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筑摩神社ではいただけません
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サクドン
2019年12月04日(水)
198投稿

沙田神社に続き参拝させて頂きました。

駐車場は見当たらず、近くの有料駐車場を利用しました。

筑摩神社の建物その他

道路の案内

筑摩神社の建物その他

社号標

筑摩神社の鳥居

一の鳥居

筑摩神社の建物その他

一の鳥居 扁額
八幡宮になっていました

筑摩神社の建物その他

日露戦役大捷紀念碑

筑摩神社の建物その他
筑摩神社の建物その他

石燈籠

筑摩神社の手水

手水舎

筑摩神社の手水

手水鉢
残念ながら水は張られていませんでした

筑摩神社の狛犬

狛犬 阿形

筑摩神社の狛犬

狛犬 吽形

筑摩神社の建物その他

石碑群
字がかすれているので殆ど何の碑か不明です

筑摩神社の鳥居

二の鳥居

筑摩神社の建物その他

石燈籠

筑摩神社の山門
筑摩神社の建物その他

拝殿前 石燈籠

筑摩神社の建物その他

神楽殿

筑摩神社の本殿

拝殿

筑摩神社の本殿

本殿

筑摩神社の建物その他

神紋

筑摩神社の末社

末社

筑摩神社の末社

三社のようです

筑摩神社の建物その他

三社とも扁額が読めないので
何社かは不明です

筑摩神社のおみくじ

御籤結び

筑摩神社の建物その他

絵馬掛け

筑摩神社の建物その他

社務所

筑摩神社の建物その他
筑摩神社の建物その他

授与所と思われます

筑摩神社の建物その他

午前中の参拝でしたので
終了というよりは土日等の人の多い時しか授与していないのかもしれません

筑摩神社の末社

末社かと

筑摩神社の建物その他

むむっ・・・
微妙に読めそうで読めませんでした

筑摩神社の末社

山神社のようです

筑摩神社の建物その他

山神社の上の2文字は不明です
太郎か太師の様な気もしますが

筑摩神社の末社

こちらも何社かは不明です

筑摩神社の建物その他

弓矢塚

筑摩神社の建物その他
筑摩神社の建物その他

石碑群

筑摩神社の末社

末社

筑摩神社の末社

中には二社祀られていましたが
何社かは不明です

筑摩神社の建物その他

大きさ的には神輿蔵でしょうか?

筑摩神社の建物その他
筑摩神社の建物その他

物置的に使われている様でした

筑摩神社の建物その他

鐘楼

筑摩神社の建物その他

梵鐘

筑摩神社の歴史

鐘楼 由緒書き

筑摩神社の建物その他

雰囲気的には神社の境内の中に道路がある感じでしょうか

筑摩神社の末社

ということで境内社かと思います

筑摩神社の建物その他

飯塚

筑摩神社の末社
筑摩神社の歴史

説明書き

筑摩神社の建物その他

塚の裏にありました
祭祀場でしょうか?

筑摩神社の鳥居

鳥居

筑摩神社の建物その他

鳥居 扁額

筑摩神社の末社

末社 五條天神社

筑摩神社の歴史

五條天神社 由緒書き

筑摩神社の建物その他

駐車場の様な気もしますが
パイロンが置いてあるので使用不可?

筑摩神社の建物その他

一の鳥居も前にありました

筑摩神社の末社

何社かは不明です
境外社か筑摩神社とは関係ない単独神社なのかも不明です

筑摩神社の建物その他

こちらも神社の横にあったのですが

筑摩神社の鳥居

こちらも何社かは不明です
境外社か筑摩神社とは関係ない単独神社なのかも不明です

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歴史

(長野県神社庁Webより)

当神社は信濃国司時代の総社にして足利時代に入りては歴代信濃守護職たる小笠原氏の祖神として崇敬せられたり。延暦年間鎮守府将軍坂上田村麿、信州反賊征 討の時、この地に駐軍し賊兵討平の後、賊魁八面大王の首を境内に葬る(境内に鬼塚あり)其の際同将軍は神徳を感じ当社本殿を改築せられしと云う。小笠原政 康が永享8年村上頼清と交戰あり、兵燹に罹り社殿灰燼に帰す之により永享11年政康之を再建す。是即ち現在の本殿なりと云う。慶長15年松本城主石川光長 の臣吉田清兵衛の名により拝殿を建築す。明治5年8月県社に列す。維新前は八幡宮と称したが県社に列すると同時に筑摩神社と改称した。現在本殿は国の重文 に、拝殿は県宝に指定された。

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筑摩神社の基本情報

住所長野県松本市筑摩2-6-1
行き方

JR松本駅より徒歩約25分

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名称筑摩神社
読み方つかまじんじゃ
御朱印あり

限定御朱印なし
おみくじあり

詳細情報

ご祭神息長帯比売命,誉田別命,多紀利比売命,狭依比売命,多岐津比売命
ご由緒

(長野県神社庁Webより)

当神社は信濃国司時代の総社にして足利時代に入りては歴代信濃守護職たる小笠原氏の祖神として崇敬せられたり。延暦年間鎮守府将軍坂上田村麿、信州反賊征 討の時、この地に駐軍し賊兵討平の後、賊魁八面大王の首を境内に葬る(境内に鬼塚あり)其の際同将軍は神徳を感じ当社本殿を改築せられしと云う。小笠原政 康が永享8年村上頼清と交戰あり、兵燹に罹り社殿灰燼に帰す之により永享11年政康之を再建す。是即ち現在の本殿なりと云う。慶長15年松本城主石川光長 の臣吉田清兵衛の名により拝殿を建築す。明治5年8月県社に列す。維新前は八幡宮と称したが県社に列すると同時に筑摩神社と改称した。現在本殿は国の重文 に、拝殿は県宝に指定された。

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