ぞうざんじんじゃ
象山神社のお参りの記録一覧
松代城の御城印収集を兼ねてお参りしました。雨上がりの朝でとても静かなお参りとなりました。「書き手がいない」と言われましたが書き置きで構わないと申し出て拝受しています。近隣の寺社仏閣の書き置き御朱印もありました。
威風堂々
信州神社巡り2日目②東京の松陰神社と同じ雰囲気を感じました。特に幕末好きではないのでミーハー感覚にはなりません。一般的には「しょうざん」と読むが、地元長野では「ぞうざん」と呼ぶらしい。歴史的には昭和初期の創建で社地は佐久間象山邸跡地に鎮座する。歴史が浅いのにもかかわらず国の有形文化財指定を受けている建造物が多いのに正直びっくりしました。
灯籠
佐久間象山像
社号標
鳥居
手水舎
心の池
参道
左から久坂玄瑞・高杉晋作・中岡慎太郎
小林虎三郎像(象山門下生)米百俵の逸話は知っていましたが名前は知りませんでした
吉田松陰像
佐久間象山像
真田幸貫像(松代藩八代藩主)松平定信の孫、佐久間像残を藩の顧問として藩政改革を行う
勝海舟像
坂本龍馬像
橋本左内像
絵馬殿(国有形文化財)
狛犬
拝殿(国有形文化財)
本殿(国有形文化財)
茶室 煙雨亭(京都から移築)
佐久間象山宅跡
象山先生生誕地碑
クレヨンしんちゃん・・・じゃなくてw佐久間象山を祀った神社ですね。
前日は松代北部を探索したので、この日は南部を中心に回ろうかと、まずは朝イチでここに行ってみました。
戦国関係から一気に時代が飛んで幕末関係ですが、るろうに剣心の人誅編がテレビ放映された週だったのでちょうど良いかなとw
やっぱ幕末というと、男の子としてはどうしても新撰組とか人斬りの方に興味が行くワケでw 佐久間象山とか吉田松陰みたいな思想家系はやや興味が薄いので、今回どういう人だったのか改めて調べてみました。
【同時代人による佐久間象山の評価】
勝海舟 ( ゚Д゚)<大法螺吹き
高杉晋作 ( ゚Д゚)<大法螺吹き
どういうことなの・・・
かなり自信過剰というか意識高い系の人だったようで
「僕の血を継いだ子供は必ず大成する。そのため、僕の子供をたくさん生めるような大きな尻の女を紹介してほしい」
などと言って坂本龍馬に合コンをセッティングさせる。
で、その「必ず大成する」と豪語した息子、三浦 啓之助はどういう人だったかWikipediaで見てみたところ・・・これもまた凄まじく香ばしい人だった(^^;
・新撰組に入るも父親譲りの傲慢さが露になり、土方歳三や沖田総司に目を付けられたあげく脱走。
・勝海舟の紹介で慶應義塾に入学するも女性スキャンダル続出で退学。
・父親の名前や勝のコネを駆使して司法省の役人に収まるも警察官と喧嘩して免職。
・最後はウナギを食べ過ぎて食中毒で死亡。
・・・なんだ象山先生! 息子も含めてすっごい面白い人じゃんwww
今回の参拝をキッカケにファンになりましたわ☆
なかなかダイナミックな書体
洋学・実理を尊んだ象山自身が神となってるのはちょっと皮肉だなw
鳥居
手水舎
この日一番乗りで参拝☆
拝殿
御神木は紅葉
時期的にはピッタリのはずですが・・・地球温暖化め(*>д<)
幕末の偉人像
右から、小林虎三郎、吉田松陰、佐久間象山
右から、真田幸貫(松代八代藩主)、勝海舟、坂本龍馬、橋本佐内
結構なお住まいで
この人、確かに写真を見ても目力やたらあるんだよなw
松代五社の御朱印はここでも全て拝受できます
現地での在庫切れを警戒して、これから行く予定だった中村神社と白鳥神社を一応もらっておきました
玉依比賣命神社は御朱印帳もあり
あれ・・・着色されてるとなんかちょっとカワイイ(*゚Д゚)
まぁ買わなかったけどw
授与所にこのようなパンフあり
う、超見てえ! もう少し遅く長野に来れば良かった(ノД`)
象山先生の生家の方に行ってみよう
