やくしじ|法相宗
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楽しみ方薬師寺のお参りの記録一覧(2ページ目)

第148回 奈良まほろば塾に参加しました。
法話 「天武天皇と持統天皇」
講演 「ミツバチが消えたら、人類も危機に?」
薬師寺は、天武天皇の発願により飛鳥の藤原京に造営が開始され、平城京遷都後現在の地西ノ京に移転されたお寺さんです。ただ、飛鳥の薬師寺の伽藍も10世紀頃までは存続していたとされています。
天武天皇は、鵜野讃良(うののさらさ)皇后(後の持統天皇)の病気平癒を祈願し、お寺を建てようとしましたが、寺の完成を見ずに亡くなられました。伽藍整備は持統天皇、文武天皇に引き継がれます。

【東塔】(国宝)
青空をバックに塔の凛とした姿にため息が出ました。😯

【西塔】
こちらも負けじと美しい!

【金堂】
本尊·薬師三尊像が祀られています。

【大講堂】
弥勒三尊像が祀られています。

【玄奘三蔵院】

天武天皇が建立させたお寺です。
薬師三尊が御本尊です。
特徴的なのは金堂の東西にある東塔と西塔の形ですが、一見六重の塔に見えるのですが、実は三重の塔です。

薬師寺の鎮守、休ヶ岡八幡宮です

先ずはこちらでお清めをして薬師寺に参拝します

中門

入ると正面に金堂が有ります
御本尊は国宝の薬師三尊(薬師如来、日光菩薩、月光菩薩)

金堂の右側には東塔

左側には西塔

金堂の奥側には大講堂が有ります
弥勒三尊がお祀りされていますが、本来「弥勒菩薩」なのですが、こちらでは「弥勒如来」とされています

国宝の東院堂
観世音菩薩がお祀りされています

少し離れたところに「玄奘三蔵伽藍」が有ります

三蔵法師のご丁骨が安置されています

御朱印は薬師如来を書き入れして頂きました

私が、「そうだ!奈良に行こう!」と思ったきっかけは、もちろん、真言豊山派総本山で朝の勤行を体験したいこともあったが、たまたまNHKで観た薬師寺の解体修理の番組に感動したからであった。
NHKの番組の内容であるが。
矢沢永吉の大ファンであった大工見習が奈良で棟梁に出逢い、「薬師寺を建立した時の大工の気持ちになれ」と言われ、そこから自分の物語が始まるのである。
私は、工作だの手仕事だのは苦手だ。何せ、中学生時代にミシンで手を怪我するくらい不器用、今でも針で裾上げなど血が出る。
だから、大工さんの気持ちはわからない。
けれども、本来、薬師寺を建立しようとした天武天皇の気持ちは理解できる。当時は医療が発達していなかったので、薬師如来に切に懇願したいという思いがあったのだと思うのだ。
『日本書紀』天武天皇9年(680年)11月12日条には、天武天皇が後の持統天皇である鵜野讃良(うののさらら)皇后の病気平癒を祈願して薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)させたとある。薬師寺東塔の屋上にある相輪支柱に刻まれた「東塔檫銘」(とうとうさつめい、「さつ」は木偏に「察」)にも同趣旨の記述がある。しかし、天武天皇は寺の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれた。
「東塔檫銘」には、「清原宮に天の下を統治した天皇(天武)の即位八年、庚辰の歳、中宮(後の持統天皇)の病気のため、この伽藍を創り始めたが、完成しないうちに崩御したので、その意志を継いで、太上天皇(持統)が完成したものである」旨が記されている。ここでいう「天皇即位八年、庚辰之歳」は、『書紀』の「天武天皇9年」と同じ年を指している。すなわち、『書紀』は天智天皇の没した翌年(壬申年、西暦672年にあたる)を天武天皇元年とするが、天武が正式に即位したのはその翌年(西暦673年にあたる)であり、「天皇即位八年」とは即位の年から数えて8年目という意味である。
NHKの放送を観た当時の私は、鼠径部の痛みに悩まされていた。病院に行き、10月25日に大腸内視鏡検査の予約をしたばかりであった。
だから、その検査の前には是非、薬師寺に行きたい!そう願っていたのだ。
奈良公園、奈良駅から少し離れていたのが良いかもしれない。思ったほど観光客もおらず、特に外国人観光客に悩まされることなく、静かに参拝出来た。近鉄の駅が目の前で、特急に乗ってしまえば京都駅まで楽に行けるのであるが、この場所は静かすぎる。
聖地であり、静地だ。
もちろん、薬師如来に出逢うことが目的であった。なんと穏やかなのだろう。
女性スタッフが書いてくださった御朱印であるが、ここ数年間、色々な神社仏閣巡りをした中で、一番感動する文字であった。
受付スタッフに伺うと、ここの御朱印担当は皆、字が上手なのだという。
それだけ慣れているのであろう。
秩父札所巡りでも感じたが、手馴れている人は速いし、上手なのだ。
何しろ、秩父の場合は、あと5分後にバスがー、次は2時間半後ーー!みたいなこともあるので、都内や横浜辺りは遅いなーー、と思ってしまう。
紫式部の紫の実が、こちらへどうぞ!と招いてくれるようであった。
式部の実 時越え招く 薬師寺よ

















