くわなそうしゃ(かすがじんじゃ)
桑名宗社(春日神社)公式三重県 西桑名駅
社務所 9時〜17時
(神職は7時には出社しております。外出していなければ、御朱印の受付は行いますのでお声がけください。)
くわなそうしゃ(かすがじんじゃ)
社務所 9時〜17時
(神職は7時には出社しております。外出していなければ、御朱印の受付は行いますのでお声がけください。)
また近年、所蔵する『村正』を公開したことにより刀剣ファンの参拝も増加しています。
全国的な知名度のある村正の文化的価値が高く、村正の代表作とされます。
地域の方々とともに歩んできた神社です。
皆様の参拝は、神様だけでなく地域の方々も喜んでくれています。
歴史ある桑名をお楽しみください。
【まちづくりに繋がる神社】
令和6年11月のサポーターさんの幸せと健康の御祈願は、
三重県桑名市にある、春日神社さんにお願いしました。
諸事情あって、十数年前に23歳の若さで後を継がれた不破宮司。
以前より、ホトカミに登録くださり、
三重県の神主さん向けに講演させていただいたとき、声をかけてくださったことがご縁で、
今回、ご祈祷をお願いました。
ほんの数年前までは、お母様と二人三脚で神社を守ってこられましたが、
ここ数年でお参りの方が増えて、神社がにぎわい、今はさらに多くの方と神社を守ってらっしゃいます。
とてもユニークで面白いのは、2つの別の神社が、一体となっていることです。
ホームページを見てみると、
「桑名宗社は桑名神社と中臣神社の2つの神社からなる、
全国的にも珍しい神社とされています。」と書かれています。
桑名神社は、桑名最古の1900年もの歴史をもつ神社です。
中臣神社は、藤原の祖、中臣鎌足さんの中臣で、奈良の春日大社とも同じ神様がおまつりされています。
「合祀されているだけでは?」と思われるかもしれませんが、
なんと宗教法人の法人格も別々なのです。
建物も一体となっているようで、別々でもあります。
しかし、ご祈祷を受けた拝殿は一体となっています。
江戸時代までは、それぞれの神社の宮司さんも別々だったそうです。
春日神社さんの特徴を3つに絞ってお伝えします。
①御朱印の種類が豊富
御朱印帳に直接書いていただける御朱印がたくさんあります。
なんと誕生日にはお名前も書いていただけます。
②宝刀村正を鑑賞
眺憩楼(ちょうけいろう)という建物で、宝刀村正を鑑賞できます。
なんと宝刀村正は、ふなっしーさんの地元である千葉県船橋市で研磨されていることもあり、
ふなっしーさんもお参りされているそうです、
お参りされたら、ぜひ!
建物も、明治天皇が滞在されたお部屋があったり、すごいのでホームページもご覧ください。
https://www.kuwanasousha.org/muramasa-museum/
③伊勢の国の玄関の鳥居
境内から徒歩数分のところに、式年遷宮ごとに伊勢神宮宇治橋の鳥居を移して建て替えられている鳥居があります。
今でも式年遷宮の度に、木曽ヒノキが集結するのがこちらになります。
ちょうど来年がそのタイミングだそうです。
伊勢の国の玄関ということもあり、まちが賑わうとともに、伊勢神宮とのゆかりも大変強いです。
また伊勢神宮の雅楽も、春日神社さんゆかりです。
明治に入って、伊勢神宮でも一般の方の参拝を受け付けるようになりました。
御師がいなくなり、神宮としてどう対応するか模索するなか、繋がりの深かった春日神社がご縁で、
桑名から雅楽の専門家を輩出して、現在の伊勢神宮の雅楽につながっているそうです。
https://www.kuwanasousha.org/column/857/
こういったお話もしっかりホームページで紹介されていて楽しいです。
宮司さんにお話聞いて、再びホームページを開いてみたら詳しく載っていて勉強になりました。
最後に、宮司さんに今後の展望をお聞きしました。
「まちづくり」を掲げてらっしゃいました。
かつては東海道五十三次のなかでも、熱田の次に2番目に旅籠が多く賑わっていたそうです。
現在も歴史あるお店が残っています。
その伝統や歴史を生かしながらも、地域のために貢献して、神社も中心となってまちをつくっていくんだ!強くお話されていたのが印象的でした。
境内にもとてもきれいなカフェ・レストランがありました。
神社がにぎわい、お店もにぎわい、仕事が生まれ、活性化していく、エネルギーを感じられました。
ランチも美味しかったのでぜひ。
不破宮司、ありがとうございました!
