しきのみやがたにいますじんじゃ
志貴御縣坐神社奈良県 三輪駅
参拝自由
志貴御縣坐神社に参拝しました。
御祭神 大己貴神(「大和志科」では御祭神を御縣の霊とし、その他に天津饒速日命と説などがある)
延喜式神明帳畿内大和國城上郡志貴御縣坐神社式内大社に比定される。
創建は不詳。天平二年(七三〇年)の「大和國正税帳」では、「志癸御縣」の神戸として城上郡内から租穀千三五一束八把が定められ、そのうち祭神科として四束が充てられている。
境内社厳島神社
磐座
大和国城上郡の式内社です。大和国にある御縣神社六社の一つで、大神神社の近くに鎮座しています。
今は無人ですが、かつては神戸(祭祀に従事する民)が大和国から与えられていたことから、重要な神様として朝廷も見ていたことが分かりますね。
兼務している恵比寿神社で御朱印をいただきました。
《鳥居》
《由緒書き》
《表参道》
《手水舎》
水は出ます。
《末社群》
《拝殿》
葛木御縣神社とよく似てますね。
《本殿》
《祓戸?》
《磯城瑞籬宮址》
☆チェックポイント!!
磯城瑞籬宮は崇神天皇さまが即位しているときの都であり、近くにある大神神社は、崇神天皇さまの御代に神懸かりで呼び出したのをきっかけに創建されたものなので、とても関連深い跡地となっています。
『延喜式』神名帳には大社に列せられる古社。
かつて大和国にあった六ヶ所の朝廷の直轄地「倭の六県」(高市県、葛木県、十市県、志貴県、山辺県、曽布県)の一つ「志貴県」の守護神として祀られたものと考えられる。
これら「倭の六県」は『延喜式』祝詞に見え、蔬菜類を栽培し献上するための農園のような地だったらしい。そのような朝廷に献上するための野菜を栽培する、神聖な菜園の霊を神として祀る神社。
名称 | 志貴御縣坐神社 |
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読み方 | しきのみやがたにいますじんじゃ |
通称 | 志貴の宮さん しきのみやさん |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0744-42-6432 (恵比須神社) お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.jinja-net.jp/jinjacho-nara/jsearch3nara.php?jinjya=33891 |
ご祭神 | 大己貴命(おおなむちのみこと) 天津饒速日命(あまつにぎはやひのみこと) |
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創建時代 | 天平2年(730年)以前 |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 入母屋造 |
ご由緒 | 『延喜式』神名帳には大社に列せられる古社。
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体験 | 御朱印札所・七福神巡り伝説 |
概要 | 志貴御縣坐神社(しきみあがたにますじんじゃ/しきのみあがたにますじんじゃ、志貴御県坐神社)は、奈良県桜井市金屋にある神社。式内社(式内大社)で、旧社格は村社。 |
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歴史 | 歴史[編集] 概史[編集] 創建は不詳。 天平2年(730年)の『大和国正税帳』では、「志癸御県」の神戸として城上郡内から租穀1,351束8把が定められ、そのうち祭神料として4束が充てられている[1][2]。 『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒では、当時の「志貴御県神」に神戸として大和国から12戸が充てられている[1][2]。 国史では、天安3年(859年)に「志貴御県神」の神階が従五位下から従五位上に昇叙された旨が記される[2]。 延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、大和国城上郡に「志貴御県坐神社 大 月次新嘗」として、式内大社に列するとともに、朝廷の月次祭・新嘗祭では...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「志貴御縣坐神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BF%97%E8%B2%B4%E5%BE%A1%E7%B8%A3%E5%9D%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=89585141 |
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