふつぬし)、武甕槌命(たけみかづち)の4柱。春日大社は当社から天児屋根命、比売神を勧請したことから「元春日」とも称される。
社伝によると、創建は神武天皇即位前3年(紀元前663年)、神武東征に際して天種子命が勅命により天児屋根命・比売神の2神を東方山神の神津嶽(かみつだけ)に奉斎したことに始まる。その後、飛鳥時代の白雉元年(650年)に当地の古代氏族である平岡連(平岡氏)が神津嶽から現在地に奉還した。(なお、史料における当社の社名は、古代より「枚岡」と「平岡」の字が併用されている。)
平安時代の859年には、神階が最高位の正一位に昇叙したと国史に記載されている。また、927年の『延喜式神名帳』には「河内国 河内郡 枚岡神社 四座 名神大」と記載されている。
平安時代末期以降は、河内国一之宮として崇敬を受けたとされるが、史料に明確な記載がない。鎌倉時代の1275年に西大寺の叡尊が衆僧100余人を率いて参詣し、蒙古襲来に対する大般若経の講讃転読を行った記録がある。戦国時代の1574年には当社神官の水走有忠(みずはいありただ)が織田信長と合戦し社殿を焼失、1605年に豊臣秀頼が復興のために社領などを寄進している。江戸時代には徳川幕府からの崇敬はほぼなったようで、村から社領5石の寄進を受けたのみ、1826年には氏子が現本殿を造営している。明治時代には近代社格制度において官幣大社に列し、昭和戦後、神社本庁の別表神派に加列している。
当社は、近鉄奈良線・枚岡駅の東口駅前すぐの場所にあって、駅のホームから一の鳥居が見える。境内地は生駒山脈の西麓に位置し、社殿は西面して鎮座している。もともと山岳信仰が発祥ということもあり、本殿は山の中腹にあるが、背後の山上に<神津嶽本宮>がある。他の一宮と比較すると、境内は広くはないが、4つの本殿が横に並ぶ独特な形式をもっている。
今回は、河内国一之宮であるため参拝することに。参拝時は週末の朝一、神職の方々はまだ準備中だったが、おそらく地元の人々中心に、参拝者はぱらぱらと見受けられた。
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