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「100年後に神社お寺を残す」
ホトカミサポーター制度
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サポーターさんは、先週より3名増えて全国357名になりました。
(月額500円〜)
毎月20名ずつほど増えています!
\毎月全国の神社お寺で、あなたの健康と幸せをご祈願します/
https://hotokami.jp/subscription/landing_page/
宝刀村正
たくさんの提灯が神社への想いが集まっていること、感じさせてくれます。
歴史を感じる
左右に2つの神社の扁額があります。
宮司さんが、急に寒くなったね、とストーブつけてくださいました。
今月もしっかりサポーターの皆さんの幸せと健康を祈願させていただきました!
こちらで、宝刀村正を鑑賞できます。
たくさんの御朱印🖌️
おみくじや絵馬、そしてベンチ
カフェでは、神社ティーをいただきました。あったまりました。
明太子カルボナーラ。
いくつになっても、カルボナーラが好きです。
こちらが伊勢神宮より賜りし鳥居
桑名宗社とは桑名神社と中臣神社の両社を併せた名称であり、古来桑名の総鎮守として桑名首(くわなのおびと)の祖神を祀っています。
公称は『くわなそうしゃ』、通称は『かすがじんじゃ、春日さん』
当初は桑名神社一社があり、後に中臣神社が境内に遷座し、二社合社となった。現在も本殿は二宇あり、拝殿を共有する構造となっている。
~公式サイトとウィキペディアより抜粋~
朝10時過ぎでしたので、参拝者がチラホラおみえでしたが、ゆっくりお参りする事が出来ました🙏
御朱印は何種類かあり迷いましたが、3月限定の御朱印(雛祭り)を頂きました。
青銅鳥居
「勢州桑名に過ぎたる者は銅の鳥居に二朱女郎」
楼門
天保4年(1833)、松平定永によって寄進された三間一戸・重層入母屋造りの楼門
御膳水井
江戸中期より神供用として用いられていた
拝殿
桑名神社
中臣神社
陽石
授与所
御朱印(直書き)
皇大神宮御分霊所
桑名東照宮
金龍桜
さすがにまだ早いですね。タンポポは咲いてましたが(笑)
春日神社✖️本多忠勝公✖️勝守
春日神社オリジナル御守『勝守』
本多忠勝公は桑名藩初代藩主を務め、57の戦に出陣し、一度も負けることもなく、一ヶ所の傷も負うことがなかったとされます。
当社への崇敬篤く、多くの寄進を頂きました。
御守は本多忠勝公の兜と槍『蜻蛉切』をイメージし制作しました。
桑名宗社とは桑名神社と中臣神社の両社をあわせた名称であり、古来桑名の総鎮守として桑名首(くわなのおびと)の祖神を祀っています。
桑名神社は平安時代、延喜式神名帳にその名の見える古社で、御祭神は天照大御神の第三御子天津彦根命と、その大神の御子天久々斯比乃神の二柱です。天津彦根命は国史にも見えた様に御子孫の殊に御繁栄になった神であり、また天久々斯比乃命は神徳霊妙な神で、桑名首(上代桑名の豪族)の祖神であるので桑名の開祖として『繁栄の神様』と仰がれています。
中臣神社も延喜式神名帳にその名を見える古社であり、桑名神社と共に延喜式内社とされています。中臣神社は神護景雲三年(769年)に常陸国鹿島社(茨城県の鹿島神宮)より建御雷神霊が御通過になった基址に祀られるようになりました。御祭神天日別命は神武天皇御創業の時の功臣で伊勢国造の遠祖として仰がれ『厄除けの神様』とされています。中臣神社は山上にありましたが、正応二年(1289年)に桑名神社の境内に遷し奉り、永仁四年(1296年)に奈良春日大社から春日四柱神を勧請合祀してからは「春日さん」と呼ばれています。
その後、御社は繁栄の一途をたどり、織田信長・徳川家康などより神領の寄進、本多忠勝・松平定綱などの歴代桑名城主から篤く崇敬され、明治になってからも元年の御東行・二年の東京遷都と、共に天皇・勅使が御泊りするなどされました。このような崇敬篤く、荘厳な一大社となりましたが惜しくも昭和二十年の戦災で全て消失してしまいました。しかしこの敗戦と焼土の中にあっても氏子崇敬者の深い理解によって立派に再興されるに至っています。
名称 | 桑名宗社(春日神社) |
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読み方 | くわなそうしゃ(かすがじんじゃ) |
通称 | 春日神社、春日さん |
参拝時間 | 社務所 9時〜17時
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参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 月毎にカラフルな限定御朱印を発行しており、御朱印帳への直接書きも可能です。
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限定御朱印 | あり |
御朱印帳に直書き | あり |
