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真言宗 多度観音堂
伊勢西国三十三観音霊場 第33番札所
多度神宮寺由来のお堂とのこと。
多度山法雲寺としてとても興隆していたそうで、その御本尊だったのが千手観音菩薩立像。
元亀2年(1571年)、信長の兵火によって焼失し、その後衰退。
承応2年(1653年)に多度大社別当として再興するも、神仏分離令により廃寺となったそうです。
そのため多度大社内を流れるお手洗い川に観音堂を建立し、ご本尊の十一面観音菩薩立像と千手観音菩薩立像をお祀りしていたそうですが、集中豪雨により観音堂は流出。
その翌年に小堂が再建され、昭和38年に古くなった小堂は改築され現在に至るそうです。
<御本尊>
十一面観世音菩薩
御朱印は多度大社にていただけるようです。
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多度観音堂は、多度大社の神宮寺であった法雲寺が明治時代初めの神仏分離令により廃寺になったのち、多賀大社の御手洗い川、落葉側の畔に建立された堂宇。本尊・十一面観世音と千手観世音を併せて安置している。伊勢西国三十三所観音巡礼33番札所。
廃寺となった法雲寺は、長い歴史と由緒がある寺院で、奈良時代の763年に満願禅師が創建、平安時代の839年には天台の別院とする旨の勅命が下り、849年には真言の別院とされ、905年に延喜式では「法雲寺を以って伊勢国准国分寺に列する」とされている。戦国時代の16世紀中ごろには寺院70余、僧侶300余を抱えるに至っている。その後、1570年ごろに長島の一向一揆が起こり、柴田勝家らが進攻して、多度大社とともに兵火で焼失したが、江戸時代になると桑名領主の本多忠勝や松平定勝に支えられ再興している。明治時代の初めに神仏分離令により法雲寺は廃寺。それでも観音堂はまもなく再建された。その後洪水により流失するなどしたが、昭和の1963年に現在地に再建されている。
当堂宇は、多度大社の豊明殿から伸びる下りの坂道の途中左側に入口があり、少し高い場所に建物が立っている。当日は、多度大社参拝のおまけ程度に思っていたが、<伊勢西国三十三所観音巡礼>のサイトで由緒を知ってびっくり。世が世ならすごい寺院であったことが分かり、嬉しい発見となった。
※御朱印未入手。
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