とがくしじんじゃおくしゃ
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令和4年6月 戸隠神社
南條旅館で朝ごはんを頂き、別所温泉から戸隠神社へ向かう。
朝ごはんは、薬膳粥や豆腐のたいたん等、実に滋養深い。また、七久里煮という「蕗、干瓢、芋殻、貝べり、干し椎茸、桜えび」と、山の幸をじっくり煮込んだ佃煮風の名物も、白いごはんに合う。
別所温泉は七苦離の温泉と言われるので、七久里という当て字が使われているのだろう。ちなみに、この七苦とは、仏教用語で、生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦を意味する。
この異常な暑さから離脱したい(笑)。
別所温泉駅8時28分発、上田駅56分着の上田電鉄に乗り、上田で9時1分発長野13分着の新幹線あさまに乗り換えたいが、わずか5分しか乗り換え時間がない。ギリギリ間に合う。
アルピコ交通の周遊チケットを購入し、9時40発のバスに乗り戸隠神社へ向かう。
年季の入った旧型の戸隠キャンプ場行きのバスに、約50人ほど乗車すると、上りでの時速は20〜30km/hほどしか出ない。
戸隠神社の五社全てをお参りするなら、奥社入口12時27分発のバスに乗りたいが、到着時間が約20分ほど遅れてしまったから厳しいかもしれない。
まずは、奥社と九頭龍神社を目指して参道を進む。木々のおかげか、思いのほか清々しい。平日なのに、ご参拝する方がとても多い。
九頭龍神社の手前の小さな滝音が心地よい。帰りの参道で「サンダルでここまで来たの?」と声をかけられる。
「たいていサンダルなんです(笑)」
五社全部まわりたいけど、バスの時間が厳しいことを話すと、中社まで車で送って頂けることになった。
ありがたい。
おかげ様で、時間を気にすることなく、参道口付近の川に足をつけて涼むことも出来た。
中社、13時着。
神道と呼ばれる古道を歩き、火之御子社へ。神道を少し戻り、宝光社へ。
宝光社14時38発注のバスに乗って長野駅へ。
長野18時11分発の新幹線はくたかに乗り、19時37分金沢着。金沢で乗り換え、金沢19時47分発のサンダーバードに乗り、22時31分大阪着。
かなりハードな行程だと思う。



【信濃國 古社巡り】
戸隠神社・奥社は、は、長野県長野市戸隠にある、戸隠神社(※詳細は下記)を構成する5社のうちの1社。また戸隠三社というときの1社。祭神は手力男命。
創建は孝元天皇の御代、紀元前210年。祭神は神代の昔、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって岩戸を開いた神。平安時代の849年に、学門(学問)行者が道場として開いた伽藍が起源とされる。
当社は、戸隠神社を構成する5社の中で最も高い場所にあって、戸隠道(県道36号線)上の入口(中社から1km)から2kmの参道を進んだところにある。境内(社叢)の広さは51ヘクタールで、東京ドーム11個分と広大。参道途中に隋神門があり、参道両側には17世紀に植樹された杉並木が続く。神仏混淆の時代には、参道両側に子坊が並び、聖観音菩薩(現在は長野県千曲市の長泉寺本尊)を祀っていた。本殿内部に戸隠三十三窟の「本窟」と「宝窟」があると言われるが非公開。
今回は、旧国幣小社である戸隠神社5社のうちの1社ということで参拝することに。参拝時は休日の午前で、天気が良いこともあり、ハイキングに来ている人を含め。かなり多くの人々が参拝に訪れていた。
※御朱印は、奥社・九頭龍社共通の授与所で拝受できる。
(※)戸隠神社(とがくし~)は、長野県長野市北西部の戸隠山周辺の、奥社、中社、宝光社、九頭龍社、火之御子社の5社からなる神社。旧社格は国幣小社。祭神は、奥社が天手力雄命(あめのたちからお)、中社が天八意思兼命(あめのやごころおもいかね)、宝光社が天表春命(あめのうわはる;中社祭神の御子神)、九頭龍社が地主神の九頭龍大神、 火之御子社が天鈿女命(あめのうずめ)。別称は「戸隠権現」、「戸隠三社」。
説によると、奥宮の創建は孝元天皇5年(紀元前210年)と言われ、九頭龍社はそれよりも古いとしている。戸隠山は、天照大神が籠っていた「天の岩戸」を天手力雄命が投げ飛ばした際の破片が飛んできて山となったと言われ、地主神である九頭龍大神が天手力男命を迎え入れたのが始まりとされる。『日本書紀』に記されている「水内の神」が戸隠神社であるとする説もある。平安時代の849年に僧・学問が奥社の地で初めて修験を始めたとされ、その後、天台密教、真言密教、神道とが習合した神仏混淆の戸隠山勧修院顕光寺として発展し、修験道場・戸隠十三谷三千坊として比叡山延暦寺、高野山金剛峰寺とともに「三千坊三山」の1つとして全国に知られるようになった。鎌倉時代には当山(延暦寺山門派)の別当であった栗田氏が山麓の善光寺(園城寺山門派)の別当をも世襲したため、両寺は関連を深めた。戦国時代に当北信濃地域は、甲斐國・武田信玄と越後國・上杉謙信との争乱に巻き込まれ、栗田氏は分裂させられ、苦境の時期を過ごした。江戸時代に入ると、徳川家康から朱印地1000石を与えられ「戸隠山領」が成立し、同時に東叡山寛永寺の末寺となった。次第に農業神、水の神の性格が強まり、山中は次第に修験道場から門前町へと変貌していった。明治時代になると、神仏分離令や修験宗廃止令により廃仏毀釈運動が起き、戸隠山顕光寺は寺院を分離して神社となり、宗僧は還俗して神官となった。

戸隠道(県道36号線)から見た<戸隠神社奥社入口>。社号標も立っている。
ここから参道を2km進む。森林浴のスタート。(o^―^o)

入口から坂を下ると右手に<茶屋>があり、進んで<神橋>を渡る。




奥社へ通づる杉並木が有名で観光客に人気があります。とはいえ、流石は修験の山。一般の神社ですとパワーをいただいて帰るのが普通ですが、こちらではパワーは全部吸い取られます。。。観光気分で行くと奥社へは辿り着けません。
冬のある時、戸隠神社奥社の随神門より朝日が昇る写真を見ました。それに魅了され、「よし!雪の戸隠に行ってみよう!」と思い、ついうっかり行ってしまいました。ウェザーニュースでは、降雪量は1ミリとなっていたので雪が舞っているくらいかなと思いきや、バンバン降っていました。戸隠への道は、急勾配の山道をうねりながら登っていく感じです。近くにスキー場もあるので頻繁に除雪車は行きかいましたが、あまりの降雪のために追いつかず積もる積もる。。。スタッドレスタイヤなんかほんの気休めにしかなりません。スタッドレスの上に更にチェーンを巻いてようやく登るも、滑って滑ってドラフト走行の連続。。。その挙句、風が吹くとあっという間にホワイトアウトしてしまします。死ぬかと思いました。
ちなみに、冬季は奥社までは行けません。中間地点の随神門までになっています。その先は雪崩が発生するので「行かないで!」との看板がありました。そんな決死の冬の戸隠でしたが、ぽつりぽつりと観光客のご一行や、デートで間違えて来ちゃった風なアベックも複数おいでになっていました。
みなさん、雪の降っている時には戸隠に行っちゃ〜ダメです!晴れている時に行きましょう!

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