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戸隠神社火之御子社のお参りの記録一覧
長野県 黒姫駅

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てけてけ
てけてけ
2024年05月22日(水)551投稿

宝光社から神道を歩いて火之御子社に向かいました。
途中、伏拝所をお参りしてすぐに火之御子社があります。
天岩戸神社拝殿横の天岩戸神楽のビデオ視聴を思い出しながら、御祭神の天鈿女命を祀る火之御子社を参拝してきました。

参拝後は神道を歩いて中社に辿り着いて、中社参拝前に戸隠蕎麦を頂きました。

戸隠そばは、上質な霧下そばのそば粉と戸隠山からの清き水を使い打ち上げられた、香り高いおそばを戸隠の根曲り竹のざるに盛られたおそばですが、そのおそばの盛り方が特徴的です。
「ぼっち盛り」と名付けられた
この盛り方には諸説いわれがあります。
戸隠では基本的に1人前を五ぼっちとしていますが、
この「五」という数字は、戸隠神社が五社あることに由来し、
ざるの上で五つの神社を表しているという説があります。
大盛りざるそばを七ぼっちにしていることも五社とさらに五斉神社・宣澄社を含め、七つを表していると言われています。神々への奉納の思いを込めて、この魂のような形をしていると言われています。
またこの「ぼっち」という名前にも意味があり、
「ぼっち」を漢字で書くと「法師(または坊主)」と書きます。
これは山に入り、一人で籠り修行をしたお坊さん「独り法師」に由来しており、修験の山としても有名だった戸隠では、多くの法師が修行に来て、そのときに食べていたのがそばであったことに由来しているものではないかと考えられています。
一人ぼっちという言葉もこの一人で修行するお坊さんからできた言葉のようです。
ジブリ映画「もののけ姫」にも出てくる森や川・国を造ったとされる神様・ダイダラボッチのように、「ぼっち」には神様という意味も含まれているとすれば、戸隠神社五社(または七社)の
【神様を盛られているおそば】と言えるのではないでしょうか。
神仏習合、神仏分離という時代を過ごしてきた戸隠神社信仰の神々と戸隠の人々の食という身近なものを密接に関係させた想いが詰まったおそばなのです。

神道(かんみち)を通らないと見ることのできない観光スポットである伏拝所(ふしおがみしょ)があります。その昔、「御正体(みしょうたい)」が飛来し、宝光社の創建を指示された場所と言われています。
戸隠に関する数々の縁起本を整理・編集した「戸隠山顕光寺流記」に宝光社の創建に関して以下のように記されています。
後冷泉天皇の御世である康平元年(1058年)8月26日、奥院より五十町ほど離れた大木の梢に光を放って輝くものがありました。
人々が不思議に思い集まって、よく見てみたところ、それは「御正体」(神仏習合の考えによって神体である鏡に本地仏の像を示した鏡像のこと)でした。
その時そばにいた12~3歳の女の子がもだえ苦しみ、倒れてしまったので、人々が「どうしたものか」と騒いでいると、女の子はこういいました。
「私は当山三所権現の先駆けで左方に立つ地蔵権現です。本院は女人禁制の結界があり、女人は中に入ることができません。従って本院に行けない女人のために、ここに堂を建てて、私を安置してください。」
その場にいた人々は怪しんで「それが本当なら、ここにいる誰かの袖にお移りください」と言うと、「御正体」はそこにいたお坊さんの袖の中に飛び移りました。
お坊さんが慌てて袖の中を確かめてみると、地蔵菩薩像が入っていました。
そこで人々は女の子の言うことを信じ、すぐに堂を建てて地蔵菩薩像を安置しました。

堂ははじめ「福岡院」と呼ばれ、後に「宝光院」といわれるようになりました。また「御正体」がやってきたところを「伏拝所」というようになりました。
その後、本地の地蔵菩薩が垂迹(すいじゃく、仏教が興隆した時代に発生した神仏習合思想の一つで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏(菩薩や天部なども含む)が化身として日本の地に現れた権現(ごんげん)であるとする考え)したのが「天表春命」であるとされるようなったそうです。
言い伝えでは上記のように「御正体」が飛来して宝光社が創建されたと言われていますが、実際のところは雪深いところにある奥院に対して、もう少し住みやすいところ居住区として作られたのが、宝光社であったようです。

主祭神:天鈿女命(あめのうずめのみこと)
配祀:高皇産御霊命(たかみむすびのみこと)、栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)、天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
古事記や日本書紀に有名な「天の岩戸伝説」が記されていますが、その「天の岩戸伝説」で岩屋の中にお隠れになった天照大神(あまてらすおおのかみ)を誘い出す舞を踊った女神である天鈿女命(あめのうずめのみこと)を火之御子社はご祭神としています。また「火之御子」は「日御子」とも考えられることから、天照大神の御子神である天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)がご祭神として考えられ、またその関係する神々を祀ることとされたようです。

社殿の創建年は不詳とされていますが、戸隠に関する数々の縁起本を整理・編集した「戸隠山顕光寺流記」には第22代別当(寺務を統括する僧職)の頃(1100年頃)に「火之御子社宝殿を修造」と記されていますので、戸隠神社が三院体制になってしばらくして、火之御子社が創建されたと考えられています。今の社殿は明治17年(1884年)に再建されたものですが、平成6年(1994年)に屋根や土台の大修繕が行われ、現在に至っています。

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