ながらじんじゃ
長柄神社奈良県 近鉄御所駅
参拝自由
駐車場 | - | ||
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御朱印 | - | ありません |
中鴨神社へ向かう道のりにあったので参拝。
式内社。
祭神は下照姫命。
天孫降臨の国譲りの際、天雅彦命が高天原から使者として参る。
その後高天原へ帰らず出雲でこの下照姫命(大国主命の娘)と結婚するお話。
本殿は春日造、室町時代中期の創建と言われています。
奈良県指定文化財。
天武天皇が流流鏑馬をここでご覧になったとか。
本殿左から
本殿右から
本殿と拝殿
拝殿前
狛犬
末社、春日造
由緒書き
道路からの眺め
大和国葛上郡の式内社です。古くから「姫の宮」と呼ばれていたことから、同郡鎮座の葛城一言主神社や高鴨神社との関係が示されていて御祭神の説が複数あります。
《社号碑》
《由緒書き》
《手水舎》
柄杓はなく水も流れていません。近くの浅原寺から移されたといわれています。
《拝殿》
👁チェックポイント‼️
『日本書紀』には天武天皇さまが「長柄杜」で騎射を行ったと書かれており、それがこの長柄神社だと言われています。
《本殿》
ちなみに戦艦は「長良」です。
《末社群》
《神楽殿と末社?》
《境内》
遊具がありました。そして参拝時には孫連れのお婆ちゃんがおりました。
《灯籠》
鎮座地の住所にある「名柄」の方の字で彫られています。
『延喜式』神名帳に記載され、別名姫の宮とも呼ばれ、記・紀神話に登場する「下照姫命」が祀られています。この神は天孫降臨神話の国譲りの中で、天雅彦命が高天原から出雲国へ国譲りの使者として遣わされています。天雅彦命は高天原へ復命に帰らず、出雲国で妻にしたのが大国主命の娘の下照姫です。
本殿は一間社春日造・檜皮葺・丹塗り、創建年代は不明ですが、建築様式から、1450年ころと思われます。
また、『日本書紀』天武天皇9年9月9日条に「朝嬬に幸す。因りて大山位より以下の馬を長柄杜に看す。乃馬的射させたまふ」とあり、天武天皇が長柄神社にて流鏑馬をご覧になったことが記されています。
名称 | 長柄神社 |
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読み方 | ながらじんじゃ |
通称 | 姫の宮 |
参拝時間 | 参拝自由 |
参拝にかかる時間 | 約5分 |
参拝料 | なし |
トイレ | なし |
御朱印 | なし |
ご祭神 | 《主》下照姫命 |
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創建時代 | 不詳 |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 春日造 |
ご由緒 | 『延喜式』神名帳に記載され、別名姫の宮とも呼ばれ、記・紀神話に登場する「下照姫命」が祀られています。この神は天孫降臨神話の国譲りの中で、天雅彦命が高天原から出雲国へ国譲りの使者として遣わされています。天雅彦命は高天原へ復命に帰らず、出雲国で妻にしたのが大国主命の娘の下照姫です。
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体験 | 武将・サムライ伝説 |
概要 | 長柄神社(ながらじんじゃ)は、奈良県御所市名柄にある神社。式内社で、旧社格は村社。別称を「姫の宮」とも。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建は不詳[1]。『古事記』では「葛城長江」の名称が見えるが、「長江(ながえ)」と「長柄(ながえ/ながら)」は同義語であって葛城山の長い尾根を意味するといわれる[2]。また『日本書紀』神武天皇即位前紀己未年2月20日条に見える「臍見長柄丘岬」を当地に比定する説もある[1][3](文脈上から天理市長柄町に比定する説もある)。なお神社付近では、銅鐸(名柄銅鐸)・多紐細文鏡の出土や、5世紀中頃の首長居館遺構(名柄遺跡)が知られる。 文献では『日本書紀』天武天皇9年(680年)9月9日条において、天武天皇が「長柄杜(ながらのもり)」において騎射を催したとする記述があり、これは長柄神...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「長柄神社 (御所市)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%95%B7%E6%9F%84%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20%28%E5%BE%A1%E6%89%80%E5%B8%82%29&oldid=88419021 |
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