むろうじ|真言宗室生寺派|宀一山
室生寺のお参りの記録一覧
女人高野 室生寺
女人高野 室生寺 本尊の御朱印
女人高野 室生寺 山門
女人高野 室生寺 金堂
女人高野 室生寺 五重塔
女人高野 室生寺 灌頂堂
近鉄・室生口大野駅から奈良交通バスにて室生寺に向かう。写真家・土門拳氏の愛した有名な旅館が寺の前にあり、その旅館からこの橋を渡ると室生寺である。
バス停からは参道が続き、焼いたヨモギ餅を売る店が並ぶ。
実際に訪れての感想は、コンパクトで可愛らしいお寺だな、であった。
五重塔、茅葺屋根のお堂。昔ながらの建物。
更には、本数の少ない路線バスを「待ってー!」と走り、飛び乗り山の中へ。
ああ、古都に来たのだなと思うのであった。
今回は、本数の少ないバスの時間を気にして、往復1400段の奥の院に行けなかったこと。
橋本屋旅館の前で尻もちをついて、恥ずかしさのあまり、お腹空いてるのにヨモギ餅を食べられなかったこと。残念無念。
次回は、もう少し余裕をもって、奥の院に行きたい。
https://note.com/shaludone1/n/nca192c9557de
興味のある方は、こちらを。
太鼓橋を渡り室生寺へ。
雨上がりの紫陽花は綺麗でした
きっと紅葉の季節はもっと綺麗なんだろうなぁーと思いながらパワーいっぱい頂いて帰りました。
御朱印の文字が素敵すぎて💓
奥の院までは、足の悪い母と一緒だったので、次回に💦
紫陽花に囲まれたお地蔵さん💓
弥勒堂
金堂
本堂
五重塔
可愛い😍
重ね色巡礼やってました。
100円で食べれる回転焼き🤤
生よもぎを使った、注文してから作ってくださる、蓬餅 つぶあんは焼きで
細君が女人高野に興味があったので4寺目は室生寺様へお参りしました。
大阪を出る時は気温12度あったのが、あちらでは3度で雪が降っていました。
奥の院への階段が結構キツめでした。
橋を渡ると室生寺様
入って左手にある庭園
仁王門
御本堂
五重塔
キツめの階段
【宀一山(べんいちさん)室生寺(むろうじ)】
本尊:如意輪観音
宗派:真言宗室生寺派
開基:賢憬(けんきょう)
~『百寺巡礼』五木寛之氏が選んだ百の名刹 第1番~
室生寺は、寺伝によると、第40代 天武天皇(在位:673-686)の勅命により役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)が草創し、のちに弘法大師(774-835)が唐の恵果より授かった三国伝来の如意宝珠を護る寺として信仰されたと伝えられる。また、皇太子山部親王(のちの第50代 桓武天皇(在位:781-806))の病気平癒を願ってこの地で祈祷を行ったところ、親王は快癒され、これが室生寺創建へとつながったという。史料によると、室生寺は、奈良時代末期の宝亀年間(770-781)、桓武天皇の命で興福寺の僧・賢憬(714-793)によって開かれたとされる。賢憬は山部親王の病気平癒を祈願した5人の僧の一人と推定される。
室生寺は中世を通じ興福寺(法相宗)末寺であったが、江戸時代の1694(元禄7)年に護持院 隆光(ごじいんりゅうこう)(1649-1724)(護持院は江戸の神田にあった真言宗の寺院。奈良県桜井市の長谷寺の一派であった。)の拝領するところとなり、護国寺(東京都文京区にある真言宗豊山派の寺)末の真言寺院となった。翌年、徳川綱吉の母・桂昌院(けいしょういん)の寄進により、堂塔の修理が行われた。1698(元禄11)年、室生寺は真言宗豊山派の一本寺となって護国寺から独立。1964(昭和39)年には真言宗豊山派から独立し、真言宗室生寺派の大本山となった。山号の「宀一」は「室」のうかんむりと「生」の最後の一画だという。
~『百寺巡礼 第一巻 奈良』五木寛之(講談社、2003)~
「大和路秀麗 八十八面観音巡礼」 で参拝。
【五重塔】
【太鼓橋】
室生川上流左岸から見る太鼓橋。
【寺号標】
女人禁制の高野山に対して女性でもお参り出来たことから、室生寺は「女人高野」と呼ばれています。
~表門のすぐ前を室生川が流れ、その上には朱色の欄干の太鼓橋がかかっている。見あげれば、深い杉木立の山がそびえている。そして、石柱に刻まれた「女人高野室生寺」の文字。女性たちはどんな気持ちでこの橋を渡ったのだろうか。~
【太鼓橋】
寒い朝。太鼓橋に霜が降り、朱色の欄干は白くなっていました。
【表門】
【仁王門】
赤色と青色の金剛力士像。
【仁王門】
【バン字池】
仁王門をくぐって、左手にある池。梵字の「バン」の形をしており、大日如来を表しているという。
【手水舎の龍】
【鎧坂】
幅の広い石積みの階段。ここから奥之院まで、700段の石段が続きます。
