とうしょうだいじ|律宗
唐招提寺のお参りの記録一覧
薬師寺の北側に有ります。
鑑真和上が有名です。
こちらから薬師寺まで徒歩でも移動可能です。
南大門
これはレプリカで、本物は新宝蔵に収蔵されているそうです
金堂です
御本尊は盧舎那仏で、両脇に薬師如来と千手観音がおられます
講堂です
弥勒如来がおられるのですが、今は修理のため解体されて、中は空っぽでした
鑑真和上の御廟入り口
鑑真和上御廟
御本尊の盧舎那仏の御朱印を書き入れして頂きました
唐招提寺 御影堂特別拝観へ行きました。
唐招提寺 御影堂特別拝観へ行きました。
唐招提寺 御影堂特別拝観へ行きました。
唐招提寺 御影堂特別拝観へ行きました。
【唐招提寺(とうしょうだいじ)】
本尊:盧舎那仏
宗派:律宗
開基:鑑真
~百寺巡礼:五木寛之氏が選んだ百の名刹 第4番~
唐招提寺は唐僧・鑑真が759(天平宝字3)年、新田部親王(にいたべしんのう)(天武天皇第7皇子)の旧・宅跡を朝廷から譲り受け、戒律を学ぶ人たちの修行の道場を開いたのがはじまりとされる。当初は、「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけだった。金堂は、8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝(にょほう)の尽力により完成したと言われる。
南都六宗の一つである律宗の総本山。
~『百寺巡礼 第一巻 奈良』五木寛之(講談社、2003)~
世界遺産「古都奈良の文化財」で参拝。
【鑑真和上御廟山門】
【世界遺産「古都奈良の文化財」】
【南大門】
【金堂】
国宝。
~金堂の前面には八本の円柱が一列に並んでいる。よくギリシャのパルテノン神殿の柱に比べられるものだ。しかし、屋根の曲線は、ギリシャの古代建築とはかなり趣が違う。その柱と屋根の美の両方が、唐招提寺の金堂で見事に調和している。~
【金堂】
【礼堂(らいどう)】
重要文化財。
【礼堂】
【鼓楼】
国宝。
【鐘楼】
梵鐘(重要文化財)。
【講堂】
国宝。
【宝蔵・経蔵】
左 宝蔵(国宝)・右 経蔵(国宝)。
【開山堂】
【松尾芭蕉句碑】
「若葉して 御目(おんめ)の雫 ぬぐはばや」
~芭蕉は貞享五(一六八八)年の若葉の季節に唐招提寺を訪れた。そのとき、鑑真の像に対面してこの句を詠んだ。芭蕉の目には、鑑真が泣いているように見えたのだろう。~
【北原白秋歌碑】
「水楢(みずなら)の 柔(やわ)き嫩葉(わかば)は み眼にして 花よりもなほや 白う匂はむ」
北原白秋は晩年に視力をほぼ失っています。そして、戦雲ただならぬ1942(昭和17)年になくなります。
~視力を喪失することへの強い不安。激しくなる戦局への恐れ。残り少ない自分の人生。白秋はそのなかで、最後まで創作への努力をつづけていく。そのとき、彼の脳裏に鮮明なイメージとして残っていたのが、唐招提寺で出会った両目を閉じた鑑真の像だった。視力を失ってなお、仏教のために日本へ行こうとした鑑真のすがたに、白秋は自分自身のすがたを重ねたに違いない。~
【御影堂山門】
【御影堂】
重要文化財。
【鑑真和上御廟山門】
【鑑真和上御廟山門】
【鑑真和上御廟】
【鑑真和上御廟】
【鑑真和上御廟】
【鑑真和上御廟】
【鑑真和上御廟】
【鑑真和上御廟】
【鑑真和上御廟】
【戒壇】
~戒壇は、僧侶の資格を授ける場所で、唐招提寺でもっとも特色のある場所だといえる。最初はこの戒壇にもお堂があったが、嘉永元(一八四八)年に、盗人の放火にによって焼失している。~
【瓊花(けいか)】
以前、5月上旬にお参りした時のもの。瓊花は鑑真和上の故郷である中国・揚州の花で、かつて隋の第2代皇帝・煬帝(ようだい)が大変お気に召されたため、それ以来門外不出となった名花。2024年完成予定の薬草園のシンボルツリーとして植えられているようです。
【鑑真御朱印】
【御朱印】
【御朱印】
759年鑑真が新田部親王の旧宅地を譲り受け創建した。
鑑真が晩年を過ごしたとされる。
