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ふかしじんじゃ

深志神社
長野県 松本駅

午前9時から午後5時

例祭・神事

1月1日    歳旦祭
1月8日    元始祭
1月10・11日  市神祭
2月3日    節分祭
2月11日    建国祭
3月25日    祈年祭
3月下旬    獎学祭
5月25日    楠公祭
6月30日    大祓式
7月14・15日  八坂祭
7月24.25日  例大祭(天神祭り)
9月8・9日   宮村祭、末社祭
9月26日    愛染祭
10月下旬   松尾祭
11月8日    金山祭
11月18~20日 恵比寿祭
11月25日   新嘗祭 大麻頒布始祭
12月30日   大祓式
12月31日   除夜祭

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歴史

宮村宮(宮村大明神)が信濃国府中の井川城に居館した小笠原貞宗公により、その丑寅(北東)にあたる、長沢川の北端、捧荘庄内郷宮村の地に、諏訪明神の霊夢を受けて南面に社殿が造営され、祀られたのは南北朝時代初め暦応2年(1339)9月9日でした。
その後、永正元年(1504)小笠原氏は、深志城(のちの松本城)を築いて移るに及んで産土神と崇敬し、社殿を西面に直し、城の巽(南西)の鎮護神とされました。
一方、天満宮は、小笠原貞基公が応永9年(1402)、居館である井川館近くの鎌田の地に京都・北野天満宮より勧請されていましたが、のち江戸時代の慶長19年(1614)6月25日(菅公の御誕生日)、後裔である小笠原秀政公が、宮村明神の北側にさらに勧請され、並び祀られました。
両宮は「宮村両社・宮村大明神・宮村神社・宮村天満宮・深志天神」などと称され、お城と城下町の鎮護の神社として歴代城主により篤く敬われました。そして正式な社名を、天保12年(1841)に京都・神祇道管領長上吉田家の認可を受け、「深志神社」と定めました。

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深志神社の基本情報

住所長野県松本市深志3-7-43
行き方

JR篠ノ井線、大糸線、松本電鉄上高地線、松本駅下車、徒歩約15分
長野自動車道松本I.C.より約15分
松本バスターミナルより②のりば 横田信大循環線・新浅間線、④のりば 並柳団地線、乗車3分「市民芸術館」下車 北参道側より徒歩2分
松本駅お城口バス停より③のりば 北市内線東まわり乗車3分「市民芸術館」下車 北参道側より徒歩2分。②のりば タウンスニーカー南コース乗車4分「市民芸術館西」下車 正面(西)参道側より徒歩3分

アクセスを詳しく見る
名称深志神社
読み方ふかしじんじゃ
通称深志天神
参拝時間

午前9時から午後5時

参拝にかかる時間

15分

参拝料

なし

トイレ南参道側にあります
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0263-32-1214
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://www.fukashi-tenjin.or.jp/
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詳細情報

ご祭神
宮村宮 建御名方命、
天満宮 菅原道真公
創建時代1339年(暦応2年)
創始者小笠原貞宗
ご由緒

宮村宮(宮村大明神)が信濃国府中の井川城に居館した小笠原貞宗公により、その丑寅(北東)にあたる、長沢川の北端、捧荘庄内郷宮村の地に、諏訪明神の霊夢を受けて南面に社殿が造営され、祀られたのは南北朝時代初め暦応2年(1339)9月9日でした。
その後、永正元年(1504)小笠原氏は、深志城(のちの松本城)を築いて移るに及んで産土神と崇敬し、社殿を西面に直し、城の巽(南西)の鎮護神とされました。
一方、天満宮は、小笠原貞基公が応永9年(1402)、居館である井川館近くの鎌田の地に京都・北野天満宮より勧請されていましたが、のち江戸時代の慶長19年(1614)6月25日(菅公の御誕生日)、後裔である小笠原秀政公が、宮村明神の北側にさらに勧請され、並び祀られました。
両宮は「宮村両社・宮村大明神・宮村神社・宮村天満宮・深志天神」などと称され、お城と城下町の鎮護の神社として歴代城主により篤く敬われました。そして正式な社名を、天保12年(1841)に京都・神祇道管領長上吉田家の認可を受け、「深志神社」と定めました。

体験おみくじ七五三御朱印祭りアニメなどサブカル

Wikipediaからの引用

概要
深志神社(ふかしじんじゃ)は、長野県松本市深志にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。通称「天神様」。 諏訪明神(建御名方命)と菅原道真(天神)を主祭神とする。
歴史
歴史[編集] 社伝によれば、諏訪明神(建御名方命)の夢をたびたび見ていた信濃守護・小笠原貞宗が戦勝に感謝し、暦応2年(1339年)に諏訪明神を祀って創建したのに始まる。当初は宮村宮(宮村大明神)と称していた。応永9年(1402年)には小笠原長基が北野天満宮(天神)を勧請した。 永正元年(1504年)、小笠原氏の家臣が深志城(松本城)を築城すると、当社を城の鎮守・産土神として崇敬し、社殿を西面に改めた。天文2年(1533年)、小笠原長時は武田信玄に敗れ、信濃が武田氏の支配下に入ると当社は荒廃した。天正10年(1582年)、小笠原氏が信濃に復帰して社殿を修造し、深志城の南方の鎌田村に小笠原氏...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通[編集] JR松本駅から徒歩約15分 中央自動車道松本インターチェンジから約15分
引用元情報深志神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%B7%B1%E5%BF%97%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=99123751

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