「月例奈良まほろば塾第146回」に参加しました内容は
法話①目連尊者の親孝行
薬師寺 管主 加藤朝胤
演目②暮らしを彩る筆づくり 水谷豊
(敬称略)
でした。
目連尊者は、お釈迦様のお弟子さんで、神通力をお持ちでした。夏の暑い日のこと、尊者は仲のいい母と子を見て、何年も前に亡くなった母親を思い出し、神通力を使って会いに行くことにしました。
生前自分に優しかった母親、今はどこにいるのだろう···。探しているうちに、なんと地獄の入口に来ていました。そして、集熱地獄で横たわる母を見つけます。
嘆き悲しんだ目連尊者は、このことをお釈迦様に
話します。がそこで仲間から聞かされたのは、母親の悪業でした。家の前を通りかかった人に、水を乞われた時、「この水は目連のための水」と断ったそうです。インドでは、"お布施"は、執着心から離れるための大切な考え。目連尊者を大切にするが故他者に対してひどい仕打ちをしたわけです。
優しかった母親の今の姿に打ちひしがれた目連尊者は、お釈迦様に母親を救う方法はないものか尋ねます。が、過去は変えられないと言われます。でも母親ができなかったことを母親にかわり尊者がすることはできるとお釈迦様はお答えになります。
目連尊者は、雨期が終わり安居があけ、人々や僧侶が町に出ていく頃、美味しい食べ物や果物を用意します。(みんなに食べてもらうためです。)
再び母親を訪ねると、なんと白い雲に包まれて嬉しそうに空へ登っていくところでした。尊者は、大変喜びました。
"お盆"の話、初めて聞きました。仏壇に美味しい食べ物果物をお供えするのは、先祖をお迎えする日だから···今まではその程度の理解でしたが、意味がわかりました。
宗派:法相宗
御本尊:薬師三尊像
創建:680年(天武天皇9年)

【東塔】(国宝)
創建当時から残る唯一の建物。平成21年から12年かけて全面解体大修理が行われました。1300年前の人々もこの東塔を見ていたんだ〜。それにしても、どんな方々がどんな方法で建てたのだろう。何回見ても、驚きの一言です。

近鉄西ノ京下車。こちらの門から入ります。

【大講堂】
本尊:弥勒三尊像

【西塔】

【金堂】(国宝)
薬師三尊像

国宝薬師寺東塔全面解体大修理の様子がTVで放映されるそうです。2024.8.31(土)夜7:30〜。

第144回 "まほろば塾"に参加しました。
この日は、"慈恩殿"という建物の中で開催。白鳳伽藍の北の境内にあります。普段は入ることはできません。部屋の中には、元内閣総理大臣細川護熙氏作の障壁画があります。数年前のお披露目の際、中に入れていただき、見せていただきました。今回二度目の入室です。
法話は、"好胤和上の教え"。 加藤朝胤管主が
高田好胤和上について、楽しくお話してくださいました。
高田好胤(1924-1998)(大正13年-平成10年)
元薬師寺管主。小学校5年生で薬師寺入門。橋本凝胤により得度。管主に就任後、"百萬巻お写経勧進"
宣言。つまり、"お写経を勧め、納経料をいただくことで浄財を貯め金堂を復興させる。"というわけです。周りは"そんなこと実現できるわけない。"と思っていたそうです。
ところが、昭和五十年"写経勧進百万巻達成"。
翌年、金堂落慶法要が執り行われました。その後も
"お写経勧進"は続けられ、西塔、中門が復興されていったとのことです。
お話を聞きながら、雨漏りのする金堂で、お薬師さんに手を合わせながら、生涯の勤めを見い出していった少年の姿が浮かんできました。
私は美しい薬師寺さんの姿しか知りません。でも
お参りする度に、たくさんの方々の思いがつまったお寺さんなのだということを忘れてはいけないと思っています。
6月21日(金)〜23日(日)27回忌追悼法要が営まれます。

