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こうふくじ|法相宗大本山

興福寺のお参りの記録一覧(14ページ目)
奈良県 近鉄奈良駅

garu
garu
2017年07月06日(木) 02時08分30秒
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興福寺の前身は山階寺といい、藤原鎌足夫人が夫の病気平癒を願って建てられたお寺でした。
その後藤原京時代に一時「厩坂寺(うまやさかでら)」という名で藤原京に移されたが、藤原不比等の時代、平城京遷都に伴い現在の場所に移され「興福寺」という名になり、絶大な権力を持った藤原氏の氏寺となって奈良一国を治めるほどの権力を興福寺は持っていました。
その当時は100ケ寺ほどの塔頭を置く大伽藍だったそうですが、明治維新の廃仏毀釈の折、行き過ぎた政策によって廃寺同然まで追いやられ、当時五重塔はたった250円で売却されてしまったのだそうです。
ウィキペディアでは
「買主は塔自体は燃やして金目の金具類だけを取り出そうとしたが、延焼を心配する近隣住民の反対で火を付けるのは取りやめになったという。ただし、五重塔が焼かれなかった理由はそれだけでなく、塔を残しておいた方が観光客の誘致に有利だという意見もあったという」と書かれてありました。

1881年(明治14年)、ようやく興福寺の再興が許可されたのですが、文化財保護法も整備され、やっと難を逃れた状態となったとの事です。

いずれにせよ今大人気の阿修羅像も、もしかして売却されていたかもしれませんし、日本になかった可能性もあったわけで、廃仏毀釈にはほとほと呆れます。この時にずいぶん海外に流れたんですよね~、貴重な文化財が・・・。

国宝館はただいま耐震メンテで休館中です。平成30年に再開。それまで阿修羅像は巡業が無ければ仮講堂に鎮座されていらっしゃるはずです。
そして来年(2017年現在)、中金堂が再建されお披露目されるとの事です。

興福寺の塔

東金堂と五重塔

興福寺のその他建物

仮講堂

興福寺のその他建物

北円堂

興福寺のその他建物

南円堂

興福寺のその他建物

国宝館

興福寺のその他建物

本坊

興福寺のその他建物

大湯屋

興福寺の塔

五重塔

興福寺の塔

三重塔

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