おおやまとじんじゃ
大和神社のお参りの記録一覧(3ページ目)
「日本書紀」によれば、崇神天皇6年(紀元前92)疫病の蔓延を憂えた天皇は、宮中に一緒に祀られている天照大神と日本大国魂大神が対立することが原因と考え、天照大神は皇女豊鍬入姫命により旅をかさね伊勢に遷るという有名な話し。。
日本大国魂大神は皇女淳名城入姫命にと別々に祀らせるが、間もなく髪が落ち体が痩せ祭祀が続けられなくなる。
この時、倭迹迹日百襲姫命の神託により市磯長尾市を神主として祀れば天下は鎮まると、この長尾市による祭祀がが大和神社の創建のあらましと伝えられるが、祀り直された鎮座地は諸説あって混沌としている。
伊勢神宮に次ぐ広大な神領を得て隆盛したが、その後は平安京への遷都や兵乱などで衰微。
不遇の時代を乗り越え、1871年(明治4)に官幣大社に列せられ社殿を一新して現在に至ります。
皇祖神天照大神が早々と伊勢に遷されたのに対し、大和神社の大国魂大神は当時の政治経済の中枢近くに国土の守護神として祀られていたことは、上代においていかに重要視されていたかが想像できます。
一の鳥居前の道路
江戸時代も終わりに近い元治元年(1864)10月27日の朝、大和神社事件が発生。
社前で「なむ天理王命」と声高らかに神名を唱え、太鼓や拍子木・鈴などを打ち鳴らしたと。
その日は特別な祈祷をしていた時であり大騒ぎになった。
それでせっかく盛り上がっていた教㔟が萎えて、一部の人が信仰から離れたと伝えられるが、当時の社会情勢・官憲と一般庶民の力関係においてしかたなかったと想われます。
現在の御由緒には、「天理教中山みき教祖の誕生地が、近くの三昧田町にあります」と記載され尊重されているようです。
一の鳥居
参道は戦艦大和の全長とほぼ一致する約260m。
二の鳥居
増御子神社
二の鳥居左手に猿田彦神と天鈿女命、市磯長尾市氏命をお祀りする。
市磯長尾氏命は、主祭神の子孫で、この神社の初代祭主。
大和祖霊社
大和神社の祭祀を担ってきた旧宮司家と、氏子筋にあたる大和神道御霊之社の各家々祖霊を祭祀するために創建。
明治という国家管理の時代に、一般国民の先祖御霊を祭祀する祖霊社が官幣大社境内地内に建設許可されたのは、大和神社のみです。
昭和二十八年に戦艦大和関係戦没英霊が合祀。
拝殿
本殿三殿
春日造り様式で庇を付けた檜皮葺の三殿が並列。
中央の第一殿の祭神が日本大国魂大神。現在の社殿は1872年(明治5)に再建。
海外渡航の安全守護の御利益あり。奈良時代には遣唐使が渡航の安全祈願に参拝。
本殿は南西を向いているが、その方向には水神を祀る龍王山の山頂を指している。龍王山は各地にみられます。
高龗たかおかみ神社
高龗神社は、山の上に降る雨を司る水神とされている神。
この高龗神社が全国に何千とあるであろう水神を祀る神社の総本社とのことだが。貴船神社や丹生川上神社を差し置いてである。
丹生川上神社は別宮であったとか、大神神社の摂社である狭井神社も、かっては高龗神社の摂社だったらしいと。
磐座
摂社三座
左から市杵島姫命を祀る厳島神社、事代主神を祀る事代主神社、天照坐皇大祖を祀る朝日神社。
戦艦大和にゆかりのある神社です。しずかながら雰囲気を感じました
御朱印頂きました
立派な本殿です
戦艦大和の石碑がありました
戦艦大和の模型があります。無料で見ることが出来ました
大和神社(おおやまと~)は、奈良県天理市にある神社。式内社(名神大)、二十二社(中七社)。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。御祭神は日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)、八千戈大神(やちほこのおおかみ)、御年大神(みとしのおおかみ)の3柱で、当社は本殿が3つありそれぞれ中央、右殿、左殿に祀られている。
『日本書紀』にも記載がある古社で、創建は崇神天皇6年(紀元前92年)。飛鳥時代にはすでに朝廷から篤く信仰されており、692年に持統天皇は藤原京の造営にあたって、伊勢、住吉、紀伊の神とともに当社に奉幣し伺いを立てている。奈良時代には、朝廷の命により、唐の国へ渡って学ぶ遣唐使、その他使臣は、出発に際して、当社へ参詣し、交通安全を祈願した。
平安時代初期には伊勢神宮に次ぐ広大な社領を有するほど隆盛。897年には神階が最高位である正一位に叙せられ、927年の延喜式神名帳では、「大和国山辺郡 大和坐大国魂神社三座 並名神大 月次相嘗新嘗」と記載されている。960年から1081年にかけて成立した「二十二社」には当初から列していた。しかし1118年の火災で徐々に衰微し、1583年の火災で神領の書類を焼失、社領のすべてを失った。
1871年に官幣大社に列せられ、江戸時代の寺院風社殿を廃し、新たに社殿を造営。第二次世界大戦時、大和国が艦名の由来である戦艦大和には、当社御祭神の分霊が艦内神社に祀られた。1945年4月7日に戦艦大和は坊ノ岬沖海戦により沖縄沖で沈没したが、その時の戦死者が境内末社の祖霊社に合祀されている。
当社は、JR桜井線(万葉まほろば線)・長柄駅の南東300mの場所にあり、道のり徒歩10分ほどの平地にある。境内は東西に長く、参道含め300mほどあり、その周りを鬱蒼とした高い木々が覆っている。東端が一の鳥居で西端が社殿。駅からの近道だと二の鳥居よりも社殿に近い場所に着く。
参拝時は週末の昼ごろであったが、あいにくの悪天候、けっこうな土砂降りで、参拝者は自分以外に1、2人だった。
JR長柄駅から最短ルートで来ると、手水舎のあるこの場所に出る。
参道の左手にある<手水舎>。
まずは社殿に赴く。
拝殿全景。なお社殿は東に向いていて、境内の西端にある。
拝殿正面と<大和大明神>の扁額。拝殿は壁がない形式で、奥に見えるのが神門。社殿の周りには透塀が巡らされている。
透塀の内側に見える、3つ並んだ本殿。御祭神の日本大国魂大神が中央殿、八千戈大神が右殿、御年大神が左殿に祀られている。
社殿の左側にある、摂社<高龗神社(たかおおかみじんじゃ)>。御祭神は雨師大神で水神様。なるほど、だから今日は土砂降りなのか...汗
高龗神社の社殿。この場所の右側から大和神社の本殿が見える。
高龗神社の鳥居の左隣にある、<雨師>と<磐座>。
雨師・磐座の左隣にある末社<厳島神社>、<事代主神社>、<朝日神社>。
3末社の手前にある<戦艦大和展示室>(左)と神輿庫のような建物(右)。
戦艦大和展示室の中には、いくつもの奉納品の戦艦大和の模型が展示されている。
拝殿に向かって右手に見える<社務所>?
