ひらおかじんじゃ
枚岡神社のお参りの記録一覧(4ページ目)
神仏霊場の御朱印を頂きに来ました。
玄関明けたらすぐご飯じゃなく、改札抜けたらすぐ参道な神社さんで、非常に交通の便の良い場所でした。
奈良の薬師寺もそんな感じですけどね(笑)
他のホトカミユーザーさんが色々お写真やら記事を書かれていますので、出来る限り被らないように投稿したいと思います。
さほど大きな神社さんではありませんが、まず鳥居をくぐったら鉾の石柱が目につきます。
その中央に「あげまき結び」という特殊な結び方をした注連縄の鳥居があり、狛鹿が鎮座しています。
「あげまき結び」は紙垂(しで)や〆の子(しめのこ)を一つにした結び方と言われ、主祭神・天児屋根命(アメノコヤネノミコト)は注連縄を初めて用いた神様と言われている事からちなんで注連縄を新しく掛けかえる「注連縄掛(しめかけ)神事」というお祭りがあります。
別名「お笑い神事」と親しまれているこのお祭りは年末・12月23日に行われるのですが、しめ縄をかけ替えたら神職ともどもみんなでその前でおお笑いをするのだそうです。
理由があるそうで、天照大神が天の岩戸隠れされた時、その前で祝詞をあげ楽しそうに笑いながら誘った事をしたのがこの神様だったようで、その古事にのっとって、今もおお笑いをする神事が行われているそうです。
ここは本来もっと山の手にあった神社さんだったようですが、難波宮が出来た時、その鬼門を守護するために現在の場所に移転したそうです。
その創成古事は神武天皇が長髄彦(ナガスネヒコ)との戦いで敗れてしまった事でここに国土平定の願いを込めて創建したのが始まりなんだそうです。
後に神武天皇は勝利し、大和に進行してゆき初代天皇となってゆきます。
長髄彦(ナガスネヒコ)は物部氏の守護神・邇芸速日命(にぎはやひのみこと、饒速日命)に撃たれるという記述もありますが、兄弟と言う話もあって神武天皇に敗れた後、東へ逃げ、現在の諏訪に行ったという話があります。あの伊達政宗の先祖と言う話もありましたね。
で、ここで思ってたんですが、最初に目に入った鉾の石柱と鹿。
藤原家は中臣家である事、鉾は武器を表す事から、この神社は物部の神社ではないかと言われています。
なんちゃんて歴史はこの辺りにして置き、ここでもう一つ思ったのは国旗掲揚です。最近、祝日以外で国旗掲揚する神社さんは靖国神社以外ではあまり見かけなかったのですが、こちらは日曜日という事だったのか国旗が上がっていました。しかも社務所で国旗まで売っている。
そしてこの日本にとって古来より一番重要とされている稲の栽培の促進がされており、バケツで栽培できる種もみが無料配布されていました。
日本と言う国体を大事にしている神社さんと言うイメージでしたね。
梅林とあったのですが平成18年に病気が蔓延し全て伐採されたんだそうです。残念ですがまた植樹予定があるとの事で楽しみにしています。現在では桜が咲き誇る美しい丘になっており、大阪平野が一望できる気持ちのいい場所となっていました。
向かって左の狛鹿は「撫で鹿」
拝殿の奥にある御神木は柏槙(ビャクシン)と呼ばれるイブキ科の木。本宮がある神津嶽には神武天皇お手植えのビャクシンの大木があり、その枝を切って挿し木したものと伝えられている。
梅林跡
大阪平野
葦船神事をプロデュースした事からのご縁だそうです。
創祀は初代神武天皇の即位される3年前と伝承されてます。中臣氏の氏神である御祭神の天児屋根命とその后神比売御神を奈良の春日大社に分霊したことから、元春日と呼ばれています。
手水の鹿
なで鹿
なで鹿
拝殿
鶏鳴殿
授与所
御本殿
遥拝所
若宮社
出雲井
天神地祇社
楠正行公ゆかりの井戸
禊場
禊場
禊場
禊場
参集所
斎館
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