あまのいわとじんじゃ
天岩戸神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
1年振りにお参りしました。
こちらも駐車場がほぼ満車🚘
誘導員の方の適切な案内で、スムーズに駐車できました。
ありがとうございました😊
爽やかな風が岩戸川から吹いてきました。
麻で組まれているきれいなしめ縄に見惚れてしまいました。
陽の当たるところは光っており、とてもきれいでした✨
今回は拝殿でロウソクに名前を書いての献灯をさせていただきました。
遊歩道を経て天安河原宮へ参拝し戻ってくると、サイレンが聞こえます。何?と思っていると東天紅独特の長鳴きでした。
御神木の下で鳴いている4羽の「東天紅」に初めて会いました🐓
きれいなしめ縄です
光を受けてしめ縄が輝いていました✨
境内に響き渡る鳴き声でした
天照大御神さまが素戔嗚尊の奇行に嫌気がさして引きこもった天岩戸を御神体として祀る神社です。岩戸川を挟んで西本宮と東本宮があり、それぞれが大日孁貴神さまと天照大御神さまを祀ります。天孫降臨の地である高千穂にあるのを考えると、高天原も隣町にあったような感じですよね。
《西本宮一の鳥居》
この前に小さな門前町のように店が並んでいます。
《授与所》
御朱印は預けてお詣りに行きます。
《二の鳥居》
《由緒書き》
木材に書かれています。この夜かぐらが有名な天岩戸神楽ですね。一度観に行きたい。
《東天紅》
天岩戸神話というと、引きこもりの天照大御神さまの気を引くために長鳴鳥を鳴かせて朝が来たと錯覚させることが作戦の中に入っており、現在も伊勢の神宮を初め神使が鶏の神社があります。残念ながら今日は歩いてなかったです。
《手水舎》
水は流れています。
《神門》
《拝殿》🙏
実は後ろに本殿はなく、御神体である天岩戸への遥拝所が本義であるそうです。
そして過去に崖を降りて観に行った人がいるらしいですが帰らぬ人になったとか…
《天安河原遥拝所》
明治に造営された旧拝殿を移築しています。
《遥拝所内部》
こちらで夜神楽も行われています。
《天手力雄命像》
うるせえ、天岩戸ぶつけんぞ。
《東本宮一の鳥居》
西本宮は本社であるため人が多いですがこちらは無人で静かです。
《天鈿命像》
《境内図》
こう見るとすごい川沿いにあって洪水とかあったら大変そうですよね…
《手水舎》
水は出ています。
《二の鳥居》
《拝殿》🙏
明治まではこちらは氏神社と言われていました。
《本殿》
👁チェックポイント‼️
社伝によれば東本宮には天思兼命さまが天照大御神さまに鎮座していただくよう依頼されて建てたとされており、こちらには本殿があります。そのことからかつて信仰の中心は現代と違って東本宮だったとされています。
《御神水》
《御神木》
江戸時代に植えられた七本杉です。ただ明らかに何回数えても九本くらいあるので何故?と考えていると、根元で繋がっておりそちらを基本に数えているようです。
古事記、日本書紀に皇祖天照皇大神は御弟素盞鳴尊を御避け遊ばして暫く天岩戸へ御籠り遊ばされた事を記して居ますが、当神社は其の霊蹟天岩戸を斎ひ奉る神社です。
境内社殿の背後断崖の中腹に御窟あり天照皇大神籠らせ給ひし処と伝へ、古より其の御神域を御神体としてお祭り致して居ります。
社殿は東本宮と天岩戸直拝の西本宮と岩戸川の渓谷を挟み相対して御鎮座ましますが東本宮関係の昌泰年間の記録に天照皇大神、天岩戸より御出ましの節、思兼神其の御手を取りて東本宮の土地に御造営の御社殿へ御鎮りを願ったと記してあります。
弘仁壬辰三歳中秋には三田井候の遠祖、大神大太惟基公霊夢に恐惶して頽廃せる社殿を再興し深く其神明を崇敬したと申します。
又神社に由縁の舞楽として岩戸神楽三十三番の古雅なる手振を宮司社家代々伝へ氏子達習ひ伝へて祭典に奉奏する外、毎年十一月下旬より二月初旬にかけ、各集落において、民家に〆かざりして終夜舞続け黎明に及びて岩戸開きと称するを舞納むる慣習があります。
住時名士の此の地を訪ふ者も多く寛政の奇士高山彦九郎の参詣紀行あり薩摩の歌人八田知紀礼参し、水戸の烈土井上主人義秀等八名参籠して俳句「落つるには 手もなきものよ 蝸牛(かたつむり)」を残して居ます。
又大宝の昔京都神祇宮卜部朝臣参拝の記録あり相当古くより中央に認られて居た事が考えられます。
皇室の崇敬も厚く秩父宮殿下、秩父宮妃殿下、高松宮殿下、三笠宮殿下、朝香宮殿下、常陸宮(義宮)殿下を始め皇族、侍従の代参等、度々の御参拝がありました。
天岩戸神社 西本宮
御祭神 大日霎尊 【天照皇大神の別称】
御神木 招霊の木