蓮の花が咲き始めていました。😌
東塔バックに···

右 【金堂】が見えます。

【東院堂】(国宝·鎌倉時代)
聖観世音菩薩立像(国宝·白凰時代)が安置されています。
いつもは中に入らせていただき、靴を脱いで上にあがりゆっくりお参りさせていただくのですが、この日は時間が···。😵💫外から手を合わせます。🙏

【中門】から金堂を眺めると···。

【中門】

【中門】

【金堂】
薬師三尊像が安置されています。中央に薬師如来 向かって右が日光菩薩 左が月光菩薩

【東塔】(国宝·白鳳時代)

【玄奘三蔵院伽藍】


【慈恩殿】
元は長久寺(大阪市)の本堂。谷町筋の拡張工事のためにこちらに移築されたそうです。

東塔・西塔の内陣開扉が6日までということと、この日は"薬師寺まほろば塾 20周年記念"で、人形作家であり御自身が作った人形と一緒に舞う"人形舞"
創始者のホリ・ヒロシ氏が天理大学雅楽部の演奏を
バックに人形舞を披露されるということで、朝から落ち着きませんでした。🤭
"薬師寺縁起"によりますと東塔・西塔の内陣には
お釈迦様の生涯を現した"釈迦八相図"が祀られているということです。
東塔···お釈迦様が釈迦国の王子として誕生し、出家し悟りに至るまで。
西塔···成道後入滅まで。
いつもは外観しか拝むことができませんが、塔の内部を拝見させていただき、貴重な時間を過ごさせていただきました。🙏
私は美しい薬師寺さんしか知りませんが、戦火で消失したり、長い年月で傷んだお堂の復興には、高田好胤さんを初めたくさんの方々の思いの積み重ねがあったのだろうと、お参りする度に感じるお寺さんです。
山号:なし
宗派:法相宗
御本尊:薬師三尊像
創建:680年(天武天皇9年)
開基:天武天皇(勅願)

【興楽門】
雨が降るかもと心配でしたが、薄曇りでした。

【東塔】(国宝)
白鳳時代を代表する建造物です。
一見六重の塔に見えますが、下から1・3・5番目の屋根は裳階(もこし)。構造的には三重塔です。


【西塔】
1981年(昭和56年)再建されたものです。
もともとの塔は、1528年(享禄元年)戦火で消失。ですから、400年以上東塔だけだったわけですよね。見ることができるのは有難いです。


【金堂】
薬師三尊像
(月光菩薩・薬師如来・日光菩薩)


【大講堂】
2003年(平成15年)再建。もともとのお堂は、1528年戦火で消失。1852年(嘉永5年)再建されました。2003年再建にあたっては解体されたそうです。


ハス鉢
蓮の季節、花でいっぱいになります。😌

【東院堂】(国宝)
聖観世音菩薩さまに手を合わせます。🙏

金堂で仏様を支えている台座
お土産などを取り扱っている部屋でみつけました。
こちらは写真撮影OKということで、パシャリ!




13:00から、玄奘三蔵院伽藍で、記念行事が行われました。ホリ・ヒロシ氏製作の玄奘三蔵。若き日の三蔵法師の輝くほどの美しさと威厳に満ちた振る舞いにため息出ました。撮影禁止でしたので、映像として残せませんでしたが、脳裏にしっかりと焼き付けました!

