なかやまじんじゃ
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美作国一之宮である中山神社にあがらせていただきました。
ネットでたまたまこちら中山神社の本殿の写真を見て、これはぜひ自分の目で見てみたい!と思い参拝させていただきました。
実際に目の前にして、ただ感嘆するばかりだったんですが、それもそのはず本殿は国指定重要文化財で、しかも大きい!
それだけでもここまで遠征してきた甲斐があったのですが、ほかにも見どころが満載でした。
まず鳥居前の参道にある樹齢800年以上の御神木。
「祝木(いほぎ)のケヤキ」と呼ばれていているそうなのですが、その存在感がものすごいです。
次に鳥居なんですが、立派な鳥居なのはもちろんなのですが、一瞬なんとなく違和感が・・・
うまく自分の言葉で説明できないので、「おかやまスタイル」という情報メディアHPの説明を引用させてもらいます。
「鳥居は、角貫に木鼻がなく笠木と島木に反りをもたせてあり、他地方には例をみない中山鳥居として一形式をつくっています」
神明鳥居の一種になるんですかね?
そして鳥居をくぐり参道を進むとまず一対の狛犬さんがいらっしゃいます。
その先にももう一対の狛犬さんがいるなと思い近付いていくと、阿形の狛犬さんの顔がお猿さんっぽい?
もしかして境内社に猿神社があるからでしょうか?
神門はどっしりとした四脚門。
こちらは津山城二の丸の四脚門を明治7年に移築されたそうです。
そしてこの神門をくぐるといよいよ拝殿が見えてきます。
そしてここで、ふと思ったのがあまり参拝者がいらっしゃらない?
時間はまだ14時頃だったのですが、この広い境内で結局私以外は2組しかすれ違わず。
これだけの立派な一之宮なのでもっと参拝者が多くても不思議ではないのになぁと思いつつ、ゆっくりとお参りできたので個人的には嬉しかったです😅
そして境内社にも順番にお参りしていき、最後に本殿後方に鎮座する猿神社へ。
こちらは境内社とは言え、別格な感じの印象を受けました。
「今昔物語」巻26第7話に出てくる猿神のお話に関係しているようです。
<御祭神>
主祭神 鏡作神
相殿神 天糠戸神 石凝姥神
<御由緒>~岡山県神社庁HPより~
当社は文武天皇慶雲4年(707)此の地に社殿を創建して鏡作神を奉斎したと伝えられている。貞観年間官社に列せられ、延喜式に於ては美作国唯一の名神大社であると共に此の国の一宮でもある。
「今昔物語」に猿神の説話があり、後白河法皇の御撰にかかる「梁塵秘抄」には関西に於ける大社として、安芸の厳島社備中の吉備津宮などと肩を並べている。
鎌倉時代に元冦など国家非常の時に際し、勅命により特に全国7ケ国の一宮に国家安穏を祈願せしめられているが、当社も其の中に選ばれて祈願を厳修したことが伝えられている。
弘安8年に一遍上人回国の途当社に参詣し念仏踊を行ったが「一遍聖絵」(国宝第八巻)に作州一宮図があって、其の節参詣の図が描かれている。建武中興破れて天正に至る約4百年間は,美作国中戦乱の巷と化し、その為に社寺の祭祀も殆んど絶えようとする有様であったが、当社は永正8年(1511)と天文2年(1533)の両度に祝融の厄に遭い、本殿以下山上山下の摂末社120社と共に宝物・什器・旧記・古文書等悉く炎上焼失した。
永禄2年(1559)に至り、出雲城主尼子晴久戦捷報賽の為め社殿を復興した。世に中山造と称せられる入母屋造妻入檜皮葺で間口5.5間、奥行5.5間、建坪約41.5坪の宏壮雄大な御本殿であって、大正3年国宝建造物の指定を受け、現在は国指定重要文化財の指定を受けている。
慶長8年森忠政美作全州を領して入封するに至り、国内漸く平定し歴代の藩主の崇敬も厚く社領の寄進や修築の資の奉献など絶えることなく、又「一宮さま」と親しまれ、朝野の信仰を集め、中世より近世にかけては門前市も大いに繁昌した。
明治4年国幣中社に列格。御祭神金山彦命と定められた。これにより明治年間再度に亘り御祭神名を「鏡作神」に改められる様願出でたるも聴許せられず終戦を迎え、昭和21年宗教法人中山神社設立届出に当り御祭神名を主神鏡作神、相殿に天糠戸神、石凝姥神配祀と総て明治以前の社家伝承や旧記類に明記せられている御神名に旧した。
宗教法人中山神社となった後も、御本殿以下諸建造物等境内の森に至るまで昔のままの姿にて防災施設も完備し、美作国の一宮と広く尊信されて現在に至っている。


全国一の宮巡拝記録。美作國一ノ宮「中山神社」に参拝させていただきました。
御祭神 主祭神 鏡作神(かがみつくりのかみ)
⇒鏡作部の祖神石凝姥神の御神業を称えた御名
相殿神 石凝姥神(いしこりどめのかみ)
⇒天孫降臨の五部神 八咫鏡を作りませる神
天糠戸神(あめのぬかどのかみ)⇒石凝姥神の父神
創祀 文武天皇慶雲四年(707年)864年に官社に列し、延喜式では美作國唯一の明神
大社でこの国の一宮とされる。
「今昔物語」には「猿神伝説」があり、後白河法皇の御撰にかかる「梁塵秘抄」では関
西における大社として、安芸の厳島神社、備中の吉備津と共に肩を並べているとのこと
です。
社殿 単層入母屋造妻入の「中山づくり」とされるもの。
鳥居 両端を支える貫はあるが、柱より出た部分(木鼻というそうです)が全くなく全国的に
珍しいと評価されているとのこと。








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