~最初は「鎧坂(よろいざか)」と呼ばれる坂である。鎧の「さね」に似ていることから、自然とこう呼ばれるようになったらしい。背伸びをせずに、腰をかがめて低い目線でのぼっていくと、金堂が次第にせりあがるように現れてくる。仁王門のところからは全然見えなかった伽藍が、少しずつ目の前に姿をあらわすのだ。~
【鎧坂】
【金堂】
「鎧坂」から正面に見えるお堂。国宝。平安時代初期の建立。懸造り。
【天神社】
【軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)石仏】
軍荼利明王は、密教において宝生如来の教輪転身とされており、さまざまな災いを取り除いてくれるという。一般的には腕を8本に表現されることが多いが、この「軍荼利明王石仏」の腕は10本に見える。
【天神社拝殿から見る弥勒堂】
【弥勒堂】
重要文化財。鎌倉時代前期の建立だが、江戸時代に大幅に改造されている。
弥勒菩薩像(重要文化財)を安置。
土門拳氏の写真集で有名な弥勒堂の釈迦如来座像(国宝)は、現在寳物殿に安置されている。氏は、釈迦如来座像について「日本一の美男子の仏」と述べている。
【境内】
左、弥勒堂。右上、金堂。
【金堂入口】
金堂には、釈迦如来立像(国宝)を中心に、薬師如来立像(重要文化財)、地蔵菩薩立像(重要文化財)、文殊菩薩立像(重要文化財)、十一面観音菩薩立像(国宝)の五尊像が安置されていたが、このうち十一面観音菩薩立像と地蔵菩薩立像は、現在寳物殿に安置されている。
五木氏がこころ惹かれた聖観音像は左奥に内側を向いていらっしゃいました。
~正面に並ぶ五尊像のうしろで、陰になってひっそりとたたずんでいらっしゃる一体の仏像。いつの間にか、そちらにすっと視線がいってしまい、手招きされているような、そんな感じがしたのである。なぜか私は、その像にとてもこころを惹かれたのだ。(別の寺にあった聖観音像を、村人たちが室生寺に運びこんだという)~
【金堂から見る弥勒堂】
【本堂(灌頂堂(かんじょうどう))】
国宝。鎌倉時代後期の建立。
【本堂(灌頂堂(かんじょうどう))】
如意輪観音菩薩(重要文化財)を安置。観心寺(大阪府)・神咒寺(かんのうじ)(兵庫県)の如意輪観音とともに日本三如意輪の一つと称されている。
本尊の御朱印は、ここで拝受。繊細な筆の走りに見入ってしまいました。
【本堂(灌頂堂(かんじょうどう))】
手前、桂昌院塔。
【桂昌院塔】
【五重塔】
国宝。平安時代初期の建立。
総高16.1mと屋外の五重塔としては最小。
【五重塔】
【杉の株】
1998(平成10)年の台風第7号により五重塔に倒れかかった巨樹の跡。
【石仏】
【五重塔】
【五重塔】
【奥之院への路】
【奥之院への路】
【奥之院への路】
~「無明橋(むみょうばし)」を渡り、「賽(さい)の河原」と呼ばれる場所を越えて、杉木立のなか、昼なお暗い石段をのぼっていく。これをのぼりきらなければ奥の院へ行くことはできない。~
【奥之院への路】
【奥之院への路】
【奥之院(常燈堂(位牌堂・金剛殿))】
懸造り。崖っぷちに建っている。
【奥之院(常燈堂(位牌堂・金剛殿))】
【奥之院(常燈堂(位牌堂・金剛殿))】
【奥之院(常燈堂(位牌堂・金剛殿))】
【奥之院(御影堂)】
重要文化財。鎌倉時代の建立。弘法大師像を安置。
【七重石塔】
【寳物殿】
寳物殿は、2020(令和2)年に完成。
金堂内陣に安置されていた十一面観音菩薩立像、地蔵菩薩立像、十二神将立像の内の辰神・未神・巳神・酉神・卯神・寅神の六体と、弥勒堂の外陣北側の厨子前に安置されていた釈迦如来坐像、本堂(灌頂堂)の両部大壇、その他、寳蔵の什宝(じゅうほう)が収蔵されている。
【十一面観音菩薩:参拝朱印帳】
★深い慈しみを湛え、女性的な優しさが漂う★
ふっくらとした頬に、ちょっと突き出した紅色のおちょぼ口、瞳のふちに赤みが差している切れ長な眼、大きく飛び出す白毫、宝冠の可愛らしい花飾り、頭上の穏やかな菩薩面も厳めしそうな瞋怒面(しんぬめん)もみんなみんな美しい。(HP大和路秀麗 八十八面観音巡礼より)
【御朱印】
【御朱印】
名張市オオサンショウウオ巡りのついでに、足を伸ばして参拝。ちなみに、国の天然記念物モリアオガエルの、貴重な生息地でもある。
太鼓橋渡って最初に見える山門。
仁王門。
本堂(灌頂堂)。国宝。
金堂。国宝。
五重塔。国宝。
バン字池。天然記念物モリアオガエルの生息地。
バン字池を覆う樹木に産卵された、モリアオガエルの卵。天然記念物!
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