月例"まほろば塾"に参加しました。
演題は、①「此岸と彼岸」。(加藤朝胤管主)
②「邂逅微妙の縁」(倍巌良明 法徳寺)
お話の後、伽藍に向かいました。伽藍拝観は3年振りです。
西国四十九薬師霊場 第1番札所
山号:なし
宗派:法相宗大本山
御本尊:薬師三尊像(金堂)
創建:680年(天武天皇9年)
開基:天武天皇

東塔(国宝・白鳳時代)
度重なる災害により諸堂は灰燼に帰しましたが、かろうじて東塔だけは、創建当時のまま。平成12年から初の全面解体修理が行われ、数年前お披露目されたものです。

東院堂(国宝・鎌倉時代)
聖観世音菩薩立像(国宝・白鳳時代)
なぜか、薬師寺さんにお参りに来ると、こちらの聖観音さんにまず手を合わせに行っていました。今思えば相当キツかったのだと思います。今は俯瞰して当時の自分を見ることができるようになりました。今はストレスフリーですので、観音さまにいい報告ができます。感謝しています。🙏

金堂
御本尊 薬師三尊像(国宝・白鳳時代)
(日光菩薩 左脇侍
月光菩薩 右脇侍)

大講堂
御本尊 弥勒菩薩
仏足石(国宝・奈良時代)
釈迦十大弟子 阿難さん、やはりどう
しても手を合わせる時間長めに
なります。🤭


近鉄電車西ノ京駅近くで撮りました。😌

西国四十九薬師霊場をお参りする前に書いていただいた御朱印です。この次の年、無事に満願しました。🙏

切り絵 散華
水煙
今回の全面解体修理で、創建当初からの水煙が新しくなりました。

切り絵 散華
東塔

切り絵 散華
仏足跡

近鉄電車🚃「西ノ京駅」下車。途端にワクワク感が止まりません。コロナ禍後薬師寺さんへは、
初めての参拝となります。
初めてお参りさせていただいたのは、2018年10月21日(日)。私の"お参り日誌"によると、"雲一つ無い秋晴れ"だったようです。この日は、翌年の"西国四十九薬師霊場"お参りのためのお軸やお経本を購入するのが目的。そして、一番札所である薬師寺さんの御朱印をいただくためでした。
購入したお経本を受け取る時、「経本は、両手で受け取るようにしてください。」と窘められたこと、今でも鮮明に覚えています。お経本がどれだけ尊いものなのかは、後に知るところとなりました。
"薬師寺まほろば塾"月に一度開催されます。この日は、薬師寺管主をされている加藤朝胤さんのお話と、"人形舞"をされているホリ・ヒロシ氏の"人形と一緒に踊る舞"(人形舞・・ホリ氏が名付けられたとのこと)の御披露の二本立てでした。😌
西国四十九薬師霊場 第1番札所
山号:なし
宗派:法相宗大本山
御本尊:薬師三尊像
発願:680年(天武9年)
開基:天武天皇
1998年(平成10年)12月世界遺産に登録されました。

近鉄電車🚃「西ノ京」駅下車。駐車場を抜けると看板が見えてきます。この日は、玄奘三蔵院伽藍の方向に向かいます。お話は、まほろば会館であるためです。

途中梅の木が迎えてくれます。雨のおかげでしょうか。花が咲き始めていました。

玄奘三蔵院伽藍
今日は、中には入りません。

まほろば会館内
ホリ・ヒロシ氏製作のお人形。文楽は3人で人形を動かしますが、人形舞は、お一人で動かします。特別に"写真を撮っても構いません。"と言っていただき、たくさんの方々が、シャッターを切っていました。人形の雅なお姿に思わず息をのみました。😯また、ホリ・ヒロシ氏の"人形舞"を生み出すことになったお話の内容とホリ氏ご自身の立ち姿の美しさ!海外でも披露されているそうですが、
称賛されているだろう様子が想像できました。"言葉"はいりません。"美しさ"を感じる感性は世界共通。どの国にも真似できない
"日本の美"がそこにありました。😯

玄奘三蔵院伽藍前 二本の柱(?)を支えている生き物。"亀𓆉"だとばかり思っていましたが、違いました。今日のお話に出てきたのですが、なんと竜の一番目の子ども。名前は(ひき、びし)※漢字に変換できません。といい、亀に似た生き物でどこに行くにも重い荷物を背負うのだそうです。そういえば、総持寺さんでも見かけました。竜の子どもだとは知りませんでした!🤭

竜の子どもは、13人いるそうです。3番目のこどもは、蒲牢(ほろう)。梵鐘の一番上にいます。吼えることを好むので、鐘の上に置いたのだそうです。🤭


こちらは、初めてお参りした時いただいた御朱印です。2018年(平成30年)10月21日
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