御朱印の郵送対応 | あり 詳しくはHP参照 |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0594-22-1913 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | kuwanasousha@gmail.com |
ホームページ | http://www.kuwanasousha.org/ |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 《桑名神社》天津彦根命,天久久斯比乃命《中臣神社》天日別命,春日四柱神(建御雷神,斎主神,天児屋根命,比売神) |
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創建時代 | 景行天皇40年(西暦110年) |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 神明造 |
文化財 | 桑名石取祭の祭車行事(ユネスコ無形文化遺産)
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ご由緒 | 桑名宗社とは桑名神社と中臣神社の両社をあわせた名称であり、古来桑名の総鎮守として桑名首(くわなのおびと)の祖神を祀っています。 桑名神社は平安時代、延喜式神名帳にその名の見える古社で、御祭神は天照大御神の第三御子天津彦根命と、その大神の御子天久々斯比乃神の二柱です。天津彦根命は国史にも見えた様に御子孫の殊に御繁栄になった神であり、また天久々斯比乃命は神徳霊妙な神で、桑名首(上代桑名の豪族)の祖神であるので桑名の開祖として『繁栄の神様』と仰がれています。 中臣神社も延喜式神名帳にその名を見える古社であり、桑名神社と共に延喜式内社とされています。中臣神社は神護景雲三年(769年)に常陸国鹿島社(茨城県の鹿島神宮)より建御雷神霊が御通過になった基址に祀られるようになりました。御祭神天日別命は神武天皇御創業の時の功臣で伊勢国造の遠祖として仰がれ『厄除けの神様』とされています。中臣神社は山上にありましたが、正応二年(1289年)に桑名神社の境内に遷し奉り、永仁四年(1296年)に奈良春日大社から春日四柱神を勧請合祀してからは「春日さん」と呼ばれています。 その後、御社は繁栄の一途をたどり、織田信長・徳川家康などより神領の寄進、本多忠勝・松平定綱などの歴代桑名城主から篤く崇敬され、明治になってからも元年の御東行・二年の東京遷都と、共に天皇・勅使が御泊りするなどされました。このような崇敬篤く、荘厳な一大社となりましたが惜しくも昭和二十年の戦災で全て消失してしまいました。しかしこの敗戦と焼土の中にあっても氏子崇敬者の深い理解によって立派に再興されるに至っています。 |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三食事・カフェ御朱印博物館お守り重要文化財祭りアニメなどサブカル武将・サムライ伝説夏詣 |
概要 | 桑名宗社(くわなそうしゃ)は、三重県桑名市本町にある神社。通称は春日神社(かすがじんじゃ、春日さん)。桑名の総鎮守社。 桑名神社(三崎大明神)と中臣神社(春日大明神)の両社からなり、ともに延喜式神名帳の伊勢国桑名郡に記載されている式内社である。旧社格は県社。8月に行われる石取御神事(石取祭)はユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」を構成する祭りの一つである。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建年代は、府県郷社明治神社誌料では「詳ならず」とされている。 社伝では、当初は旧桑部村にあり、景行天皇40年から45年にかけて宮町、宝殿町と遷座し、現在の本町に鎮まったという。神名帳考証再考には旧地は桑部村糠田(桑名市額田付近)であったと記されている。伊勢参宮名所図会には、天武天皇が壬申の乱で当地から尾張美濃に渡海する時、「此地の地主にして沙羯羅龍王の女妙吉祥」が現れ、「本地は十一面観音、垂迹は三種の神宝」であることから「三崎明神」と称し、虚空に飛び去ったという伝承が記されている。 中臣神社は神護景雲3年(769年)、旧上野村(桑名市上野付近)の「山上」に創祀されたという...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通アクセス[編集] JR関西本線・近鉄名古屋線・養老鉄道養老線 桑名駅から三重交通バスで「本町」バス停下車、徒歩で約5分。 |
行事 | 祭事[編集] 石取祭 8月第一日曜 - 石取御神事(石取祭)。 8月17日 - 桑名神社例大祭。 9月17日 - 中臣神社例大祭。 |
引用元情報 | 「桑名宗社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%A1%91%E5%90%8D%E5%AE%97%E7%A4%BE&oldid=102213154 |
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