金堂、講堂は8世紀後半の建築、鼓楼は1240年の建築、宝蔵・経蔵は8世紀の建築(経蔵は唐招提寺創建前の新田部親王邸の米倉を改造したとされる日本最古の校倉)で国宝指定されている。
礼堂・東室は1284年の建築、御影堂は江戸時代建築の興福寺別当寺院・一条院の宸殿、殿上及び玄関を移築したもので重文指定されている。
金堂
南大門
南大門
鼓楼・礼堂
鼓楼・礼堂
礼堂
礼堂
礼堂
礼堂
東室
経蔵
経蔵
宝蔵
宝蔵
宝蔵・経蔵
鼓楼
鼓楼
鼓楼
講堂
講堂
講堂
鐘楼
梵鐘
戒壇
戒壇
戒壇
戒壇
開山堂
開山堂
訶梨帝母社
弁天社
弁天社
醍醐井戸
醍醐井戸
御影堂
御影堂(旧一条院殿上及び玄関)
鑑真和上御廟
鑑真和上御廟
鑑真和上御廟
鑑真和上御廟
新宝蔵
唐招提寺に参拝して来ました。
鑑真大和上坐像で有名ですが、御影堂は拝観日ではなかったため見る事は出来ませんでした。
南大門
金堂
経蔵と宝蔵
金堂 奥が講堂
金堂
鑑真和上御廟
画像はネットで掲載されているものを流用しています。
画像はネットで掲載されているものを流用しています。
唐招提寺
~天平の甍・蓮と長老と趙樸初先生~
🪷🪷🪷 🪷🪷🪷 🪷🪷🪷
宗派 律宗
寺格 総本山
御本尊 盧舎那仏(国宝)
創建年 天平宝字3年(759年)
開山 鑑真和上
中興年 寛元2年(1244年)
中興 覚盛(大悲菩薩)
札所等
大和北部八十八ヶ所霊場 第26・27番
神仏霊場巡拝の道第24番(奈良第11番)
ロータスロード
鴟尾(しび)とは、宮殿や仏殿などの瓦葺き屋根のてっぺんに、シャチホコと同じく大棟(おおむね)両端にのる飾りです。
奈良時代の建物で、寄棟造の屋根に鴟尾をのせているのは、天平の甍として有名な唐招提寺金堂のみです。
唐招提寺金堂では西側に奈良時代、東側に鎌倉時代の鴟尾をのせていました。
東大寺大仏殿やその他寄棟造の屋根で鴟尾をのせる建物は、この唐招提寺金堂の据えかたを真似しているそうです。
⭐⭐♡⭐⭐
唐招提寺は、苦難の末に来日を果たされた唐の高僧・鑑真和上が、759年戒律を学ぶ人々の修行の道場として創建されました。
当初は講堂や経蔵・宝蔵があるだけでしたが、8世紀後半、弟子によって金堂が完成。その荘厳な美しさは奈良時代の代表的な建築物として広く知られています。豊かな自然に包まれた静かな境内には国営・国の宝で、平城京の面影をたたえる伽藍や仏像など、数多くの国宝や重要文化財があり、時を越えて多くの人々に愛され、また感動を与えてきました。
鑑真和上が来日された際に、蓮根を持ち込まれたことから、開創以来、蓮を大切にしてこられました。
約130の蓮鉢では6月中旬から7月下旬まで、 2ヶ所の蓮池では7月中旬から9月初旬まで、 美しい蓮の花が咲き誇ります。
*乾漆鑑真和上坐像(国宝)
像高80.1㌢。
鑑真和上の弟子の忍基が、唐招提寺の講堂の梁が折れる夢を見、師僧の死去が間近いことを知って造らせたもの。鑑真和上が入滅された天平宝字7年(763年)頃の作と推定され、日本最古の肖像彫刻といわれます。脱活乾漆造ですが、膝上で組んだ両手は木製。
肖像彫刻としては異例の、目を閉じた形に表されます。
*御影堂
重要文化財。文化財指定名称は「旧一乗院 宸殿 殿上及び玄関」。鑑真和上の肖像彫刻(国宝)が安置される(開山忌前後の6月5日 - 7日のみ公開)。
建物は興福寺の有力な子院であった一乗院の宸殿で、慶安2年(1649年)の建立。一乗院が廃寺となった後、奈良県庁や、1962年(昭和37年)までは奈良地方裁判所の庁舎として使用され、1964年(昭和39年)に唐招提寺に移築されました。障壁画は鑑真像に奉納するため、1971年(昭和46年)から1982年(昭和57年)にかけて東山魁夷画伯により描かれたものです。
東山魁夷画伯
唐招提寺御影堂障壁画
1970年に奈良・唐招提寺森本長老から依頼されたもので、《山雲》《濤声》《揚州薫風》《黄山暁雲》《桂林月宵》の5部からなる大作。襖絵と床の壁面は全68面におよび、すべてをつなげると全長83mにもなります。
1971年(昭和46年)から12年もの歳月をかけて制作された本障壁画には、幾多の困難を乗り越えて中国から来日し唐招提寺を開いた鑑真和上への讃仰と崇敬の念を込めて描かれました。
