かめおかはちまんぐう
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亀岡八幡宮について
伊達氏の氏神様です。神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮を勧請しています。
仙台空襲ですべてが失われましたが、階段と鳥居だけは当時のまま残っています。
階段は365段あったと言われています。整備されていませんので登りにくい階段です。
雪があるときは登らないことをお勧めします。非常に危険でした(*_*)
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伊達政宗ゆかりでお参り3社目でうかがいました。車で行ったのですが途中急な坂道と細道がキツかったです。
神社は静寂な雰囲気でした。御朱印をお願いした際にお守りをいただきました。
ありがとうございます。
裏参道からお参りしましたが、細い道なので車は途中までで、歩いてお参りしました。裏には駐車場はないようです。
裏参道を歩いてる途中で、なかなか大きなガマガエルを見つけました👀
気さくな宮司さんで、神社について説明してくださいました😊
書き置きの御朱印3種類頂きました🙇
にっこり☺️笑っているようです
こちらも笑っている顔に見えます😊
ビッグなガマガエルさんでした
【仙台最長の石段にチャレンジしてみた😊】
本日も最高のお天気☀️
訪れてみたいと思いながら、機会のなかった
伊達家の氏神さま、そして江戸時代から残る仙台市内最長の石段の先に鎮座する『亀岡八幡宮』を参拝🙏
まずは由緒から
もともと福島県伊達市にあった社を1681年仙台藩4代藩主・伊達綱村が現在の地に移し新たに造営。
新社殿は1683年に落成。遷宮して亀岡八幡宮と称しました。
1945年の仙台大空襲により社殿が焼失。現在の社殿は1965年に造営されたものです。
御祭神は、応神天皇、神巧皇后、玉依姫命
仙台最長の石段‼️戦火で残ったこの石段は神社造営当時のまま現存する貴重なもの。
一年365日に由来し365段になったそうですが、その後は風化したりで削れ、現在は335段‼️ちょっとは予備知識がありましたが、完全にナメてました😱
石段の高さ、幅もまちまち、おうとつ凹凸もあって、しかも急勾配で手摺りも無し、後ろを振り向いたら下に吸い込まれそうな感覚。社殿にたどり着いた時には「産まれたての仔鹿🦌」のように足がガックガクでした💦
参道から石段を登り拝殿にいたるこの間は神聖な領域を感じることが出来ました。
皆様も機会があれば是非、ご参拝下さい。
(足元はヒール👠やサンダル🩴ではなく、スニーカー👟など歩きやすい服装がおすすめ)
【追伸:✨不思議な体験✨】
第2ステージを登りきると、ひらけた空間が出現しました。正面に第3ステージに続く石段を除き365度🌲高い木々🌲に覆われた自然のスタジアムみたいな感じ、ここだけ開けた空間になっている理由は分かりませんが、神聖な領域というか身体と心にパワーを感じました。家に帰ってから画像を見返していたら、ここで撮影した画像に『🟢耀く光』が写っていました。本当、こんなこと初めてなんです。画像を1番最後のところに添付しますね。
歴史を感じる石鳥居
拝殿までlet's go(まだ元気😀)
拝殿まで4ステージになっています。
登っても登っても拝殿が見えて来ない💦
第3ステージが1番長い、途中で休憩💦
下を振り向く、かなりの急勾配
更に第3ステージの石段を登る。
下を振り向いたら怖い、吸い込まれそう😱
第4最終ステージ、やっと拝殿が見えてきた💦
もう、ひざがガクガクです。
やっと拝殿に着きました💦💦
社号額
拝殿
お隣りには末社の高良玉垂神社があります。
社務所の方が不在で書き置きの御朱印をいただきました。参拝日が入ってない😢
高良玉垂神社の御朱印もいただけます。
【追伸】でお話した謎の『🟢に輝く光』
石段の登り口の右側のところ。
謎の『🟢に輝く光』ズーム
なんなんだろう。神聖な光なのかな?
歴史
文治5年(1189、鎌倉)伊達朝宗相州鎌倉鶴ケ岡八幡宮を伊達郡高子村に勧請した。このとき霊亀出現、依って亀岡と称す。応永33年岡部梁川に遷座、天文元年伊達稙宗同郡西山城に遷し、又元亀2年同郡梁川に移す。天正中政宗伊達より岩手山に移る。上杉景勝の領地となったので、社司山田宮太夫清重これを憂い弟重之と相謀り、慶長6年密かに神体を護持して伊具郡丸森に0ってこれを政宗に告ぐ、同7年命じて仙台同心町(瀧沢神社)に仮宮を造り安鎮する。よって宮太夫に米三口を給す。寛永17年義山公(忠宗)社殿を経営し同年7月遷宮のことを行い、梁川今八幡と称す。同20年4月始めて神事を行い祭奠稟米五石を寄進す。天和元年7月肯山公(綱村)社を城坤河内の地に移し大いに土木を起し宮社を造営する。同3年8月落成15日遷宮して亀岡八幡宮と称し、祭料八石を増し、百石の地を敬進し宮太夫を山田土佐守と改称せしめ神職に定め三十石の地を給与す。更に社士10人、巫1人、洒掃1人をつけた。別当寺を亀岡山積宝寺千手院という。歴代の藩主の奉納品多きが中に刀剣、銘備前長船義光の一振は重要文化財に指定されている。(観蹟聞老志、名蹟志、封内風土記、社蔵記録)。明治4年7月村社に列す。昭和20年7月戦災を被り、旧社殿悉く焼失したので、一本杉の伊達家の氏神の社殿を移し本殿とし、新に幣殿、拝殿其の他の建物を造営して昭和40年10月竣工した。
(神社庁より)
名称 | 亀岡八幡宮 |
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読み方 | かめおかはちまんぐう |
通称 | かめおかさま |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 022-213-2231 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.hachimanguu.org |
詳細情報
ご祭神 | 《主》応神天皇,玉依姫命,神功皇后 |
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ご由緒 | 文治5年(1189、鎌倉)伊達朝宗相州鎌倉鶴ケ岡八幡宮を伊達郡高子村に勧請した。このとき霊亀出現、依って亀岡と称す。応永33年岡部梁川に遷座、天文元年伊達稙宗同郡西山城に遷し、又元亀2年同郡梁川に移す。天正中政宗伊達より岩手山に移る。上杉景勝の領地となったので、社司山田宮太夫清重これを憂い弟重之と相謀り、慶長6年密かに神体を護持して伊具郡丸森に0ってこれを政宗に告ぐ、同7年命じて仙台同心町(瀧沢神社)に仮宮を造り安鎮する。よって宮太夫に米三口を給す。寛永17年義山公(忠宗)社殿を経営し同年7月遷宮のことを行い、梁川今八幡と称す。同20年4月始めて神事を行い祭奠稟米五石を寄進す。天和元年7月肯山公(綱村)社を城坤河内の地に移し大いに土木を起し宮社を造営する。同3年8月落成15日遷宮して亀岡八幡宮と称し、祭料八石を増し、百石の地を敬進し宮太夫を山田土佐守と改称せしめ神職に定め三十石の地を給与す。更に社士10人、巫1人、洒掃1人をつけた。別当寺を亀岡山積宝寺千手院という。歴代の藩主の奉納品多きが中に刀剣、銘備前長船義光の一振は重要文化財に指定されている。(観蹟聞老志、名蹟志、封内風土記、社蔵記録)。明治4年7月村社に列す。昭和20年7月戦災を被り、旧社殿悉く焼失したので、一本杉の伊達家の氏神の社殿を移し本殿とし、新に幣殿、拝殿其の他の建物を造営して昭和40年10月竣工した。
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