あれか?随分と現代的な・・・(違)
晩年に住んだ茶室
残念ながら生家は現存せず
結構いい家に住んでたみたいです
ぞうざんじんじゃ。御祭神は、佐久間象山先生。近くに記念館あり。御朱印は書置きでした。
池に無事帰る大明神。
象山先生。
松蔭先生。
明治維新前後のスターの皆様。龍馬さんも。
象山神社で御朱印を頂きました。
コロナ禍のため書置きでした。
象山神社は、その名の通り、松代藩士で幕末の思想家の佐久間象山が祀られています。
佐久間象山の騎乗した銅像があり、象山神社の御神木のイロハカエデでがありました。
高義亭があり、元松代藩士の別棟を移築してきたものです。象山神社の本殿です。
佐久間象山をはじめとする幕末の志士たちの銅像・胸像があります。
佐久間象山の邸宅跡もありました。
(長野市編おわり)
#象山神社
#長野市
#長野県
#松代
#御朱印
御朱印
鳥居
佐久間象山像
狛犬
手水舎
ご神木
拝殿
本殿
幕末の志士たちの銅像
高義亭
佐久間象山の邸宅
長野市松代町に建つ象山神社。
御神祭は言わずと知れた佐久間象山(生1811年-1864年没)
由緒ある武家の生まれ。兵学者.朱子学者.思想家。
6歳の頃から父や鎌原桐山(江戸時代の武士、漢学者)や、活文禅師などから学問武術を習い、齢20才には詩文.経書.武術等免許される秀才だったそう。
23才で佐藤一斎(美濃國岩村藩出身の儒学者)の塾に入門。渡辺華山(江戸後期の武士、画家。三河國田原藩藩士のち家老になった人物)や藤田東湖(江戸末期の水戸藩士、水戸学藤田派の学者)等と親交があるも、3年で帰藩し藩の子弟に経書や漢字を教える。
29才、江戸お玉ヶ池に象山書院を開き、多くの門弟を集める。
藩主真田幸貫(江戸後期 大名.老中。信濃松代藩主。徳川吉宗の曾孫にあたる人物)で、海防掛(江戸幕府の職名の一つ)の時、海防ハ策を幕府に上申。
36才、大砲や電信機等の製作や実演を行う。
41才、江戸木挽町(現.中央区銀座の辺り)に塾を開き、勝海舟.坂本龍馬.吉田松陰.橋本左内などの維新英才を輩出。黒船来航国論沸騰の際は、軍議役として横浜警備に当たる。開国論者であり、横浜開港を主張。同じ年に松陰密航事件に連座して投獄されてしまいます。
44才から9年間松代に蟄居(ちっきょ)されます。この間にこれまた、高杉晋作.久坂玄瑞.山形半蔵.中岡慎太郎.石黒忠のり等が面会に訪れ、時世について激論するが象山の学識に感動して去る。
54才、幕府の命で京へ上がる。
将軍 徳川家茂.一橋慶喜.山階宮.中川宮に公武合体、開国を説いて活躍中、七月十一日 三条木屋町で尊皇攘夷派
前田伊右衛門、河上彦斎(緋村剣心のモデルとなった人物)等に暗殺されてしまいます。護衛無し。
西洋かぶれの危険因子という事らしい。(現在その場所には遭難の碑があるとの事)
その四年後に明治維新の世を迎え、象山の尊皇開国という至情がそのまま、具現された。
象山神社御朱印
迫力ある像ですよ。
幕末に生きた方々が並びます
御本社です
何か教えを説いてる所でしょうか。
眼力凄すぎる∑(゚Д゚)
自分の中のイメージは市川海老蔵さんです。
象山さんも、当時ではかなり大きく175㎝の筋骨逞しい肉付き豊かなお方だったようです!
敷地内には、象山が吉田松陰密航事件の際に蟄居してた時訪れた、高杉晋作.久坂玄瑞.中岡慎太郎等志士と会談した高義亭も在ります。
主屋跡
学問所跡
休息所跡
井戸跡
かなり広い土地だなぁ。
この道を通り...
裏口。表立って会えない人達がここを通り。
正門。あの時代に、佐久間象山を頼り多くの来訪者が訪れたのだろう。
長野県のおすすめ2選🌸
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
5
0