天照皇大神が御隠れになられた天岩戸(洞窟)を御神体として御祀りしている神社。
高千穂神社から徒歩で高千穂バスセンターへ戻り、バスで向かいました。歩くと一時間以上かかりそうです。
天岩戸を御神体とするこの神社さん。神社が好きになってからずっと上がらせて頂きたかった場所です。一番行きたかった神社さんかもしれません。
拝殿の奥には御神体の天岩戸があります。拝殿側からは見えませんが、30分毎に宮司さんのご案内により、拝殿の裏側に行くことができます。拝殿前でいろいろ見ながらウロウロしていたら、ちょうど天岩戸へ行かれる皆さんを連れていた宮司さんに「行かれますか?」と声をかけて頂き、ありがたくご一緒させて頂きました。こちらは撮影禁止ですが、写真がなくても一生忘れないと思います。
菊の紋
到着。これから参拝するのに涙が😭
天照大神がお迎えしてくれます🥰
そんなに長くない明るい感じの参道です。
更に鳥居がありました。
由緒書です。これ一つとっても感動的です😭
手水舎。もちろん稼働してます。
この奥に拝殿があります。ドキドキが止まらないです。
拝殿です。なんとなく伊勢の神宮に似てるような気がするなーって思っていたら、横から心地よい風が吹いてきました。伊勢の神宮も参拝中に風が吹いて幕がなびいたら神様が見にきてるって言われているので、そんな気分になっちゃいました🥹
拝殿上の扁額です。
こちらは拝殿に向かって右側です。この扉の前で宮司さんからお祓いをして頂いた後、更にその横にある門から天岩戸に向かいます。
天岩戸は思っていたよりとっても大きく、想像以上のものでした。直視するのもどうかと思いチラチラ見てましたが、多分一生忘れないと思います。
拝殿左側から出てきて、夢の時間は終了です。
直書きです。ありがとうございました。
今回は時間が無くなってしまい西本宮しか参拝できませんでしたが、次に来るときは天照大神が岩戸から出てきた後にお住まいになったと伝えられている東本宮も参拝しようと思います。ありがとうございました。
【日向國 古社巡り】
天岩戸神社(あまのいわと~)は、宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸にある神社。旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社。祭神は大日孁尊(おおひるめ;西本宮)、天照皇大神(東本宮)。「天岩戸」という岩窟を神体とし、これが日本神話の「天岩屋」であると伝える。
創建は不詳。社伝によると、瓊瓊杵尊が天岩戸の故事を偲び、その古跡に鎮祭したのが始まり。平安時代初期の812年に領主・大神惟基により復興されたが、戦国時代にたびたび焼失したという。江戸時代中期の『高千穂旧記』によると当時は簡素な遥拝所の造りであったと推定されるが、1707年に荒廃した社地を整地し、1821年に延岡藩主の援助で社殿を再建したという。明治に入り村社に列し、1897年に社殿を造営、1909年には近隣の神社を合祀している。1970年には現在の東本宮である「氏神社」を合併し、西本宮と併せて「天岩戸神社」として別表神社に加列している。
当社はJR日豊本線・延岡駅の西北道のり37kmの高千穂市街の北東にある。県道7号線沿いの、標高はある程度あるが、フラットな場所にある。当社境内は岩戸川を挟んで西側の西本宮と、東側の東本宮からなるが、今回は西本宮のみ参拝した。長くまっすぐに伸びる参道を進むと、神域は岩戸川側の参道右手(東側)にあって、広さはさほど広くはなく、神門、拝殿、神楽殿から構成されている。西本宮では、岩戸川の対岸(東側)にある岩穴を御神体とするので、本殿はなく、拝殿は遙拝所のような造りになっている。1日に数回、宮司さんによる参拝ツアーが開催されており、拝殿の裏手に廻って、天岩戸を直接拝むことができる。
今回は、あまりにも有名で人気の神社であること、また別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の午後で、自分たち以外にも多くの参拝者が訪れていた。
境内南西端の<一の鳥居>と、「天岩戸神社 西本宮」と刻まれた<社号標>。
一の鳥居の近くにある<アマテラスオオミカミ(天照大御神)象>。表情がリアル。
一の鳥居の近くにある<芭蕉句碑>。
参道左手の駐車場脇にある<天手力男神像>。こちらはアニメチック。
参道左側にある<微古館(天の岩戸記念館)>。
参道左側の授与所を通り過ぎると<二の鳥居>。
二の鳥居をくぐって参道左側にある<手水舎>。
手水舎の反対側(参道右側)にある<祓所>。