参道の右側にある授与所。御朱印はこちら。
授与所の裏手にある<祖霊社>。
祖霊社は、戦艦大和沈没による英霊を祀る。
祖霊社の近くにある戦艦大和の碑。
手水舎近くにある、万葉集で山上憶良が歌った<好去好来>の碑。733年第9次遣唐使の大使として派遣される丹治比広成の無事の帰国を祈って詠まれた歌。
手水舎付近から、最後にもう一度<社殿>。
手水舎近くから東方向を見ると、数百mの参道が一直線に伸びている。
写真を拡大するとこんな感じ。見えるのは二の鳥居。晴れていれば一の鳥居と社号標を見に行くところだが、土砂降りにつき断念...涙
もと来た近道を戻る。写真中央から右側にかけてが境内周りの森。左側にかけてが参道の木々。
JR長柄駅から大和神社に向かう時は、駅脇の踏切道を東に進み、この場所で右折すると、上写真の道を経由して境内に到着する。
《二十二社詣りその10》
戦艦「大和」にゆかりのある大和神社です。
非常に古い歴史を持つお社ですが、1118年の火災により神殿・霊形すベてを焼失したそうです。
また、1583年の火災により神領の書類をすベて焼失し広大な神域を有するのみとなるなど、大変な苦難を経て現在の姿があるようです。
戦時中は戦艦「大和」の艦内にも分祀され、その縁で亡くなった人々の霊は末社・祖霊社に合祀されています。
御朱印
一の鳥居
社号標
参道
摂社:増御子神社
手水舎
手水鉢
ご由緒書
拝殿
参拝者は他にいません。
境内の樹木を見上げて
2月なのに暖かく空が綺麗な日でした。
今年最後の投稿になります。
大和神社に参拝しました。
戦艦大和の名前のきっかけになった神社です。
参道は270メートルありこれが大和の全長と同じ長さみたいですね。
参拝の後、今年最後の日の入りを見ることができました。
今年はホトカミをきっかけに、みなさんの投稿を見て
いろいろな神社、寺に行くこともでき、
また暖かいコメントを頂いたり、
充実した日々を過ごせ感謝です。
来年も宜しくお願いします!
270メートルの参道。戦艦大和と同じ長さのようです。
最強!
戦艦大和が世界最強の戦艦だからとか。
大和神社が戦艦大和側に寄せてますね 😆
夕日がきれい。
今年も無事終わることができ感謝!
奈良山の辺の道・御朱印トレッキングその⑤
大和神社は旧官幣大社、二十二社、神階正一位に列せられる格の高い神社です。ちなみに「大和」と書いて「おおやまと」と読みます。
アクセスはJR桜井線の長柄駅から500mほどなので歩いて10分ちょっとです。今回は山の辺の道トレッキングの道すがら参拝したのですが、山の辺の道からは1kmほど市街地側にあるので少し迂回が必要でした…
大和神社はその名にあるように「戦艦大和」に縁の深い神社です。戦争中には戦艦大和に大和神社の御分霊が祀られており、境内には石碑が建てられています。また同艦が撃沈された際に亡くなった乗組員の英霊を境内の祖霊社に祀っています。
次は山の辺の道トレッキング最後の目的地である石上神宮へ向かいます。
御朱印
鳥居と社号標
神社の御由緒
手水舎
拝殿
拝殿は優美な造りではあるが、赤茶色の色調で無駄な装飾がないため落ち着いた印象を受けます。
拝殿の扁額には「大和大明神」と書かれています。
拝殿の奥には神門と本殿が見えます。大和神社の本殿は三つの春日造の社殿が並んで配置されているようです。
拝殿脇は舞台のようになっていて、装飾がうるさくない程度に施されています。
戦艦大和ゆかりの記念碑
戦艦大和に関する展示がやっていました。かなり精巧に作りこまれた模型を見ることができます。
奈良県のおすすめ2選💠
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