中でも印象深い作品が「揚州薫風」1980(昭和55)年 。
『揚州薫風』は鑑真生誕の地・揚州の風景を、《桂林月宵》は鑑真和上が第5回目の渡航に失敗した際滞在した桂林の風景を、そして《黄山暁雲》は中国の景勝地を代表する黄山の風景をそれぞれ描かれ、畢生の大作となりました。
国交回復間もない中国への渡航はご苦労もおありだったと思いますが、千変万化する山の姿を墨の濃淡を使い分け、鮮やかに描き出されました。
そして1981年、唐招提寺鑑真和上像厨子絵
『瑞光』を制作・奉納。
「濤声」においては、
海の景色を巡る旅で訪れたのは、青森県・津軽半島の北端「龍飛崎(たっぴざき)」や秋田県・男鹿半島「入道崎」、石川県輪島市の「曽々木海岸」、福井県「越前海岸」、京都府「間人(たいざ)」、兵庫県「浦富(うらどめ)」、山口県長門市「青海島(おおみじま)」、長崎県「天草灘」など、東北地方から九州までおよそ100ヶ所。
山の旅では、「黒部渓谷」「穂高」「上高地」「天生峠(あもうとうげ)」など。天生峠では「この風景を描けと何者かに命じられているのを感じた。」と記し、数日間この場所に写生に通ったとあります。その他、渓谷の滝を求めて山形・蔵王の「三階滝」や、栃木県日光市の「霧降滝」なども訪れられたそうです。
1998年 世界遺産
688年(唐垂拱四年)-
763年5月6日(日本天平宝字七年五月六日)
開山鑑真大和上の命日6月6日
東山魁夷先生の命日は、1999年5月6日でありました。
唐招提寺第87代石田智圓長老、
第88代西山長老、第89代岡田長老
7月6日鑑真和上の月命日で、講堂で読経下さった後、柔やかな笑顔の長老御三方は御影堂へお入りになりました。
その下り道、金亀舎利塔東の通路にツバメの巣があります。今年も元気に巣立っていってくれたことと思います。
ありがとうございました。
奈良市五条町13-46
唐招提寺第87代石田智圓長老
こちらに一筋の光線が✴
御影堂から開山御廟へ
趙樸初居士之碑
(ちょう ぼくしょ、1907年11月5日 - 2000年5月21日)
中国の政治家、書道家、仏学家、作家、社会活動家。
開山御廟の奥に「趙樸初居士之碑」があり、
薬師寺與楽門前の揮毫は趙樸初先生によります。
呉江浩大使「中日仏教交流は長い歴史があり、古来より両国の文化交流の重要なリンクであった。鑑真、隠元、空海、最澄などの大徳の僧は、両国の文明の架け橋となり、共通の文明の刻印を残してきました。戦後、両国の仏教界は、趙樸初師を中心に、平和の理想を掲げ、広範な交流と協力を行い、両国の仏教交流の深化を促進し、日中関係の復興と発展に積極的な役割を担って来られたお方です。
今年は日中平和友好条約締結45周年にあたります。
『日本・中国の架け橋 趙樸初』放送を記念して、2023年6月6日(火)京都にて、日中の仏教界の関係者が一同に集まり友好座談会が実施されました。
天平の甍
鑑真和上1250年御諱記念御朱印帳
国宝 方円彩糸花網
Ⅳ 唐招提寺
759年、鑑真和上によって創建。
火災に合うことが少なかったそうで、今も奈良時代が色濃く残る大好きなお寺です。
盧遮那仏の御朱印
千手観音の御朱印
南大門
天平の甍 金堂
屋根の上にのっているのは鴟尾(しび)といって火除の役割があるそう
屋根が水面、そこからさかなが尾を出している、そういえばそう見えますね🐟
※その他、鳥の羽、役人の革靴(沓形)等諸説あるようです
圧巻✨(絵葉書より)
8本の美しい柱
正面の舎利殿は、和上が持ってこられた仏舎利を安置
奥の講堂は平城京より東朝集殿を移築したもの
御影堂への石畳
鑑真和上御廟
視力を失いながら6度目の航海で来朝を果たされ、日本仏教に戒律をもたらされた和上は、ここに眠られています
苔がきれいでした
鑑真和上像は昔、上野の美術館にいらした時拝観しました
日本初の肖像彫刻で、お弟子さんが和上のお姿を映したと言われている
その静かな迫力に圧倒されました
奈良県のおすすめ🍁
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