やがて参道右側に<神門>が見えてくる。
神門をくぐると正面にある<拝殿>。
<拝殿>正面。
<拝殿>内部。
拝殿の右側に繋がって建っている建物。
拝殿の並びを斜めから見たところ。
拝殿の左側に繋がって建っている建物。
拝殿に向かって左手にある<神楽殿>。
<神楽殿>正面。表札には「天安河原遥拝所」とも書いてある。
<神楽殿>内部。
ここで二の鳥居の外側まで戻って<授与所>。御朱印はこちら。
お守りの類は滅多に買わないが、せっかく<憧れの天岩戸>なので思わず購入。
授与所の参道を挟んで向かい側にある<御休憩所>。「天岩戸ご案内 集合場所」と書いてある。ちょうど案内時間が近かったので参加してみることにする。
いよいよ出発時刻になり、神職さんについて再び神門へ向かう。
拝殿の右側に繋がって建っている建物の右側が<天岩戸>への入口。この柵から先は撮影禁止。
境内北端には、<天安河原>への案内看板と鳥居がある。
最後に再び<拝殿>全景。古の後ろに本殿はなく、少し離れたところに<天岩戸>があることを考えると、天岩戸の遙拝所の機能であることがよく分かる。(^▽^)/
天岩戸神社は、岩戸川を挟んで、西本宮と東本宮を有しています。
昔は、西本宮が「天磐戸神社」、東本宮は「氏神社」、もしくは「天磐戸大神宮」という名前の別々の神社でした。
しかし、1970(昭和45)年に合併して「天岩戸神社」となり、現在の形になっています。
主祭神は、西本宮も東本宮も天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)ですが、西本宮は、天照皇大神の別名である大日霎尊(おおひるめのみこと)となっています。
また、配祀神には、天鈿女命(あめのうずめのみこと)、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)といった天岩戸の神話にも出てくる神々も祀られています。これに加えて、大年神(おおとしのかみ)、日子穂穂手見命(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、菅原道真公も祀られています。
西本宮は、神話の中で天照皇大神が隠れたとされている天岩戸をご神体として祀っていますが、東本宮は、天照皇大神が天岩戸から出た後に1番最初に住んだとされる場所を祀っています。
神話の中で天照皇大神が岩戸を閉めて中に籠ったとされている西本宮のご神体「天岩戸」。
拝殿へ行ってもご神体を拝むことはできません。
拝殿の裏にある遥拝所から拝むことができます。
この遥拝所への入り口は閉まっており、神職者の案内無しには入場できませんので、社務所で申し込む必要があります。
御神体「天岩戸」の案内の所要時間は20分ほどで、午前9時から午後4時40分まで、最終回を除き30分ごとに1日15回行われています。この案内に参加しますと、遥拝所への案内だけではなく、神社の説明なども境内で行っていただけます。
料金は無料です。
普段は禁足地となっている拝殿の裏にある遥拝所へ入るために、入り口付近でお祓いをしてもらうと、その先からは写真厳禁。ご神体の撮影ももちろんできません。
遥拝所とご神体の間には岩戸川が流れており、遥拝所から見て右側には東本宮があり、そこからかなり左側の沢山の草木が茂る山の断崖中腹に隠れるように磐の洞穴となっているスポットがあります。そこがご神体「天岩戸」とのことです。
西本宮の境内にある神殿の左手に位置している「神楽殿」では、春や秋に行われる大祭などで天岩戸神楽の奉納が行われます。
天岩戸神楽は、全体で16時間にもおよぶ33番もある神楽で構成された長編となっており、無形文化財にもなっています。
西本宮から徒歩で7分ほどの場所に位置している東本宮へ到着すると、まず最初にご対面できるのが「天鈿女命」の像。
天岩戸伝説で伏せた桶の上に乗って素晴らしい踊りを踊り、天照皇大神が天岩戸から出てくるように気を惹くのに大活躍した神様です。
この像には仕掛けがあり、天鈿女命が360度ぐるりとゆっくり回転して動くようになっています
長い階段を登りきると拝殿、本殿、神楽殿などがあります。
西本宮との大きな違いは、天照皇大神が天岩戸から出た後に1番最初に住んだとされる場所を祀っているので、西本宮には無かった本殿があります。
東本宮は西本宮に比べて参拝者の数も少ないので、神聖な静寂に包まれた空間となっており、ゆっくり落ち着いて参拝することができます。
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